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2007年2月 7日 (水)

イタリアサッカーを思う虚しさ

070113_163102_1 暗澹たる気分である。
 
前回記事にしたイタリアセリエAのカターニャ対パレルモ戦での暴動はその真相が次第に明らかになり、暴動対策案も報道され始めている。内容は停止中の公式戦再開後も安全基準を確保できない競技場では無観客試合とする案や、自動改札機や防犯カメラ増設など新たな安全規定などだ。政府で承認されると早ければ11日にはリーグ戦再開の可能性がある。
当面は無観客試合で行われそうだ。
しかし、それらの規制に対し、当のウルトラス達から抗議があがっているとの声があがっている。
ヤフーで読んだISMの記事を参照すると、ローマでは警察への反感を表す落書きが書かれたり、リヴォルノではサポーターたちが抗議行動を起こし、警察に対し常軌を逸した掛け声も上がっていたという。
 
事件の真相がウルトラと警察の遺恨が根にあるというのはかなり濃厚とはいえ、サポーター達の当事者意識の低さというか、なんのためにサポーターをやっているのかと思わされる。
前回はイタリア人サポーターから学ぶことはないと書いたが、この自浄意識が全くない姿勢からはまずサポーターですらない、そもそもサポーターなどいないのではと思ってしまう。
 
問題のさらなる根幹にはイタリア社会そのものに根ざした生活の問題があるのだと思う。これは我々のように安定した社会(少なくともイタリアより遥かに)に暮らしている日本人には想像しきれないのかもしれない。この事件に関してこの日本でかなり白熱した議論になっている掲示板もあるが、いささか事の本質が理解されていないまま、日本人同士で罵り合いになっているケースも見られ、これも暗澹たる気分をさらに強めてしまう。
 
ACミランのパオロ・マルディーニも「過ちを犯したものは罪を償うべきだが、無観客試合はサッカーの死を意味するので馬鹿げている。」と発言しながらも問題の根はサッカー界だけではなくイタリア社会で捕らえるレベルの問題という発言もしている。彼の発言にはプレイヤーとして正しいファンへの配慮とともに、イタリア社会の特性と問題をしっかりと認識した発言に聞こえる。
ずっとイタリアで選手として、またイタリア人として生活している彼は、ずっと今回のような危機を予感しながら、何も対処されないままだったイタリア社会への失望を感じているのではないか。
 
私も過去にイタリアに試合を観にいったが、毎度暴力に遭遇している。

ヴィチェンツアではアウェーチームのラツイオサポーターがウルトラでもなんでもない普通の観客に目掛け花火を投げつけたし、イタリアダービーではユーベサポーターにロケット花火をミサイルのごとく打ち込むインテルサポーター(らしき)もいた。私は行っていないが、ローマではとばっちりでライターをぶつけられた人もいた。

トリノではペルージャサポーターを襲撃するユーベサポーターを目の前でみた。私の頭越しにライターや石が飛び交っていた。あの時は騒動が起こりうると予測していて試合を観ていて実際に起きたので、それほど驚きも恐怖も感じなかったが、やはりスタジアムで起きるべきことでではないと今は思うし、イングランドの負の歴史を思い起こすと、これを期に徹底して対策をとり、スタジアムから暴力を追放すべきだと思う。
 
Intershirts まあ、なんだかんだ書いたが、イタリアとは遠く離れた日本でイタリアのことを書くのは前述の掲示板のことも含め、当事者的でないよね。
イタリアが好き、イタリアサッカーが好きだからこそそれが虚しさを強くさせる。

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