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2012年4月18日 (水)

死と人生

最近、身近な人の訃報が二度ありました。
一人は母方の叔父。一人は同じ会社の別部署の人でした。
 
叔父とはここ10年くらい会っていませんでした。別に仲が悪かったなんてことはなく、ただ疎遠になっていただけでした。
最後にあったのは自分の結婚式のときだったと思います。
子供のころは正月やお盆に祖母の家にみんなが集まったときに顔をよく合わせていました。
叔父はとてもアタマのいい人でした。
地元一の優秀な高校で生徒会長も務め、一橋大学に進み卒業すると、再び別の学部で一橋大学に再入学。
それでいて気取ったところは全くなくて、とても温厚で、いつも笑っていたような記憶があります。
コンサルの仕事をしていたのですが、景気が悪くて大変だったこともあったみたいです。
そんな叔父も70歳を過ぎて、でもまだ元気に過ごしていました。
体調がしばらく悪くて風邪だと思っていたら、病院で敗血症だったことが判明し即入院。すぐに抗生物質で治療が行われました。
おかげで敗血症は改善されたのですが、内臓に化膿したような部分があったらしく、抗生物質の投与でその化膿部分を抑えていた体内養分(?)まで殲滅してしまったことで化膿部分が急激に悪化してしまったという話を聞きました。
入院して数日での出来事だったそうです。
「あっけないもんだね」と母は言っていました。
確かにそうだなと思いましたが、決して他人事ではないなと最近は思うようにもなっています。
確実に人生の半分は過ぎただろと思う年齢にもなって、一丁前に成人病予備軍みたいな症状も出ていて人間ドックでの指摘されているわけです。
視力も確実に悪くなっています。
父の死んだ年齢にはまだ7歳ほどありますが、まだ平気だとか強がりができない年齢にはなったなと実感しています。
 
いつ死ぬかわからないから一度きりの人生は思うように生きようとか、いろいろ言葉がありますが、その通りになんか絶対なりません。
後悔しないで死ぬことなんかできないわけです。
毎日を一生懸命生きることだって、実際のところそんなことはできません。
出来ることは何か?
自分が死んじゃったら困ること、困らせることを残しておかないことでしょうか。
でも、死ぬ前にそれを全部片付けちゃって死ぬのを待つだけになったとしても、死ぬ時期は自分では決められないわけで、その時間が長かったりすると、もうちょっと何か残しておいても時間があったななんて後悔したりしてね。
人生は最初から最後まで上手くなんていかないわけだ。
迷ったり、悔やんだり、喜んだり、悲しんだり、怖がったり。
そういうことを感じながら生きられるのは実は人間だけ。
そういうことを感じられなくなったときに死ねることが一番いいのかな。
考えれば考えるほど怖くなる。
結局、死ぬからこそ人生に起こること全てのことに意味が与えられるとも言えて、自分が死ぬことに意味を持たせるためにいろいろなことをして、いろいろ迷ったり、悔やんだり、喜んだり、悲しんだり、怖がったりすることをしなきゃいけないのだろう。
 
同じ会社の人はまだ30代半ばだった。
そんな若さで亡くなるなんて残念だ。
それだけは確かだ。

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