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2009年6月14日 (日)

三沢光晴....

前回記事の末尾に触れたのですが、非常に残念なことが起きてしまいました。
今回はサッカーではなくプロレスのことです。
 
6月13日(土)、広島で行われたプロレスリング・ノア広島大会でノア社長でありプロレスラーの三沢光晴さんが、試合中に相手の技を受けて頭を打ち、動けなくなり病院に搬送されましたが、同日22時亡くなられました。
まず最初に、謹んで三沢光晴選手に哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げさせていただきます。
 
私は10代から20代前半ごろはプロレスが好きで、当時、全日派(全日本プロレス ジャイアント馬場の団体)と新日派(新日本プロレス アントニオ猪木の団体)の2つのファンのタイプがあって私は全日派であった。
三沢光晴選手との最初に出会いは、1984年の7月に東京の蔵前国技館でした。
あの日は、ジャイアント馬場がスタン・ハンセンとタイトルマッチを行いフォール勝ちした試合があったのですが、その直前に、徳光さんに紹介されて登場した2代目タイガーマスク(試合はせずお披露目のみ)。それが三沢光晴選手でした。
 
その後、1992年8月、日本武道館にてスタン・ハンセンから三冠統一ヘビー級王座を奪取。
得意のエルボーでハンセンを沈めた試合を生で観戦。凄い試合でした。
同時期にジャンボ鶴田選手が肝炎で長期休場となったため、三沢選手が団体のエースとなった瞬間でした。
以後は、四天王と言われた川田、田上、小橋を中心に、ハンセン、ゴディ、ウイリアムスら強豪外国人レスラーらも含めた全日本プロレス黄金時代へ。
2000年新団体プロレスリング・ノアを設立。
社長としてレスラーとして力を発揮していました。
しかし、昨日とても残念なことにプロレス界は彼を失ってしまいました。
 
プロレスファンであった私にとって視線の先には必ず三沢選手はいました。
私が一番好きな選手は川田選手でしたが、最大のライバルが同じ出身高校の先輩である三沢選手でした。
 
もっとも感動的だった試合は1995年6月の日本武道館での世界タッグ王座戦でした。
小橋との王者コンビで、川田、田上組と対戦。
猛攻を食らいながらも何度も立ち上がり、エルボーで反撃する姿に実況の福澤アナと解説のジャイアント馬場はこんな会話をしていました。
「馬場さん、何故三沢は立ち上がるんでしょう?」
「もう、わかりません。」
そうまで言われた三沢光晴がもう立ち上がらない.....。
 
今は気持ちが整理しきれません。
とてもショックです。 

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