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2006年9月 6日 (水)

生きている証のために

私は大塚製薬サッカー部に心血を注いできた。ヴォルティス徳島とも言えるが。

私は大塚製薬サッカー部に人生を注いできた。もう一つのすぐ身近にいたチーム(少しばかりこっちのほうが出会いは先)にも人生を注ぎながら。

かつて大塚製薬サッカー部にはいい人達が一杯いた。かつての選手にも、かつての監督にも、かつてのスタッフにも、もちろんサポーターにも。だから人生を注いできた。

今は徳島ヴォルティスと名前を変え、選手もスタッフも変わった。サポーターにも変わってしまった人もいる。もう会えない人も。なぜか監督だけ変わらないが。

ヴォルティスが危ない。

秋葉と尾上がこの時期に去ったことで、今まで見えていたつもりの病巣が実はとてつもない大きな病巣であると皆が気づかされた。

私はJ加入以前の最後の年にいろいろあって、サポーターの前線から身を引いた人間だ。だから今まで少し後ろからヴォルティスを見ていた。動かないことを自分に課してきた。

だが今のヴォルティスを見ているのは痛すぎる。

自分に問う。何かやれることをしなくてはならないのではないか?今のお前がいるのはかつてのお前のおかげではないのか?お前の娘の名前の由来はなんだ?

動こう。生きている証のために。

水戸へ向かえ。お前自身の証のために。

 

P.S

フロントは「サポーターやファンの皆様との対話集会」を開催すると告知した。フロントからしてサポーターとファンを分ける感覚におかしなものを覚える。我々側がサポーターとファンは違うというならわかるが。

だが、彼らも四国ダービーに負け越し、秋葉と尾上が去った直後に急遽開催するのは偶然ではあるまい。今開催すれば答えにくい質問にも晒されるし、話合いどころか進退や責任の所在しか要求されないで終わる可能性も秘めている中で行うのだから、彼らもギリギリなのだろう。

サポーターはどう臨むか?声を荒げて責任を追及するだけでは、鬼の首は取れてもファンやスポンサーに疎まれて終わるだけになってしまう可能性もある。それではこれから先やってくるかもしれないさらに苦しい時に孤立してしまう可能性もある。

だから一番、チームを変えたいと思っているサポーターほど、今度の集会を大事にしないといけない。田中監督解任を約束させることや、社長やGMの辞任を約束させることを目的にしてはいけない。ビッグクラブならまだしも、徳島ヴォルティスは会社としても2歳の子供なのだということを絶対に忘れてはいけない。

最低限このような開催を次回もそれも短い間隔で定期的に行えるようにする必要がある。我々がチームに物申せる機会を荒れた場に最初からしてはいけない。この機会が途絶えたら、我々はチームを変える力を失いかねない。だから大事に臨んでほしい。

仮に約束させられるとしても、それは十分に冷静に行ってほしい。”とりあえず田中は嫌だ”という感情だけで走ってほしくない。

集会に行けないので切にお願いしたい。

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