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2008年3月20日 (木)

あの頃のように記念すべき日にしたい。

先日の甲府戦で関東隊時代からの仲間であるGくんにこう言われた。
「関東隊結成から干支がひと回りしたよ。」
10周年とか20周年とか聞いたことがあるが、干支をひと回りというのは初めて聞いた。
日本人独特の感覚でしょうね。
もっともそう言われても突然だったので、そうだっけ、いつ結成したっけとか、「オイオイ大丈夫かよ」状態でしたが。
 
前回の記事で栃木サポーターの話をしました。
でも、よく考えてみると、今のイイ風が吹いている感じって、ヴォルティスにもあったなあと思い出しました。
2000年のJFLで関東隊初陣となった、栃木グリーンスタジアムでの栃木SC戦、栃木SCのJFL初ホームゲームでした。
あのシーズンのヴォルティスこと大塚FCは前年までの低迷に対し、重い腰を上げて補強に着手。
元マリノスのFW島田周輔らを補強、8勝14敗で6位だった昨季から14勝8敗の4位という順位まで上げた。
それまではチームも、チームの周囲も雰囲気が悪く、サポーターもモチベーション的に最低な状態にあった。
99年の夏、その当時今とは比較にならないくらい忙しい日々を送っていた私はたった1日だけ取れた夏休みを週末とつなぎ合わせ徳島に行った。
ジャトコ戦であったが、大塚の選手達は試合に全く気持ちが入っておらず、ダラダラとした試合をした。
唯一、戦っていた関口隆男(現スクールコーチ)の終了間際の同点ゴールにも選手達は祝福に行かないという信じられない光景も見た。
あの時、サポーター席にガッツポーズしながら走ってきたセッキーの姿はいまだに忘れられない。
一番よく思い出す彼のゴールがそれ、というのが当時の異常な状態を物語っている。
試合後、ケガを押して戦ったセッキーの嘆く姿と、談笑するサポーターの姿にマジ切れしてしまい、その晩夜中の2時まで、アワソウルのKくんに説教をし続けたことが思い出される。
シーズン終盤、当時のサッカー部長さんが「来季は補強します。」と断言していたが、果たしてそれは現実のものとなった。
4位という微妙な成績で終わったが、2000年は今の徳島ヴォルティスの足がかりになったシーズンと言ってもいい。
2000年以降、毎年強くなっていったのは見ていた人間ならわかると思います。
 
話が脱線したが、前述の栃木戦。
仕事で干され気味になって急にヒマになった私は関東隊の仲間と気分転換も兼ねて栃木に行った。
相手ゴール裏に見た、妙に粋がった栃木サポーターに「なんだありゃ」と軽いカルチャーショックを受けた。
JFLでJリーグみたいに相手チームにヤジをガンガン飛ばしてくるサポーターは当時珍しかったのだ。
これで火が点いた私は、大塚FCがキックオフ直後のセットプレーでいきなり先制(以後、グリスタの対戦では4回連続で開始5分以内に先制という珍記録が続くことになる。)した後、「マジ、あいつら潰す。」というモードに入った。
3-0でリード後、まだ騒ぐ栃木サポーターを見て、FW島田に「シュウスケ、あいつらウザイから試合決めて黙らせようぜ。」と話しかけ、島田が「はい」と素直に返事を返したことを覚えている。
試合は確か4-2で勝ったのだが、帰りの車の中でまるは氏と、時々ここにコメントくれるike氏と3人でかなり盛り上がった。
勢いで来ていない仲間に電話をかけまくり、携帯をスピーカーマイクに接続し、3人で大声で「今年のヴォルティスはイケル」と力説し続けた。
その光景は、先日の甲府戦の帰りのバスの中の光景と同じだった。
 
今日の愛媛戦、かなり期待している。
ヴォルティスのJリーグでの戦いにおいて、忘れられない1日になる気がする。
偶然なのか、天候のせいで出掛ける用事が変わり、生でTVで観られないと思っていたダービーが観られそうだ。
先ほど、ローマダービーでラツイオがロスタイムに決勝ゴールを決めてローマを下した。
決勝ゴールは最後まで諦めずにゴールを目指した、ラツイオのベーラミの今季初ゴールだった。
同じ気持ちをヴォルティスの選手も持って戦ってほしい。
今日は断固勝つ!

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コメント

 干支一回り、ですか・・・。

 時の経つのは、早いもんですね。

 今、私は主戦場を「フットサル」の方に向けていますが、フットサルの現場にも関東隊と縁の深い方がいらっしゃるのを知り、びっくりしています。

 その方は、某Fリーグチームのオフィシャルフォトグラファーでもあり、フットサルの試合撮影に関しては国内でも「3本の指」に入る方なのですが・・・。

 元7番が主将をしていたころ、彼は愛鷹多目的の近くに実家があり、よくジャトコの試合を見に行っていたそうです。大塚の試合もあり、私たちを見て「やけに元気な人たち」だなあ、と思っていたそうな。

 そして、彼がデビューしたてのころ、入田での試合後、徳島空港に帰る手段がなくて困っていたところを、今11番が聞き、わざわざ車で送っていったそうです。

 当時の大塚のことを、彼は「決して(東京)ガスのように、裕福ではなかったですが、選手一人一人に『魂』が宿っていましたよね。吉成さんのいたころは、本当に『漢』のチームだったような気がします」と評しています。

 あれから12年。人間は等しく、歳を取るもんですよね・・・。

投稿: ike | 2008年3月20日 (木) 22時03分

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