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2009年12月27日 (日)

偶然出会った古いサッカー批評が私に問うものは...

運命的なんていうと大袈裟だが、ここでこれに出会うのは何かあると思う時はあると思う。
例えば、偶然入ったショップで気に入ったTシャツや靴を見つけたり。
ネットオークションで偶然思いついたワードで検索したら掘り出し物を見つけたり。
 
昨日、娘のバレエ教室の発表会があり、朝早く娘と奥さんを会場に送った。
開演は午後なのでそれまでは時間潰しにいろいろ歩いて回った。
古いプラモをたくさん売っているお店、CDショップ、そして本屋。
その本屋のサッカー本コーナーで見つけたもの。
一冊の雑誌『サッカー批評』だった。それも最新号ではなく今年の3月に発売された号。
”LOVE Or MONEY? サッカーを支えるのは愛?それとも金?”
6月号と9月号は棚にない。
なんでこんな古いのが一冊だけ棚に残っていたのかわからないが、偶然にもそれが目に留まった。
たぶん発売時には立ち読みくらいはしていたと思う。でも買わなかった。
でもこんなところで目に留まるのは何かあるからだ。
タイトルも気になった。
買って帰った。
 
サポーターとってのクラブ愛は今までも語ってきたように思う。
サポーターだけでなくフロントを預かる人間にとっても、特に金や人事を管理・決定する立場として周囲からチーム愛を懐疑的に見られがちな立場の人達についても語られている。
では選手にとっては愛か?お金か?
本書では一部そこをテーマにして扱っていた。
議論以前のテーマと思われるが、これも考えてみると結構簡単に結論が出せない難しいテーマである。
本書では両方とも必要というように序文で書かれているが結局のところ、それが結論なのだろうとは思う。
それでも”自分はサッカーが好きだ”と自信を持って言えなければ、サッカーを続けていく気持ちは保てないだろう。
 
サポーターにせよ、フロントの人にせよ、スポンサーの人にせよ、そして選手にせよ、クラブへの、選手への、地元への、サッカーへの愛を評価するのは他人には難しいことだ。
極めて内面的なことで、それぞれに表現の仕方の違い、いろいろな事情もあり、一面的な視点や一時の行動だけを摘まんで評価するのは難しい。
お金をどう使うかという金銭感覚の問題、どれほど愛情をクラブに注いでいるかは分けて考えるのはありか?
もちろん、その人の行為により招いた結果が愛するクラブに与えた損失と責任は問われるべきではあるが、それで愛情の良し悪しを計れるのかは自分の中では疑問だ?
皆、クラブが好きで、サッカーが好きであるからサッカーの傍にいるのだと私は考えたい。
但し簡単な感情では割り切れないから、クラブに近い人間の間で感情が対立することはある。
ただ、それは単に不幸なことが起きたからで、愛情の程度、良し悪しとは分けて考えたい。確かに単純ではないけどね。
 
色々なクラブが難しい状況を抱えて、クラブに関わる多くの人の愛情が試されているような状況にある中で、この古いサッカー批評が私に何を問いたくてそこにあり、そして私に買われたのか?
明日で年内の仕事は終わるし、じっくりと読み、じっくりと考えたい。

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