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2007年11月 7日 (水)

スポーツとメディアとその向こうの社会と。

今日は最近気になっていたことを書こうと思います。
内容はスポーツとメディア、そしてメディアの向こう側にいる社会についてです。
題材は少し時期外れですが亀田一家、それから中日の落合監督、ビーチバレーの浅尾選手とかを使おうと思います。
 
亀田一家の騒動は社会問題のような取り上げ方をされてましたが、ボクシングというスポーツとしてのボクシング協会の発言があまり取り上げられていなかったような気がします。
それよりも社会問題レベルに仕立て上げることで、自分達の獲物にしたいと考えるワイドショー(TBS以外の民放テレビ局)の姿勢が非常に露骨でした。
それは亀田興毅選手の記者会見でも某局のワイドショーレポーターが「社会悪を糾弾するんだ。」と言わんばかりにキツイ追求をしていたことからも伺えました。
もちろん、その追求が亀田一家だけでなく、その後ろのTBSにも向けられていることも明らかでした。
でも、亀田一家は税金を搾取したわけでも、他人を騙したわけでもない。
しかし、それと同レベルのような非難を受け続けていました。
もちろん、それだけ嫌われる理由もあったのですが、無作法で社会がそんなに被害を被ったわけではなかっただけにちょっと違和感がありました。
なぜ、そこまでつつかれたのか?
 
先日、興味のわく出来事がありました。
日本シリーズ第5戦で中日落合監督はパーフェクトピッチングを続けていた山井投手を、最終回岩瀬投手に変えたのです。
ご存知の通り、その試合は中日が勝ち日本一になりましたが、翌日その采配は議論の的になりました。
ワイドショーは早速世間アンケートを取りました。あの采配は非情かと。
野球評論家ではないコメンテーターは空気が読めてないと批判しました。
中日が日本一になったことを祝うという空気はありませんでした。
勝ったからこそ、批判は鋭角的ではありませんでしたが、これも何故ワイドショーでそこまで責められたんでしょう。
落合監督なんて普通ワイドショーで取り上げられる人じゃないのに。
 
それに絡んで中日ファンのブログを偶然読んだとき、こんなふうに思いました。
スポーツをスポーツとして最初から見ていないのかなと。
勝ち負けに最初から興味がなく、どれだけ面白いことがおきて、かつ自分達のメリット(視聴率とか?)に結びつかないかとしか見てないのかなと。
だからこそ、社会問題のように仕立て上げて、自分達が攻撃できる題材にするために執拗に大袈裟に非難するのかなと。
落合監督の場合は、非難するにしても反則じゃないし、結果として日本一になってるし、当人の山井投手も気にしていないようだったので、攻撃はずぐ収まりましたが。
 
なぜ、ワイドショーが非難する流れになったのか。
社会がそういうものを求めていたでしょうか。必ずしもそうではないと思います。
むしろ、どうでもいいじゃないという空気の方が濃いような。
ではなぜ。
 
題材として魅力的なので世間の目を向けたいという考えはあると思います。
だけど、本質以外の面を誇張して社会に流しているような気がします。スポーツの専門ではないからという理由ではなく、自分達のメリットの都合によりということで。
亀田問題にしても悪いことをことさら悪く表現し、大袈裟に追求して社会問題のようにする。
 
結局、スポーツがスポーツとして社会に大事にされていないのかなと思います。それをテレビにねらい目として突かれているのかと。
そういう点ではTBSもその他のテレビ局も同じような気がします。
それにスポーツに限らず社会事件でも、そういう傾向があります。
各局の看板ニュース番組でもキャスターの「私は社会悪を追及します」的な姿勢が露骨過ぎて、私は最近ゲンナリしています。
 
でも、スポーツの側からするとメディアとの関係は極めて重要で、デリケートなことです。
にもかかわらず、メディア側からはそのスポーツの専門メディアは別として、それ以外のメディアは最初からスポーツとしての視点を軽視しているような場合もあります。
ビーチバレーの浅尾選手などは、ビーチバレーに関心を持ってもらいたいという狙いもあって、メディアに多く露出しています。
ですが、メディア側からはビーチバレーというファクターを取り除いた浅尾美和という女性しか必要としていないのではという姿勢も見えます。
浅尾選手はそのルックスと、その競技のウェアとしてビキニを着るという特徴により、グラビアアイドルと同じ扱いで彼女は必ず水着を着て雑誌に登場します。
時にはテレビ番組で水着にされて、タレントと遊びの試合させられたり。
そんなときでも彼女の表情は明るい笑顔ばっかりです。
でも選手としては競技実績は今一歩で、試合後の記者会見では暗い表情を見せるときが多いです。
この落差。
 
スポーツをスポーツとして扱わないメディアの側面。
それをおかしいと思わないというか、そもそも興味が薄い社会。
だから、競技じゃない部分をさらに誇張して社会の関心に結びつけようとするメディアの側面。
それに乗せられるように、与えられた”的”を攻撃することの快感を覚えてしまう社会。
そんな感じがします。
書いている自分のなかにも絶対にそういう部分はあります。
 
歪んでますね。

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