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2011年12月23日 (金)

悔しさある限り

公私共に忙しくて緊張感もあった12月のヤマ場はようやく終わり、ずいぶんとヒマにもなってきました。
ちょっと寂しい気持ちもありますがね。
 
いろんな感情が複雑に絡み合った12月前半でありました。
言葉にしてここに書くことも難しいこともあったのですが、完全ではないですが言葉にできそうなこともできたのでそれを書こうかなと思いました。
 
強く感じて、そして考えさせられたことは”悔しさ”でした。
得たい結果が得られず”悔しさ”を味わう。
その”悔しさ”ってのが、実はサポーターという稼業を続けていく上での燃料になってくれていること。
その”悔しさ”ってのをどう自分の内部のエネルギーに転換して、活用していくのか。
そういうことを強く考えさせられました。
 
試合に負けたことで、自分たちの実力不足を実感させられたり、相手の強さを思い知らされたり。
そこで味わう”悔しさ”ってのは選手もスタッフもサポーターも同じように感じる。
同じ悔しさを感じ、それゆえに悔しさを晴らすために次にどこを目指していくかを語らずとも同じものをイメージし、そして目指す。
つまり同じ目的、目標を目指すことに悔しさをエネルギーとして向かっていく。
今までの日々ってのもこれを繰り返しだったわけです。
そして、どこの選手もそうであり、サポーターも多分殆どの人がレベルや感じ方に違いはあるだろうけど、悔しかったからやってやると思ってサポーターを続けてきた。
 
そう考えると、モウリーニョが率いたインテルが三冠を獲ったときに、これ以上がない、悔しさを実感させられるステージがない、と実感したことで、以降ほとんどインテルの負けに悔しさを感じなくなったのだろうと自分の中で整理がつく。
 
そうするとバルセロナの熱狂的なサポーターってのはどういう思考でサポーターを続けているのか興味が沸く。
もちろんカタルーニャの民族意識に基づいている人達は別として。
 
で、やはり何かを目指しているサッカークラブを、その何かを自分の目標として共有して目指すことがサポーターの目的なんだろう。
やはりそこに行き着く。
目的意識の純粋度、というか他の目的との混ざり具合がクラブや選手、サポーターでは当然だが違いがあって、その違いがぶつかり合うと、負けが込んできたときに揉めたりして、修復ができない関係になることもあるんだなと。
それは過去の自分の経験からも立証できる。
好きなサッカークラブを愛するってこと、好きなサッカー選手を愛するってことは、彼らの目標、目的を共有してあげることだ。
それが優勝とか、昇格ということだ。
それを共有しなくても、そこにいてくれるだけでいいという愛し方もあるんだろうけど、相手側から見たら共有してくれる方が嬉しいに決まっている。
とことん付いてきてくれたら、そりゃ嬉しいだろう。
一緒に目指すことが幸せなんだとしたら、その先に決していい結末が待っていないとしても幸せなんだろう。
大人な考え方じゃないかもしれないが、そもそもサポーターなんて大人じゃやれない稼業だ。
 
やはりサッカークラブ、サッカー選手には目指すものは必要だ。競技である以上、勝利であるべきだ。
そして彼らのサポーターである以上はサポーターもそれを同じ思いで目指し、満たせない悔しさも共有するべきだ。
そして到達したときに心から共に喜ぶために。
それがより多くのゴールであったり、リーグ優勝であったり、昇格であったり、有名クラブに勝つことであったり...CWCで優勝することであったり。
そうでないと愛せないぞと、この12月は突きつけられた気がする。
悔しくなくなったらサポーターは続けられない。
悔しくて仕方なかったから、これからもサポーターを続ける。
正直、年齢でやめようと思った時期もあるが、それはやめた。
悔しさを感じる限り、それを晴らすために上を目指すクラブや選手達のためにサポーターであり続ける。
とことん追求する。そう決めた。

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