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2005年11月25日 (金)

第1章 1997年 5.クルセイド横浜(1)

JFLのリーグ戦はナイターのできない競技場でのデーゲームが殆どのため、暑さが過ぎるまでの夏休みのような中断期間が存在する。リーグ戦は9月中旬まで1ヶ月半の休みに入った。我がミクニサッカー部は6勝5敗の7位で折り返した。

我々クルセイドのメンバーも試合の無い期間は仕事に集中しないといけない。なぜならアウェーの試合に行くために仕事で遊休を使ったので、その分を“夏休み”中に元を取らなくてはならない。

といっても俺の場合はまだいいほうだ。ケイタとユウタロウの仕事は土日がメインとも言える。だから実際はホームゲームに来るので精一杯だ。とてもアウェーまでは休みがなかなか取れない。

だから殆どのアウェーの応援は俺一人でやってきた。最初は恥ずかしさもあったが、一度やったらアウェーの一人応援は病みつきになった。一人で勝たせたという快感には堪えられないものがあった。

 

だが一人ではどうしても全部のアウェーは行けない。どうしても仕事や家に都合で行けないケースが出てくる。

そして不幸なことに後半戦最初の試合、アウェーでの“みちのくホイールズ”戦の日に出勤せざるを得なくなった。

 

俺が気にするのは応援なしでの戦績が良くないためだ。サポーター0人試合での過去3年の戦績は7勝16敗。ちなみに応援を始めた3年前はアウェーには全く行かなかった。そのせいかアウェーで負けてばかりいたので2年目からはアウェーにも行くようにした。それからはアウェーの戦績は良くなった(と信じている)。

俺たちが応援に行ったアウェーの戦績は過去2年で8勝5敗だ。

 

が、今回はしかたがない。勝ってくれるのを祈るしかない。俺は暗澹たる気分だったがチームを信じて吉報を待つことにした。

そんな中、試合の3日前に突然ヨシヤから電話があった。

「オマエんとこ、次のみちのく戦何人来るンだよ。」

「いや、誰も行けないよ。」俺はいきなり今一番訊かれたくない質問をされ、テンションが下がってしまった。

「なんだよ、それ。せっかく行くことにしたのに、オマエら誰も来ないの?行くのフツーだろ、フツー。」と電話口でヨシヤが文句を言った。俺は驚いて訊きかえした。

「行くってなんだよ。宮城行くのか?」

「行くよ。人も集めたンだよ。4人で行くことにした。」とあっさり言ってのけるヨシヤ。

「へっ..、4人も。人集めたってどういうことだよ。」

「俺もミクニ応援することにしたから。グループ作って試合に行くことにした。」

俺は何が何だか理解できなかった。

「何で急にグループ作って応援することにしたんだよ。お前応援してるチームあるだろ。」

「まあ、いろいろあってさ。いいじゃん。とにかくオマエら行かないなら俺達が応援やるから。太鼓も幕も用意してあるから。」と既にヨシヤはやる気満々になっていて、なぜミクニを応援することにしたのかの質問には答えなかった。

「いや..、まあ..、ありがたいというか、申し訳ないというか...。」

「まかせとけ。きっちり勝たせちゃるから。また電話するわ。」と電話が切れた。

俺は呆然としていたが、しばらくしてアウェー0人を防げそうだという気持ちより、試合に行けないことがさらに悔しく思えてきた。全く予想外の展開に戸惑いも隠せなかった。

“何なんだ、アイツ。”と俺は思った。

 

ヨシヤは“とうとう始めちゃったな。”と自分に話しかけていた。

 

なぜミクニの応援を始める気になったのか。

 

ヨシヤ自身やらなくてはいけない理由は無かったが、フジマ戦でタクマ達が猛烈な暑さの中、必死に応援をする姿をみたこと。ヨシヤ達に混じって応援したこと。試合後のユウタロウ達の泣く姿を見たことで、“俺も何かをしなくちゃイケナイ”という気になったのだった。

後日、冷静になってみて何もそこまでしなくてもと一度考えもしたが、タクマ達にサポーターたる者の何かを見たような気もしていた。人数が少ないからそう見えたのかなとも思ったが、既に何人かに声を掛け、人も集めていたし、自分のなかで気持ちが突き動かされてしまっていて止めることは考えられなかった。

 

ヨシヤはタクマの気持ちを考えると複雑だろうなと思った。単純に喜んでいるとは思っていないかもな、とも考えていた。自分達が行かない試合に他のヤツが行って応援する。その試合に勝たれたら、そいつの応援のおかげってことにもなるし。

「あのまま、電話切らなかったら、最後は“お願いします”って言ったかな。」と独り言を言った。

しばらくして“いや、言わないだろうな。”との考えに至り、小さな優越感をヨシヤは感じた。

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2005年11月23日 (水)

あやかちゃんを救おう2

昨夜、総統より電話があり「渦帝、明日空いてる?」との問い。

妻と子は二人で出かける予定があったのですが、私は帯同しないので当然空いていました。

「明日、フクアリでアヤカちゃんの募金やるんだけど行ってくれない?」とのこと。

051123_094935フクアリとは蘇我にできた福田電子アリーナのこと。ジェフユナイテッド市原千葉の新しいホームスタジアムです。今日23日は浦和レッズ戦が組まれていました。なんでも、総統は予定が付かず行かれないので名代で行ってほしいとの要請に私は了解しました。

そして、今日そのフクアリにてジェフ市原サポーターの方々の協力をいただき募金を行ってまいりました。

集めた募金はディパックに詰めて自宅まで持って帰り、総統と、総統の長男ヒューくん、私の妻らで計算をしました。

それにしても自宅に帰ってくるまでのしんどいこと。お金ってこんなに重たいんだあと実感。ですが、この重さこそ命の重さだと思い、”アヤカちゃん、おっちゃんが助けちゃるぞ”と念じつつ、自分の娘より間違いなく重いディパックを汗だくになりながら頑張って持ち帰ってきました。

おかげさまをもちまして本日は304684の募金が集まりました。リーダーのリョウタ殿をはじめとしたジェフ市原千葉のサポーターの皆様、ジェフ後援会の方々、レッズサポーターの皆様、本当にありがとうございました。皆様の暖かい思いにてアヤカちゃんが助かりますよう願っております。

051123_150338ご好意で試合も観戦しましたが、フクアリはサッカー専用スタジアムということもあり素晴らしいところでありました。どうもありがとうございました。

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2005年11月21日 (月)

あやかちゃんを救おう

このブログに度々登場する宮崎ショックボーイズ総統の友人、神達良二さんの娘さん彩花ちゃんがヒルシュプルング氏病という腸の難病を抱え、臓器移植をしないと余命幾ばくも無いという状況に陥っています。

もう余命3ヶ月と宣告されましたが、渡米し臓器移植をすれば助かる可能性があるとのこと。しかし、その為には、1億3000万円というお金が必要とのこと。

このブログを見てくださった方で、募金活動に少しでも協力してくださる方がいたら幸いです。

参照:あやかちゃんを救う会

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2005年11月20日 (日)

パレードがゆくよ

今日は海浜幕張に千葉ロッテマリーンズの優勝パレードを観にいきました。

普段は仕事で毎日通う幕張。幕張本郷駅のバス乗り場が普段の出勤時みたいに列が出来ていたのは少し苦笑い。人気ものになったんだなあとあらためて実感。

さてどこでパレードを観るかが大事だったのですが、普段幕張にいつもいて地理を熟知していましたので、一番空いているであろう場所へバスを降りてから直行。

場所はベイタウンと幕張市街地の間にある海浜公園。狙い通り11時の段階でここだけスカスカ。道路の片側を観客のための開放したので余裕で最前列のベストポジションを確保。

残念なのは、来る予定だったまるは氏がこれなくなったこと。

さて、パレードを迎えるにあたり、ネタを用意しました。使うのは先日ドームでの決勝戦で不完全燃焼に終わった「アジアの中心千葉」の横断幕。パレードの運営の人が「本当はお断りしているのですが...。」といいつつ列の最前列に置いてある柵に張ってよいと許可をくれたのでボビーや選手に見てもらえるベストポジションを確保できました。

051120_110820今日のネタ。それは横断幕の余白にこう書き込むことでした。

”Let’s make Bobby take office as the next governor”

和訳すると”みんなでボビーを次の知事にしよう”。

もちろんボビーは外人ですから知事にはなれませんが。元ネタはFC東京にいたキング・オブ・トウキョウ、アマラオ選手(現FCホリコシ)を都知事にというネタがあったことから来てます。(都知事はアマラオにって書きたかったが余白がなかった。)

さてパレードが来ました。肝心のボビーが横を通りましたが、こっちを観てくれないままスルー。残念。

051120_120741 パレードは小林雅や、清水ナオ、福浦らがオープンカーに個別に乗り、他の選手はバスに乗って手を振ってくれてました。マーくんはちっちゃな車で登場。M☆スプは優勝ペナントを持って歩いていましたが、音楽が掛かっていないのでなんか不自然。

  

051120_120955選手達に混じって一般のファンも京成のマリーンズバスに乗って参加。笑えたのが最後のバス。MVPの皆さんが乗車しているバスの狭い窓から半身をのり出しトランペットのいつもの演奏をしていました。

そのバスに乗っていた外国人の人が横断幕のメッセージを読んでくれてオオウケ。ちょっと報われたのでした。

まあ、そんなこんなでロッテ今年最後のイベントも終了。いい一年だったなあとあらためて思ったのでした。横断幕は取っとこうっと。来年シーズン中に使えるかも。

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2005年11月19日 (土)

ナミダのういいれ

昨日、本当に久しぶりに新作ゲームを買った。発売日にだ。いつ以来か忘れた。少なくとも結婚する前であることは間違いないから3年以上前か。

Jリーグウイニングイレブン9、いわゆるウイイレ9である。

私はこれが発売されるのを去年の今頃から待っていた。理由は1つしかない。徳島ヴォルティスがウイイレに登場する初めてのバージョンだからである。

 

ソフトをPS2にセットする。メモリの空き領域がないといきなりクレームがでる。仕方がないので古いゲームのファイルを削除して空きを作り再度スタート。

そして記念すべき初戦は徳島ヴォルティス対インテルミラノに決定。インテルが使えるのもウイイレ9を買う大きな理由でもある。情熱と人生をささげた愛する2チームが対戦できるのである。現実にはありえないであろう対戦が...。

試合はヴォルティスをプレーヤー(俺)が操作してスタート。スタメンは以下のとおり。

《徳島ヴォルティス》

GK 川北  DF 谷池、石川、谷奥  MF 筒井、鎌田、大場、片岡、田中

FW 林、大島

そう、全て大塚FC時代の選手ばかりである。

《インテルミラノ》

GK トルド DF コルドバ、ミハイロビッチ、サネッティ、ファバッリ

MF ザネッティ、カンビアッソ、ベロン、スタンコビッチ

FW アドリアーノ、マルティンス

試合は一方的なインテルペース、何とか凌いでいたがマルティンスにゴールされる。

それでも林のヘディングシュートがクロスバーを叩くなど反撃したが結局記念すべき初戦は0-2で敗れた。

そのあと、選手のエディット機能を開き、選手(キャラクター)の顔写真をメールに添付して関東隊の仲間、まるは氏に送る。まるは氏の感想、

林:びみょー。

大島&片岡:似ている方じゃない?髪形違うけど。

その後まるは氏よりのメールで”自分達が支えてきた自負がある奴らが、こうやって有名になるのを見るとなんとも感慨深いもんです。”と書いてきたのを読んだとき、ハッとしました。

そうだよな、こんな瞬間がくるなんて何年か前は想像つかなかったなあ。なんか泣けてくるなあ。

9年間応援するために追いかけ、叱咤し、勝たせるために考え、ネタを作り、ビデオ持って相手チームの情報収集に走り、怒り、喜び、そして泣いた日々だったなあ。

オダジ、見ろよ。ウイイレにヴォルティスが出てるよ。すっげえことだよ。

セレッソと試合させるから、お前あっちから操作してよ。俺、ヴォルティス動かすから。

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2005年11月15日 (火)

アジアの中心千葉

↑という横断幕を作ったのですが試合開始時と勝利直後に掲げたら警備に止められちゃいました。

職務に忠実な男だが可愛そうな人間だね。しつこくそんなこと注意して横断幕を掲げるファンを何人阻止しましたって報告書に書いても、そんなに会社が評価してくれるとも思えんが。

いやあ、それにしてもいい瞬間を過ごせました。パリーグ制覇の時も、日本シリーズも敵地でしたからね。マリンじゃないですがホームのファンの前で優勝できたのだから、チームもファンも本望だったでしょう。

それにしてもいつの間にあんなにロッテファンは増えたんでしょう。

昨日のことを振り返りますが、昨日はまるは氏が早出して列並びしてくれました(感謝)。ライト側は11時の段階で既に立ち見になる状態ということで、レフト側の列に並びました。

開場までは上記の横断幕を作りながら11日に発売されたDVDをまるは氏のポータブルプレーヤーで鑑賞。最後の方で電池が切れてプレーオフ3戦目のマサヒデ劇場の最中に画面が暗転するという不吉な予兆が。

051114_204848私は特製(?)のマリーンズハットを被り、サモラーノのメモリアルシャツ(勝負服)を下に着込んで戦闘態勢バッチリで臨んだのでした。

(モデル:Mマウス殿)

先発はシュンスケ。まるは氏はそもそも球速が遅いので不安とのことでしたが、DVDでのシュンスケの投球の秘密を見たら安心したそう。実は私も前日同じとこ見てたので今日は大丈夫だろと思ってました。ところがいきなりフェンスへ届く2塁打。これで私はテンパッてしまいました。3回途中までは祈るような気持ちで見ていました

3回、やっとこさ私はかつてここにかいた”楽しむ”気持ちを思い出して緊張感がほぐれ、その裏のベニーのタイムリーや4回のマサトに一発もあり、後はランナーが出ても、”シュンスケ、平気だよ。楽しめって。”、”ヤブタ、大丈夫だって、打たれネエよ”、”マサ、大丈夫だよ。楽しもうぜ”と自分に言い聞かせるようにできたので、9回のピンチも結構落ち着いて勝利の瞬間を待てました。

終わってみると初戦と同じで、サムスンはヒットはでますが、打球に角度がないのでシングルヒットばかりでした。でもいいチームでしたね。

正直、チケットあっさり買えたので、選手もファンもこのシリーズへのモチベーションはどうなのかなって思ってたのですが(交流戦のときみたいに胴上げしないのかなと思ってました。)、終わってみるとアジアの覇権を掛けた試合にふさわしい盛り上がりと緊張感のある試合でよかったなと思います。優勝できたことも嬉しいけど、そっちの方が嬉しいです。

 

P.S 昨日の疲れが出たのか今日は朝から体が痛い。昨日はドーム行く前に子供の誕生日プレゼント(明日)を買いに、三越恵比寿店のババールまで行きました。正味15分ほどで買い物を済ませ、急ぎドームへ向かうという強行軍も影響した様子。

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2005年11月14日 (月)

対山形戦

ここ3試合で2勝1分けですか。一時の苦しい時期を乗り越えて復調しつつあるようで何より。

山形は連敗中ってことで、こっちが連敗してたときの相手(京都、甲府、仙台とか)とチーム状態が違い、悪い流れに乗っちゃっている状態だったことが結果に影響していたと思います。

でも攻撃の形(小林に当てて小山が飛び出す)は何度かできていたので、この形を活かすためにもサイドからの攻撃の精度(フィニッシュにまで持っていくとか)を高めて、攻撃の形を増やして欲しいなと思います。

話は変わり、

この時期になると昇格レースに絡んでいないチームの場合、試合の評価やコメントに”来期につながる何かを”って形で括る人がプロアマ問わずいらっしゃいますが、私はこういうコメント好きじゃありません。だいいち契約についてデリケートな時期に、来期いるかもわかんない選手が来期のこと考えながら試合にでるわけないからね。

だから選手には残り2試合のホームゲームでお客さんを楽しませてください。もちろん勝てればいいですが、結果度外視してもお客さんを沸かせる試合をプロとして見せてやって欲しいです。

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2005年11月12日 (土)

第1章 1997年 4.決意(2)

「毎年、こんな暑い中でやってんのか?」とヨシヤがクーラーから氷を取り出しほおばりながら俺に訊いた。

「いや、俺も記憶にない。ていうか今思い出せない。」と俺。それは本音だった。今昔のこと思い出せなんていわれても頭が回転しない。早く試合が終われ。勝ち負けはどうでもいいと冗談で考えることすら難しいほどスタジアムを包む俺達に関係ない熱さの中にいた。

「それにしても、もう選手誰も動いてないぞ。試合になってない。」とヨシヤがまた嘆く。

わかってると声には出なかった。俺達は何かに取りつかれているかのように応援を続けていた。俺はユウタロウの頭と自分の頭にペットボトルに入れた水を被せた。

女の子達も顔を真っ赤にしながら声を出し、メガホンを叩いていた。

試合は何事もなく前半が終わった。シュートは記憶にない。ただボールだけが行ったり来たりしているだけだった。選手達もうつむいたままロッカールームに引き上げる。GKのカワシマでさえしかめっ面のまま引き上げていった。

「しかし、想像していた以上にキツイな。」と俺はクーラーから冷えたお茶の入ったペットボトルを受け取り、栓を開きながらヨシヤに話しかけた。ヨシヤは無言で頷く。

「こんな持久戦じゃいつ点が入るのか判らない。延長もあるかもな。」

「カンベンしてほしいな。」とユウタロウ。

「中東でやる予選ってこんな感じですかね。」とケイタが訊く。ワールドカップ予選で日本代表が中東で予選を戦っていた。それをイメージしていたようだ

「いや、こんな湿度はないと思う。」とヨシヤが答える。

俺はそんなやり取りをただ黙って聞いていた。こんな状況でも試合中は一番声を出していなきゃならない立場の俺は、ハーフタイムによくそんな会話ができる余裕があるなと思いながら、連中を眺めていた。

ぞろぞろと選手が出てきた。

「さぁ、行こうか。」と俺は声を掛けた。皆がキツイ目つきに戻る。戦いは最低でもあと45分もあった。

後半に入っても試合は膠着したままだった。だが選手達は俺達以上にキツイはずだったがしたたかでもあったようだ。20分を過ぎたあたりからまた選手達は走り始める。それでもいつもよりも緩慢ではあったが、その姿は俺達に声を出せとムチを打った。

気温は上昇し続けているにも関わらず、次第に双方のエリア間を行き来する人数が増えていく。

“やっぱり、普段から運動しているヤツらは違うな”と俺は思った。俺達は皆限界一杯の中で声を出していたが、何故か休むということができないでいた。ただ何かに引っ張られるような感じで声を出し続けていた。俺は気づかなかったがヨシヤも俺の後ろで必死に声を出していた。

30分過ぎ、チャンスが来た。右サイドのソウバからのアーリクロスがゴール前に上がる。マルセーロと相手GKが競り合い、GKのパンチングでこぼれたボールがMFヨシマキの前にこぼれた。

ヨシマキは疲れていたが目の前に転がってきたボールをシュート。ボールは少しフカシ気味に上ずってクロスバーに当たって跳ね返り、ゴール前にいたマルセーロに当たってこぼれた。マルセーロはハッとして振り返り、こぼれたボールを押し込もうとした。

相手GKも慌ててボールを押さえようとする。

2人が交錯した直後、ボールはゴールネットに突き刺さった。俺達は歓声を上げた。

しかし主審はファールを告げる笛を吹いた。どうやら交錯したときにGKへのファウルをとられたようだった。猛然と抗議するマルセーロにイエローカードが提示される。ハヤシバラとアソウがマルセーロをなんとか抑えたが、俺達はというと疲労に落胆が加わり、ブーイングすらできない状態となっていた。

40分過ぎ、今度は敵のスルーパスがDFラインの裏へ抜けた。フジマの選手とGKカワシマが交錯する。今度は敵のファールとなった。が、カワシマはそのまま動けない。

トレーナーが近づく。しばらくして両手で“バツ”をベンチに向かって示した。どうやら顔を負傷したらしい。

タンカでカワシマが運ばれ、GKには今期初出場のマツハシが入った。

「大丈夫ですかね、マツハシ。初めてでこんな状況で...。」とケイタが訊く。

俺は答えなかったが、確かに嫌な予感がしていた。

こんな状況では試合に入っていくのはいつも以上に大変ではないかと思った。試合に出ている選手は暑さの中でも集中力を高まっているはずだったが、サブの選手、しかもアクシデントで急に入ったGKは待っている間、集中力を高めていられるとは思えなかった。しかも残り5分の場面だ。

悪い予感は的中した。再開して数分後、マツハシはバックパスをキックミスした。ボールは運悪くフジマのFWに渡ってしまう。

クゲが慌ててチェックにいくが、相手はフェイントで冷静にかわし、フリーでシュートを放った。ボールはマツハシの右をすり抜けゴールネットに突き刺さった。

0-1。試合はついに動いた。

歓喜に沸くフジマの選手を数少ないサポーター。俺達はただ呆然とそれを眺めていた。だがすぐにコールを叫ぶ。それはこの試合初めて湧き上がった勝負への執念というより、何かに突き動かされてでた声だった。

“ミクーニエフシー!ミクーニエフシー!”全員が再び声をあげ、太鼓のリズムがまた始まった。

そして試合は終わった。笛が吹かれた瞬間、ユウタロウはその場に倒れてしまった。俺は膝に手を突き俯いた。悔しさというより虚無感しか感じなかった。

選手達が挨拶にくる。マツハシは涙してアソウに支えられながら来た。俺達は手を叩くまでもなく呆然としているしかできなかった。この試合が極めて大事だったわけではない。が、つぎ込んだ気力はそれに匹敵していた。ケイタロウは膝を抱えさっきから泣いている。女の子達も泣いていた。俺は何も考えられなかった。

しばらくして我に返り、ケイタロウの肩を叩き後片付けを俺達は始めた。横断幕を外そうとするとヨシヤが手伝ってくれた。ヨシヤの顔は皆と同じように日焼けしていたが、えらく真剣な目つきになっているのに気づいた。ヨシヤは片付けの最中ずっと無言のままだった。

片付けが終わるとヨシヤはようやく話し始めた。

「残念だったな。」と一言。何かを考えているように見えたので

「どうした。何かあるのか。」と俺は訊いた。

「いや、なんでもない。」とヨシヤは答えた。

そして「また来る。」とだけ言い渡して帰っていった。俺はヨシヤの姿に何かを感じたがそれが何なのかはわからなかった。

ヨシヤは帰りのバスの中でも真剣な顔で考え事をしていた。そして、バッグから手帳を取り出し何事かを調べ始めた。駅に付いてバスを降りると携帯電話を取り出し、誰かに電話を掛けた。会話が20分近く続いた後、ヨシヤはキッとした表情で駅のホームへと向かった。その表情はバスの中での考え込んでいる表情とは違っていた。

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2005年11月10日 (木)

ホームランが...

今日は東京ドームへコナミカップ初戦、千葉ロッテマリーンズ対サムスンライオンズ戦に行きました。席はまるは氏が先乗りして確保してくれたので久々に外野スタンドにて応援。

会社を出て、ドームに着いたのは3回。ライトスタンドポール際の席でした。

それは4回裏でした。

バッターは橋本。カキンと打った打球はライトスタンドへ飛んできました。

「やったあ」と喜びながら打球を目で追うと、ボールは高々と上がりある一点でピタッと止まりました。いや、止まったように見えたのです。ボールは小さな点から次第に大きくなっていきました。

そう、打球は私の視線と重なったのです。つまりホームランは一直線に私に向かって飛んできたのでした。

「うわあ」と一転して大慌て。私の隣(まるは氏と逆)の人はダッと逃げ出します。そしてボールは私の50センチほど隣にガツンと落ちました。

ホームランて飛んでくるとあんなに怖いモンなんだあと実感。後ろの席の女性はこの際にケガをしたらしく、つらそうな顔をしていましたが5回に彼氏と一緒に帰ってしまいました。大丈夫でしょうか。せっかく来たのにね。

試合はめでたく勝利。サムスンはヒットは打ちますが打球に角度がなくシングルヒットばかり、でもセンスのいいバッターが多いようで侮れない相手でした。決勝で再戦となるでしょうか。

明日の台湾戦も頑張れ。

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2005年11月 4日 (金)

総統の記念すべき日

051103_121143 さて、昨日は各地で天皇杯4回戦が行われました。

私は宮崎ショックボーイズ総統が応援するホンダロックSCの対鹿島アントラーズ戦の応援に加勢するため、遠くカシマサッカースタジアムまで行ってまいりました。

 

 

051103_124117総統と鹿島アントラーズ(というかアントラーズサポーターグループのインファイト)はとても縁が深く、このカードが決定した時の総統の喜びようは表現できないものがありました。とにかく、この試合は総統のためだけにあるといっていい試合なのでした。

この日は元関東隊仲間のまるは氏も参戦。前日まるは氏より
「久しぶりにあの断幕はりますか?」
とのメールがありました。
あの断幕というのは、関東隊時代に対横浜FC戦のために作成したメッセージ横断幕のことで、それには簡単にはやられないぞという意地を込めたことが書いてあり、当時私が一人で作成した力作なのでした。

以後、主に天皇杯でJ1チームと対戦するときに使用していたのですが、ここ数年は私の手元になく、誰が持っているのか正確に把握していませんでしたが、まるは氏が所有していると知り、総統に許可をもらえたら使おうということで持ってきてもらったのでした。

総統は快く許可してくださったのですが、まるは氏の到着が試合開始直前になったこともあり、貼り出しはせず、キックオフ直前に手持ちで掲げることになりました。

さて、試合は大方の予想通りアントラーズの一方的な展開となり0-7で敗れました。
ですが、後半にはあわや1点というシーンもあり、ロックは讃えられるべき健闘をいたしました。
元々この試合は前述の通り、総統のためだけの試合と言ってもいい試合だったので、結果は残念でしたが私の心に残る良き日となったのでした。私にもこのような試合を迎える日は来るでしょうか。

余談ですが、前述の横断幕には歴戦のジンクスがありました。それは掲げた試合は大敗するというやつで、下記の通り、多くの試合で5失点以上しています。

 2000年 5月28日 対 横浜FC戦(JFLリーグ戦)       2-6
 2001年12月 9日 対 ジェフ市原戦(天皇杯)         0-5
 2002年12月15日 対 名古屋グランパスエイト戦(天皇杯) 0-2
 2003年12月14日 対 ジェフ市原戦(天皇杯)         0-5

相手が相手だけにとは思っていましたが、今回もやはりそのジンクスは生きていたようです。総統ゴメンネ。

051103_121829 久々に食べたカシマサッカースタジアムの名物もつ煮はおいしかった。
それにしてもカシマは遠い。帰りは電車の連絡が悪く(毎度のことなので覚悟していたが)、まるは氏は相当苦労して帰ったのではと思います。

でも日本平行くよりよかったかも。

えっ、横断幕には何て書いてあったのかって?
それは、この先”ゴール裏物語”で出てくるので楽しみにしていてください。

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