« ダービーなんて言う前に... | トップページ | 生きている証のために »

2006年9月 5日 (火)

ファッケッティ会長逝く

インテルミラノのジャチント・ファッケッティ会長が急死されました。スーペルコッパでローマに勝利した時、マンチーニ監督や選手達がコメントで「今日こられなかったファッケッティ会長にささげます。」とコメントしていたので病気なのではと思っていましたが、あまりにも急な訃報でした。

インテルに詳しくない方はファッケッティ会長のことも詳しくないと思いますので簡単に紹介します。

ジャチント・ファッケッティは1942年7月18日に生まれ、16歳の時にインテルに入団しました。セリエAデビューは1961年5月21日です。当時の監督エレニオ・エレーラに重用され、攻撃と守備の力を備えたサイドバックとして活躍しました。

インテル

試合出場 476試合

スクデット4回

ヨーロッパカップ2回

インターコンチネンタルカップ2回

コッパ・イタリア1回

イタリア代表

試合出場 94試合(キャプテンを努めた試合70)

ヨーロッパ選手権制覇(1968年)

引退した後はFIFAやUEFAの要職を務め、2004年からインテルの会長を務めていました。

謹んで冥福を祈ります。そして、インテルのモラッティ・オーナーが彼に捧げた言葉を引用させていただきます。

「チペ(ファッケッティの愛称)へ。私はあなたの病気がひどいことを打ち明けることができませんでした。あなたが心配するといけなかったからです。本当にごめんなさい。だけど、あなたの忍耐力には感謝の気持ちすらあります。あなたは私に微笑みました。その目には、困難に打ち勝とうとした熱意がこもっていましたね。」

「数日前、あなたはやっと聞き取れる声で、私にインテルのことを話しました。インテルの可能性、そして未来を語ったのです。その数ヶ月前に、私はあなたに聞きました。半分冗談で、半分真剣に、"なんで友人にレフェリーがいなかったんだろう"ってね。あなたは柔らかく、そして厳しい口調でこう答えたのです。"それはできないことだからだよ"と。」

「あなたの威厳がそれを許さなかった。あなたの誠実な人柄が、そんなことを受け付けなかったのです。あなたがインテルに来た日、エレーラ監督はあなたの名前を間違って"チペレッティ"と呼び、それで"チペ"というニックネームが付きました。しかしあなたのスポーツマンシップは変わりません。あらゆる下品な不正行為から遠い存在なのです。インテルに敬意を持って対峙したその姿勢に感謝します。」

文章は日刊インテルより参照させていただきました。

最後に私から一言

ファッケッティ会長、おつかれさまでした。

天国でジャンルカ富樫さんと心ゆくまでインテルについて語り合ってください。私はあなたの愛したインテルを自分が死ぬ間際にあなたよりも誰よりもインテルを愛せたと実感できるように生きていきたいと思います。

私はあなたにお会いすることはありませんでしたが、あなたの思いは私の思いと同じです。いつの日か私もあなたと富樫さんのインテルはなしに加えてください。

富樫さんのジョークを聞かされ続けたら安らかではいられないかもしれませんが。

|

« ダービーなんて言う前に... | トップページ | 生きている証のために »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/125870/11775492

この記事へのトラックバック一覧です: ファッケッティ会長逝く:

« ダービーなんて言う前に... | トップページ | 生きている証のために »