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2005年12月31日 (土)

2005年も終わり

私にとってとりわけサッカー絡みで激動の1年が終わろうとしています。

徳島は念願のJ参戦を果たし9位でフィニッシュしました。いろいろな意見があると思いますが私はよくやったと思います。現状ではJ1昇格するには経験も戦力も足りないなかでの9位は十分に価値があると思います。会社も初年度を上手く乗り切ったと思います。

来年はどのような戦いとなるのかはわかりませんが、あえて予想すると

・リーグ中期で3位まで浮上。

・6~8位でフィニッシュ。

というのが私の予想です。まず選手層が薄いのと、けが人が来年も多そうだなと思われること、多くの選手が高齢で若いラッキーボーイ的な選手が出てきそうに無いということが理由ですが、是非ともいい意味で裏切って欲しいと思います。

会社がサポーターをうざがっていて言うことを聞いてくれないという意見を聞きました。それについて私なりに考えたことを簡単に書きます。

Jにあがるといろいろな人間が選手や会社と関係を持ちます。中にはご意見番みたいな存在になってチームに発言力を持とうとする人間も出てきます。そういう人はしょっちゅう事務所にやってきてはこうしろ、ああしろ、俺にまかせろって言うんですね。

サポーターの意見を優先して聞いちゃうと、こういう輩に「俺の言うこと聞かないのに、何故あいつらの言うことは訊くんだ。」と突っ込まれちゃうんですね。だから、言うことを訊いてもらえるようにするには人間として信頼関係を築いてからでないと難しいと思います。

だから来年はまずフロントの人達と仲良くなるようにしてください。いい印象をお互いが持てるようになってからでないと話は聞いてもらえないと思います。

また、念願のカード、柏対徳島がJの舞台で実現することも見逃せません。柏にとっては再建の年です。まず選手、フロント、ファンやサポが理解し合えるようにしなくてはなりません。難しい問題ですが、来年末には愛されるチームとなっていて欲しいです。

決して選手への妄信的な愛情ではチームは再建できません。

 

このブログを始めて半年たちました。関東隊をモデルにした「ゴール裏物語」も始めました。どのくらいの方が読んでいるのかわかりませんが、来年も続けますのでどうか読んでください。

来年は自分を縛ることなく、やりたいことを挑戦していきたいと思います。

それでは皆様よいお年を。

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2005年12月23日 (金)

あやかちゃんを救おう3

 ちょっと久々の更新になってしまいました。理由は子供の胃腸炎が感染して倒れ、回復後は仕事のリカバーで忙しかったからです。

 ウチの子供は胃腸炎に罹っているのに見た目は普段どおりにパワフルでした。でも夜になるといきなり吐いたりして。しかも感染するってことが今回初めてわかりました。ウィルス性腸炎と知ってたんですから、感染するって気づいてない方がおかしかったのですが。

 保育園でも流行してるそうで、同年代(2歳前後)のお子さんお持ちの方は十分気をつけてください。

 

 さて、12月上旬にアメリカに渡ったあやかちゃんは、12月18日に無事移植手術を終えました。現在はICUで治療中です。

 今の私の感想は何はともあれ良かったという感じです。もちろん、これからが大事なのですがあやかちゃんとご両親には光が射してきたと思います。

 人には寿命というものがあります。生物学的な老衰による寿命と、運命的な寿命という2種類に分類されます。

 後者には病気や事故により亡くなることが含まれます。今回のあやかちゃんのケース(同様の子供が世界中に大勢いますが)は後者が近づいていたと思えますが、後者は人の力や努力、考え方によっていくらでも遠ざけることができるということを証明したケースの一つに加わったと思います。

 私も今は2歳の子の親ですが、子の親となって強く感じるようになったのは、小さな子供が幼くして亡くなるというのはとても悲しいということです。それを寿命だの運命だので片付けたくはないです。

 以前、私の知人で子供が殺された事件を指して「子供の方が悪い」と信じられない発言をした人がいました。その人は今度結婚するそうです。彼が今後父親になるかはわかりませんが父親になったとき、私が感じたように子供というものをよく感じて、そして考えいい父親になって欲しいなと思います。

 私はユニセフに毎月募金をしています。きっかけはイバン・サモラーノがユニセフの親善大使をしているので、彼の仕事に間接的でも協力したいという気持ちからなのですが、私の募金でアフリカ等で病気に困っている子供達が一人でも救えればと思うのです。

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2005年12月10日 (土)

第1章 1997年 5.クルセイド横浜(2)

 試合当日、ヨシヤは4人の同乗者を乗せワゴン車で岩手県宮古市の運動公園に到着した。そこは宮古湾の最も奥に面した海のすぐそばの場所にあった。

 ヨシヤは駐車場に車を入れた。 “それにしてもJFLの会場って遠いンだなあ。”とヨシヤは実感した。

 ここに来るまでに2度コンビニで道を確認するはめになっていた。Jチームの応援で何度も遠地に行っているヨシヤでさえもここは遠く感じられた。競技場周辺はガランとしていて、Jリーグでは試合当日の競技場周辺にいる開場待ちの人はだれもいなかった。会場スタッフすらも見当たらなかった。

“本当にここでいいのだろうか?”とヨシヤは辺りを見渡した。

「ここで間違いないんじゃないですか。」と車に同乗していた一人の青年が話しかけた。

「オウ、間違いないとは思うンだけど...。とりあえずメイン行ってみようか、サクちゃん。」と話しかけてきたサクライという青年にヨシヤは答えた。

 

 ヨシヤはこの間のフジマ戦の後、一念発起してある行動を起こしていた。彼は自分が普段応援しているJチームのサポ仲間の何人かに電話を入れ、ミクニサッカー部の応援をしないかと持ちかけていたのだった。

 声を掛けたのはJFLにも興味があって、所属するサポーターグループのしがらみのない友人に限った。サポーターグループのしがらみがあると他のチームの応援に刈りだすために、グループのリーダー達にクレームをつけられる可能性が高かった。
 遠地にも行くので時間的にも金銭的にも負担をお願いすることになるので比較的金銭にも余裕がある人かも考慮した。

 この厳しい条件に合致したのは3人だけだったが、幸いにも3人とも快く引き受けてくれた。3人とも以前からヨシヤが一緒に何かやりたいと思っていた友人達だったので、この顔ぶれはヨシヤにとって理想的なメンツだった。こうして、サクライ、ムラタ、タケイ、そしてヨシヤの4人のグループが今日ミクニサッカー部の応援をすることになった。

 

 ヨシヤが連れてきたもう一人は彼女のクミコだった。Jチームの他にJFLのミクニサッカー部の応援まで始めることを聞かされたクミコはヨシヤのサッカー馬鹿ぶりに最初は呆れもしたが、その熱意が尋常でないことを感じ取り黙って好きにやらせることにした。クミコも他の3人とも旧知の仲だった。

 

  ヨシヤ達は競技場のメインスタンド裏の正面入口まで来た。だが誰もいない。メインスタンドへの入口もシャッターが閉じたままだった。ただ対戦カードと試合開始時間を書いたボードは置いてあったのでここで試合することだけは間違いないようだった。

 ヨシヤは「オイオイ、ずいぶんと遠方からの客に冷たいトコだな。」と冗談を言った。

 皆が苦笑いし、ムラタが「向こう行ってみましょう。」と正面入口の先を指さした。そのまま競技場沿いに進むと、マラソンゲートに辿り着いた。そこは競技場の中が覗け、グラウンドでは今日の対戦相手“みちのくホイールズ”の選手達がアップをしていた。

「スイマセーン、入り口どこですかあ?」とヨシヤは大声で問いかけた。

ストレッチをしていた選手の一人が「正面入口ですぅ。でも開場は12時なのでそれまでまってくださあぃ。と大声で答えた。

12時までには1時間以上ある。そのまま競技場を一周したがホイールズサポーターもまだ一人も来ていなかった。

「スイブンのんびりしてるんだなぁ、JFLってとこは。」とタケイが感心したように皮肉を言うと、

「こんなもんじゃないか。日本リーグ時代みただね。」とサクライ。

「荷物持って正面行きましょう。選手達ももうすぐ来ますよ。アイサツしましょうよ。」とタケイがヨシヤに提案した。

 ヨシヤ達は太鼓や、突貫で作成した横断幕を持って正面入口へ戻った。正面入口に着くと、ちょうどミクニサッカー部のバスが到着したところだった。

 ヨシヤ達は急いで横断幕を広げ、バスの乗車口のすぐ前に立って選手がでてくるのを待った。サクライは太鼓を担ぎ、マレットを握って準備する。しばらくして監督のファビーニョが降りてきた。

 サクライが太鼓を叩きはじめ、ヨシヤ達がコールを叫ぶ。

「ミクーニエフシー!(ドンドンドドドン)ミクーニエフシー!(ドンドンドドドン)」

 ファビーニョは少し驚いたような表情をした後、ニッコリ微笑んで競技場に入っていった。

 選手達は驚いたような表情や、恐縮したような表情をしつつ、コールの中を通り過ぎていく。

 最後にセキネがバスから降りてきた。ヨシヤはセキネに話しかける。

「セキネさん、オツカレサマです。俺達、横浜から来たんですけど、今日は菅野くん達が来れないので、俺達が代わりに応援やります。よろしくお願いします。」

 セキネは一瞬戸惑った表情を見せたが、そうですか。そういえばフジマの試合でゴール裏にいましたよね。」とヨシヤを指していった。試合にでていなかったのにセキネはヨシヤを覚えていた。

「ええ、よく知ってますね。あの試合出てなかったですよね。どこで見てたんですか。」

「メインスタンドから見てました。見慣れない人が応援に加わってるなあと思ってたので。」

ヨシヤは何となく嬉しくなった。そして予想していなかったセキネの発言にやる気を奮い立たされるのを感じた。サクライ達も同じことを感じていた。

「今日は俺達頑張るンで、ゴール決めてください。」とヨシヤはお願いし、

「頑張ります。」とだけセキネは答え、ニコッと笑い、荷物を背負って競技場に入っていった。

ふと見るとコーチと一緒に荷物を運ぼうとしているメグミがいた。

「よお、メグミちゃん。タクマに言った通り来たから。」

「あ、こんにちは。ありがとうございます。」とメグミが答えた。

「タクマ、なんか言ってた。」

「ウーン、特に言わなかったけど、なんか今日行かれないの凄い悔しがってた。以前にも行かれなかったことあったのに..。」

“やっぱりな”とヨシヤは思った。「試合終わったら、俺からタクマに連絡するから。」

「そうですか?でも何でこんな遠くまで来る気になったんです?」とメグミは訊いた。

「ウーン、そうだなあ。おんなじ匂いがしたからかな、君のカレシに。」とヨシヤは答えた。

「ハア?」メグミはピンとこない様子だった。

 

12時開場。ゴール裏へ回り横断幕を張っているときクミコがヨシヤに話しかけた。

「なんか嬉しくなっちゃうよね。あんな選手いるんだね」

「俺も初めて。なんかスゲエやる気沸いてきた。来て良かったなあと思う。」

「まだ試合始まってないじゃん。」とクミコは笑う。

「うん、そうなんだけど。あんなこと選手から言われたらやる気沸くじゃん。Jでは無いもん。」とクミコの方に向き直って答えた。

“ゼッテー勝ちたい。”とヨシヤは思った。それはサクライ達もクミコも同じ思いだった。

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2005年12月 3日 (土)

去りゆく選手達へ..感謝

ぎりぎりまで混戦となったJ1とJ2が終わりました。

私はというと家で2画面にしてJ1優勝争いとJ2の3位争いをパラレルで観るという贅沢を満喫。個人的には甲府の方が好きなのですが、仙台の方が...という微妙な感情を抱きながら観ていました。

さて、徳島は最終的に9位でフィニッシュ。

私はシーズン前の友達との予想で「良くて8位、10勝くらい、勝ち点は30(10勝分)。」と予想。勝ち点はさすがに計算違いをしたようですが、順位(9位)と勝利数(12勝)は大体的中できたかなと思います。

厳しい予想ですが、勝ち点と草津の勝ち点を比較しても初年は大健闘だったと思います。来期は将来も見据えたオフシーズンの動きも含めて、それこそ今日から始まっていると思います。おそらく相当厳しい状況が待っていると思いますが頑張って欲しいです。

 

話は変わり、徳島から今期限りで退団する選手が5人います。

川北選手。おととしのJFL、ソニー仙台とのアウェーリーグ戦。七ヶ浜でした。本隊不来の関東隊オンリーの試合でした。試合中、徳島の選手がファウルを取られたとき、メンバーG君が「レフェリー、ファウルじゃねえよ~。」と言うと、遠く離れたゴール前から川北選手がこう叫びました。

「審判に文句言うな~!」

観客スカスカの状況で反対側にいるサポの文句すら聞き取れる状況だったからとはいえ、選手から試合中にそんなことを言われるとは。

彼はチームメイトが言ったと思ってたのかもしれませんが、その後試合中にG君が文句をいいそうになると「また川北に怒られるぞ。」とからかったりしたのでした。

去年の草津戦での負傷以降、結局公式戦のピッチに戻ってこれなかったのが残念です。でも、できればまだどこかでプレーを続けて欲しいなと思います。

 

谷奥選手。特に個人的思い出はないのですが、彼が加入すると知ったとき、これでディフェンスは相当強化できると喜んだのを覚えています。

 

田中選手。JFL最後のシーズンに加わりましたが、吉成のいたポジションの後釜だったせいもあり、比較せずにはいられませんでした。正直言って最初に観た試合の印象でもかなり頼りなく見えました。申し訳ないが結局最後まで頼りない印象が拭えなかったのですが、トップ下らしいセンスは豊富に持っていて、もっとエゴイスティックだったらブレイクしたかなと思います。

 

小峯選手、徳島の選手というよりは東京ガスの選手って印象が強いです。本人はいろいろなチーム渡り歩いてるんですけどね。彼だけはコメント難しいです。

 

原田選手。彼は関東隊にとって特別な選手の一人です。私個人も試合後とか親しくいろいろ話をしてもらいました。気持ちの伝わる選手でした。彼と大塚FCで出会えたことを幸運に思います。アローズに来期もいるのかわかりませんが、来期は彼のいるチームの試合を観たいと思います。

去りゆく選手達に...We wish you well。

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