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2012年2月 7日 (火)

いつもこの時期は決意の意味を込めた記事を書いている。今年もその日が来た。
 
もし去年J1昇格を成し遂げていたら、今回の記事はどんな内容になっただろう。
ふとそんなことを考えたりした。
昨年12月のとき、昇格を決めた直後の記事はイメージを作っていたのだが、シーズン初めにあたる、そして私にとって大事な時期であるこの2月に何を書こうかまではイメージしていなかった。
現実のはなし、昇格はならず、今年も”悲願”の昇格を目指して、新体制で新しい挑戦をすることになっている。
頂上の端に一度手が届いたからと言って、今年こそ登りきれるなどとは思っていない。
むしろさらに厳しくて、こんなはずじゃないという焦燥に追い立てられる一年になるのではと思っている。
そして今季、昇格を成し遂げられたとしても、そこに、その先に天国は待っていない。
一瞬の達成感、そして見たことのない風景が目の前に広がっているだろうが、それだけでしかないだろう。
”だけ”というと夢がないが、上を目指し続けることを継続できること、それを出来る限り長く継続すること、つまり夢を見続けることができるように努力し続けることできることが夢の世界にいつづけられる唯一の方法のように私は思う。
未達の域へ登り続けているように見えるバルセロナは、上へ登り続けているからこそファンにも夢を見せることができていて、ゆえにそのサッカーが多くのサッカーファンを魅了しているのではないか。
 
ヴォルティスがJ1に昇格したら、徳島という地域が夢を見ることはできるのか?
それはわからない。
夢というのはその夢を見たいと思う人が求めることではじめて夢として成り立つわけで、違う夢を求める人、夢を見ない人にはその夢は価値を持たない。
だから同じ夢を見る人、共感してくれる人を増やすことでその夢は大きな価値をもち、たくさんの人を幸せにできる。
J1昇格が価値を持つには大勢の人にその夢を共有してもらう必要がある、。
 
あの人は仲間たちと徳島に夢を見させたいと思った。
そこから始まった夢の活動はいくつもの挫折を経て、一時はほんの僅かな人しかその夢を共有できなくなるほどの危機も乗り越え、再び夢を大きく膨らましてここまでやっときた。
残念ながら昨年はその夢の中で厳しい現実も味わった。
だがそれだって、夢の中にいたからこそ味わえたもので、むしろそのおかげで各々が今見ている夢は去年よりさらに大きくなっているはずなのだ。
ポジティブに考えて、昨年の悔しさは、今年実現するための夢を膨らませるための大事なステップだったのだと思えばまた違って見えてもくる。
それこそ、あの人が夢に見た歓喜に沸く徳島のイメージがより実現の可能性を高めたのではないだろうか。
だとしたら変な言い方ではあるが、歓迎してもいいくらいの悔しさ、挫折とも思える。
 
ヴォルティスが、というよりプロスポーツクラブが目指し、叶えるべき夢は、優勝してみせることでや、昇格してみせることでは実はない。
それを達成することによって人々や地域をいかに幸せにできるかが大事なのであり、それこそが存在意義なのだと思う。
大きな夢を最後に与えることが大事なのでもなく、試合のある一日の朝から晩までや、スタジマムに来て帰るまでの4~5時間、試合中の2時間、ハーフの45分、一瞬のプレーでもいい。
そのときに何かしらの夢を与えることができれば、観にきた人を幸せにできる。
その積み重ねが大きな幸せになっていく。
昨年のヴォルティスは昇格争いの中で大勢の人が来てくれた試合の多くを落としたりしたから、決して幸せを十分に与えることはできていなかった。
その点が不十分なシーズンだった。
今年はそういう幸せを試合を観にきた人たちにもっと感じさせてあげてほしい。
そうすればもっと多くの人に昇格を喜んでもらえるだろうし、胸を張ってJ1に挑めるだろう。
そのとき、あの人が夢見ていた徳島の街が目の前に現われるのではないか。
その徳島をぜひとも見てみたい。
そのためにサポートを尽くしたい。

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