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2006年7月 7日 (金)

負けないで、ヒーロー

私のいとこは私が中学生の時に亡くなった。肺癌だった。

あれから35年以上経った。医学はかなり進歩し、癌が完治する確率はかなり高くなった。それでも癌に対する不安はかなり高い。かなり治るようになったとはいえ、気付いた時には癌ができているというパターンがまだ多いからだ。

この一月の間に二人の有名なスポーツ人が癌を患って休養することになった。一人は福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督、もう一人はプロレスリングノア所属の人気プロレスラー、小橋健太選手である。偶然にも二人とも胃癌の可能性が高い。

実は二人とも私にとってはヒーローだったので衝撃は大きかった。

小学生時代、野球に目覚めた時の最初のヒーローは王さんだった。長嶋さんは既に引退して選手ではなかった。初めてプロ野球を観にいった時に初めて観たホームランを打ったのは王さんだった。ロッテを応援していながら、実はいまだに王さんのサインは欲しい。

99年だっただろうか。ホークスがリーグ制覇をして王さんが初めて胴上げされた時は思わず涙した。王さんは巨人の監督時代にも一度リーグ制覇しているが、その時は巨人の移動日に二位のチームが負けたことでの優勝決定だったので、実は胴上げはしていないのだ。胴上げのチャンスは前日に試合で、それこそあと1イニングのところまで来たのだが、当時の抑えのエース角(すみ)が打たれ、逆転負けして逃していた。

なぜ、そんなことを詳しく覚えているのかというと、その試合を私は自宅で父親と一緒にテレビ観戦していて、王さんの胴上げを二人して待っていた。しかし、まさかの敗戦。

「明日は試合ないけど二位が負けたら優勝だね。」と父は話していた。

しかし、翌日、父は不意の事故に遭い突然この世を去ってしまった。亡くなる寸前の意識のない父に私は巨人の、というより王さんの優勝を報告した。

これは全て本当のことである。だから、王さんへの思い入れは本当に大きいのである。その王さんが大病と闘うことになった。お願いだから病に勝ってほしいと心から思う。

小橋健太選手は、社会人になって頻繁にプロレスに通うようになったときのヒーローの一人だ。私は全日派で、当時の四天王、三沢光晴、川田利明、田上明、そして小橋健太の熱闘に夢中になった世代なのだ。

小橋選手は四天王の中で最も若い。当時は、今でもそうだが、気持ちの伝わる熱い選手として人気があった。こぶしを握り締めてから、コーナーへ登り、ムーンサルトプレスを放つのがフィニッシュホールドで、四天王同士意外でもスタン・ハンセンとも印象に残る死闘を繰り広げた。

今は殆どプロレスに行く機会が無くなったが、小橋選手のファイトにはガッカリさせられたことは一度としてなかった。鋼のような筋肉の塊のような盛り上がった肉体、気持ちのこもったチョップや、ラリアット等、どれをとっても魅せてくれる選手で彼もまたヒーローというに相応しいオトコだ。だから、そんな小橋が癌で休養すると聞いたときは驚いたと同時に負けないで欲しいと真剣に願った。

医学が進歩しているとはいえ、癌は発見時期や部位、転移等により未だに恐ろしい病気のイメージを保っている。今まで多くの強敵や困難に打ち勝ってきた二人にとっても、今度の敵はとてつもなく強敵だと思う。

だからこそ、負けないでヒーロー。頑張って、ヒーロー。ボクのために、みんなのために。

二人に玉置浩二の「正義の味方(ヒーロー)」という曲を捧げます。

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コメント

さっさと戻ってきやがれ!貞治
俺たちはあんたが指揮してる鷹を破って一位通過するんだからな
森脇なんて小者が指揮するチームなんて勝って当たり前
世界一の代表監督を破って優勝するんだから!
さっさと帰ってこいよ!こっちは首を長くしてまってるからな!

って事で今から神戸・大阪遠征にいってまいります

投稿: マルは | 2006年7月 7日 (金) 22時09分

まるはどの、ガンバッテ。

ちなみに小橋選手は6日手術を行い、無事成功したとのこと。

投稿: AWAN渦帝 | 2006年7月 8日 (土) 06時46分

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