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2008年12月 3日 (水)

マル生林檎博を妄考してみる。

もう打ち止めと言っておきながら、もう一度だけ椎名林檎について、あの”マル生林檎博”について書こうと思います。
 
先週の金曜日に始まったマル生林檎博は土曜、日曜と3日間続き終わりました。
多くの人が賞賛しているように素晴らしいパフォーマンスでありました。
でも、先日の記事でも書きましたが不思議なコンサートでした。
果たして、あれは何だったのだろう。
多くの人が”すごいものを見た”とか、”最高のセットリスト”と絶賛するのを納得できていながら、何か自分はしっくりいっていないなと感じていました。
なぜ、スクリーンはああいうアップなしの使い方をしたのか?
なぜ、MCがあそこまでなかったのか?
耳から入ってくる音の放つエナジーと、目から入ってくる風景の淡白さは何を意味していたのか?
考えると日が経つほどに頭の中に椎名林檎の曲が流れてくる。
今日なんか一日、「ギブス」が流れていた。
 
これは私の勝手な感想なのだが、あれは目で見るコンサートではなく、耳で感じるコンサートだったのではと思う。
椎名林檎は「歌舞伎町の女王」等、初期のヒット曲を飛ばしたあと、フォロワーのような歌い方をする歌手が現われてたり、メディアやファンが椎名林檎のイメージを彼女の意志と関係なく膨らませ、放出していった。
その過程で、彼女はそれを拒むかのように作風やビジュアルイメージを変えていき、最後はソロ活動を終わらせ、バンドのメンバーになることで外野の勝手なイメージ作りに蓋をしてしまった。
表現が抽象的で申し訳ないが、コンサート後にいろいろなブログで感想を読むなかで、ああこの人は上手く椎名林檎を解釈しているなという記事があって、その人もコンサートに100%満足できなかったようだった。
その人が記事で書いていたことと自分の感じていることを考察した上で先のような考えに至った。
 
あれは目で見るコンサートではなく、耳で感じるコンサートだったのだろう。
それは目で見える要素、椎名林檎とはこういうビジュアルイメージであろうという観る側の期待をあえて演出として披露せず、白基調のステージにおいて音で勝負した。
オーケストラを用いて、バンドは最小構成で、そしてMCで会場を盛り上げて曲に油を注ぐことなく、椎名林檎の音楽のみを披露した。
だから、あれほどまでに”視覚と聴覚の間の著しい落差”を感じたのではないか?
目で見るものに期待をしていて、それが満たされなかったからではないのか?
目を塞ぎ、音にだけ集中していたら、もっとすごいものを感じたのではないか?
それを聴く側は試されていたのだろうか?
 
これは私の勝手な妄想、いや妄考である。
だが、今まで見たことのないコンサートであったことに対して、何か答えを出さないと、あの金曜日に納得できないままになるような気がしたのです。
そんな学問的に考える必要などないのかもしれない。
そんなこと椎名林檎に聞いても全く考えていないと言うだろう。
これこそ椎名林檎が聴く側に対して嫌悪したものなのかもしれないが、でもここまで考えさせるような歌手だからこそ椎名林檎なのではとも思うのです。
 
来春発売されるマル生林檎博のDVDを買おうと思います。
そして、そこでもう一度あのコンサートが何だったのかに迫りたいと思います。

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