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2010年9月 3日 (金)

リアルの中の虚構、虚構の中のリアル。映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』より

先日の日本テレビの24時間テレビの中で、こんな話があった。
ガンで余命宣告を受けた女性が、大手術や長い治療の末、治療をやめて残りの人生を楽しんで過ごすことに決め、活き活きと毎日を送っているという話だった。
私はその話を見ながら、凄く空虚な気分になっていました。
その女性の大変さ、強さや、生き方はすごくリアルなのですが、テレビがそこに虚構を塗っているのが見えるので、ひどく冷めた目で見ていました。
余命宣告をされながら強く生きているのはわかるのですが、それは余命宣告を受けていない私にとって簡単に共感できるものではありませんでした。
その女性はどうしてそう強く生きられるのか、大病を患っていながら画面上のその女性は普通に生活して、旅行にも行き、日焼けしてて、でもお腹に大きな手術痕があって。
とっても元気なのに、テレビは”この方は余命宣告を受けています”ということを前面に出しているわけです。
何故、そんなに元気なのか、テレビは”前向きに残りの人生を楽しむことにしたから”を暗に強調してきます。
でも治療法だとが理学療法だとか必ず何かあるはず。普通に考えれば末期がんの人が、気持ちの持ちようだけで元気でいられるはずもない。
番組はそこを伝えません。
その人は凄くリアルなのに、もの凄く意図的な虚構が貼り付けられているのが画面に見えるのです。
それはリアルの中の虚構でした。
 
今日、一本のビデオを見ました。
『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』という映画です。
ストーリーは末期ガンに侵された男2人が同じ病室になり、片方のルディが”海を見たことがない”という話をしたことをキッカケに、もう一人のマーティンに誘われ病院を抜け出します。
2人は駐車場でベンツを盗むのですが、それはギャングの車で、トランクには大金が。
2人はダッシュボードにあった拳銃を使い、銀行強盗をし、警察にも追われる身にもなります。
追われながらも、2人は母親にキャデラックを贈るとか、2人の女と一緒に寝るとか奪った大金で夢をかなえたりしつつ、最後にはまた海を目指します。
映画ですから当然ストーリーは虚構なのですが、残り短い人生の中で、海が見たいという望みだけが残る。
ドタバタを繰り返しながら一転してラストシーンは地味ながら2人の心情が伝わるシーンで終わります。
余命短いときに海を見たいという他愛もない希望だけが残る。
リアルで伝わるモノがありました。
虚構の中のリアルでした。
 
虚構だからこそ伝えられるリアルさがある。
私にはこの映画の方がすごくリアルでした。
 
もう一つ、同じくガンで余命宣告された女性が、今までの人生を振り返り、死ぬまでしたい10項目のリストを作り実行していくという『死ぬまでにしたいこと10のこと』という映画を昔観ました。実はDVDも買いました。
そのリストとは、
1.娘たちに毎日「愛してる」と言う。
2.娘たちの気に入る新しいママを見つける。(映画では隣に引っ越してきた女性をそう仕向ける。)
3.娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する。
4.家族でビーチへ行く。
5.好きなだけお酒とタバコを楽しむ。
6.思っていることを話す。
7.夫以外の男の人とつきあってみる。
8.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する。
9.刑務所にいるパパに会いに行く。
10.爪とヘアスタイルを変える。
 
母親としての愛情に満ちた願いや、女としての願いまで含めた10項目を達成し主人公は亡くなるのですが、ストーリーはそれを派手な抑揚をつけずに淡々と進めていきます。
それがまた地味でリアルで、切なくて...いい映画でした。
これも虚構の中のリアルでした。
 
同じようなシチュエーションに置かれた人の話なのに、こうも訴えてくるものの重さが違ってくるのが印象的でした。
やはり作り手(番組、映画の製作者)が何を訴えたいか、訴えるものの意味を真剣に考えているかの違いなんでしょう。

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