« 借りてきたDVDの感想 | トップページ | ミスさえしなきゃウチが強い。 »

2011年5月12日 (木)

何かを伝えることの重み

最近はテレビで報道系の番組を見なくなった。特に民放の。
地震以降は特にその傾向が強くなった。
もちろん、退屈だからではない。大事なことを扱っていることはよくわかっている。
知らなくてはいけない情報もある。
だからニュースはNHKで見るようになった。
要するに、番組が嫌いなのではなく、出演するキャスターが嫌いなのだ。
不幸なことに、民放の殆どの報道番組で嫌いなやつ、それも生理的にダメなヤツがメインを張っている。
まず六本木系は完全にダメだ。
汐留系もダメ。但し、サクライショーがダメなわけではない、その隣にいるヤツがダメなのだ。
赤坂系は某ジャーナリスト時代は見ていたが、その人が亡くなった以降は番組の存在感が自分の中から消えている。
お台場系はそもそもハーフの女性キャスターのことしか記憶にない。報道番組だと記憶されていない。
 
生理的にダメと言いながら、震災以降特に何のせいでさらにダメになったのか。
昨日、本屋で読んだある雑誌内での某コラムニストのコラムで自分が感じていることと同じことが書かれてあった。
そのコラムは毎号一つのテレビ番組を題に取り上げ、雑感を述べる内容なのだが、最新号は上記の六本木系の報道番組を取り上げていた。
但し、内容はその番組というより、最近の報道番組全部を対象にしているように読めた。
コラムニストが嫌悪していることが、殆どの報道番組で感じられているからだった。
震災直後は津波の映像(その瞬間を被災者の方が録った映像)を見る側を煽るように流し続け、原発事故の報道で政府や東電を批判し続け、その後、それが不安を過度に煽ったり、風評被害を呼びかねないと感じたら、今度が被災地でこんなに頑張っている人がいるんですというお涙話に切り替えた。
殆どの番組がその流れに沿った。
そんな浅い計算で番組を視聴者に放つ偽善的な姿勢が見えるので、報道番組が始まるとテレビを切っているというような話だった。
全部が全部同意できる内容でもなかったが、報道系番組に対して私と極めて似ていることは感じているようだった。確かに被災地で頑張っている人達の話はいい話だ。だが、テレビではそこで終わってしまっている。感動させられりゃオッケーのように。
また、自分達は被災者の代弁者なんだというように見えてしまうのも生理的な嫌悪を呼んでいるのだと思う。
 
テレビもそうだが、雑誌は輪を掛けて酷い。週刊誌は特にそう。
だから立ち読みもしていない。
電車の中吊りはどうしても目に入る。最近の彼らの獲物はおなじみの総理、東電に加え、焼肉屋の社長だ。
記事のタイトルもそうだが、中吊り広告のレイアウトが特に嫌悪を煽る。
こういう雑誌で書かれていることは、当然だが被災地であまり読まれていないだろう。
そもそも被災していない人をターゲットに記事を書いているのだろうと思う。それがなおさら嫌悪を強くさせる。
伝えるということの重大さが粗雑に扱われているように思えるのだ。
 
だから最近はNHKか新聞、それか音楽誌や、サッカー誌などの趣味系雑誌のコラムを読むことが多くなっている。
 
思うのは、何かを伝えるということの重みだ。
こういう世の中になったからこそ、何を伝えるのかはとても大事だ。
それはネットでブログやツイッターを使っている、私を含めた、誰もがそうだ。
満たされていた震災前とは違い、今は皆が疲れを心に抱えている。
被災地の方はもちろんだし、西の方でもかなりの確度でやってくるだろう災害の脅威などで。
今まではそれほどイラつかなかったことにイライラしていることはないか?
耐性が落ちているような気がする。少なくとも自分自身はそう思える部分がある。
だからこそ、軽率な言動で自分や他者の嫌悪を刺激することには気をつけないといけないと思う。

|

« 借りてきたDVDの感想 | トップページ | ミスさえしなきゃウチが強い。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 借りてきたDVDの感想 | トップページ | ミスさえしなきゃウチが強い。 »