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2006年5月22日 (月)

”生きる”

あやかちゃんのことについては前回に書いたので、そこで終わりにするつもりだったのだが、先日印象的なことがあったのでもう一回だけ〆として一言書こうと思う。
 
何があったのかというと、あやかちゃんが亡くなる数日前に生まれた妹の子供に会ってきたのだ。3500グラムある大きなあかちゃんであった。ベビーベッドで弱々しくも手足を動かす姿は、わが子の生まれたときを思い出させた。と同時にあやかちゃんを思わずにもいられない。思わず小声で「あやかちゃんの分も頑張れよ。」と声を掛けてしまう。
3500グラムあるとはいえ赤ちゃんは赤ちゃんである。やはり小さい。でもちゃんと生きているという当たり前だがとても神秘的な事実に感動を禁じえない。”生きる”ということは素晴らしいことだなと再度実感する。
 
”生きる”
  
”生きる”ということはよくいろんなテーマで語られることである。人間だけでなく野生の動物の生と死の物語や、時々小さな微生物のレベルにまで突き詰めた物語を映像とあわせて語るテレビのドキュメンタリーを観ることがある。そのような番組で”生きる”について付けられるテーマは厳しさや神々しさなど様々である。

 
あやかちゃんが亡くなってから、最近の私は”生きる”ということについていろいろ考え続けた。
 
”生きる”
 
”生きる”とは全ての喜びの根源でもあり、全ての欲の根源でもある。生きているからこそ喜びがあり、生きていくために様々な欲が生まれる。その欲によって別の人の”生きる”が途絶えることもある。
ひとことでは”生きる”ということが善なのか悪なのかはわからない。そういうものではないとも言えるが現実に誰かが”生きる”ために誰かが死んでいるということは、野生の動物の世界ではルールといってもいい。”生きる”とはとても重いことだと思う。

簡単なことではない。”生きる”とは。
 
よく”死ぬ”ことを運命とつなげて語ることがあるが、今回のことで、私は”生きる”ことこそが運命なのではと思った。
”生きる”からこそ背負うものがある。”生きて”いるからこそできることがある。”生きて”いるからこそやるべきことができる。
”生きて”いるからこそ、あやかちゃんのことが悲しい。でも、だからこそ悲しみから立ち上がり、そして彼女のためにできることをやれる。こうしてブログで語ることもできる。彼女のためにも”生きる”ことを続けなくてはならない。
 
私をこの道に導いた人とのことにも言えるが、残された我々は”生きる”運命を受け入れて、次の時代に活かしていけることを伝えなくてはならない。”生きる”からこそ。
 
あやかちゃんにとっての”生きる”については色々意見があるだろう。そうでなくても重いテーマなので私ごときがそんなことを語れるはずもないので、自分も含めた範囲で考えてみた話を書いてみた。
話が支離滅裂になってしまって申し訳ない。まだ整理しきれていないのだ。だがとにかく今伝えたいことだったので書いた。
 
”生きる”とは何か。みなさんはどう思うでしょうか。

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コメント

渦帝殿へ。

 申し訳ありません。勝手にトラバさせてもらいました。こういうことは、なかなか難しいのですが、書かずにはいられませんでした。

 取り急ぎ、ご連絡申し上げます。

投稿: ike | 2006年5月23日 (火) 21時17分

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