« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »

2012年5月30日 (水)

ACLで勝つには何が必要?

ACL決勝トーナメント1回戦で日本勢が全て敗退。
ん~~~、残念。
 
何故3チームとも敗退したのか?
どうすりゃいいのか?
すぐにこれって原因と対策が思い浮かばないんだよね。
分析して対策を取らなきゃいけないってのはわかるんだけどね。
 
日本サッカーのサッカースタイルが問題なのか?
そうではないと思うんだよね。それだったら選手の質とスタイルの相関関係だと思うんだ。
なら他の国のクラブは何故勝ち進むのだというところの分析をするとどれが答えなのかと。それも何だと問われてもすぐ出てこない。
そもそもフィジカルだとか、資金力だとかに行き着いちゃったら困るよね。
 
リーグの日程をACLに合わせて変更すればいいのか?
それを言ったら今話題の秋春制と一括で議論しないといけない。
代表とクラブの両方を強化できる日程なんてそう上手く決まらない。
クラブを海外遠征に行かせて鍛えるとかも、正直現実的じゃない。
それだったら欧州と合わせないといけない。
それこそ秋春制にするしかなくなるんじゃない。
 
広州みたいに金持ちにクラブ買ってもらえるように斡旋する?
それこそ日本人サポーターの気質に合わないでしょ。
ヨ●ウリを否定できなくなっちゃうんじゃない。
実力あってキャリアバリバリの選手を獲得するったって、正直どこにもお金ない。
 
ただネットのコメとか読んでて、なんとなくだけど感じるのは、アジアで負けるのは恥だろという自意識過剰的な意識がまず先に立ってないかなということかな。
他国より、特に隣国群に負けているという事実が受け容れられない、そんなはずないという先入的意識。
これは選手じゃなくて、ファン、サポーターに強く感じるなあ。
負けてんだよという事実を謙虚に受け止めて、強くなってやるという意識に切り替えられないと、クラブを後押しできる空気にできないんじゃないかな。
次こそは勝つぞというメッセージにできないんじゃないかと。
まあ、これは精神論だけどね。
 
具体的な課題と対策はと言われると...上手くなるしかないんじゃない、まず選手それぞれ個人が。
結局のところさ。

| | コメント (0)

2012年5月27日 (日)

それでも心に余裕と選手への信頼を。

平塚での昼間での試合というと玉乃がゴールを決めて快勝した試合が思い出される。
あとは昨年の終盤戦での寒くて雨も降る中勝利した試合だろうか。
印象は決して悪くなかった。
順位こそ対象的な位置にいるものの、開幕から9試合を8勝1分で快進撃を続けてきたが、以降の6試合勝利がなく勝ちきる仕方を忘れかけている湘南と、ここにきてようやく戦い方が定まってきた徳島とならば、十分戦えると思えた。
そして決してそれは強がりでも買い被りでもなかったことは証明できたように思う。どこぞの議員さんの方が強がりだろう。
但し、最低限そこまでは証明できただけで終わったことはとても残念だった。
 
ドウグラスは活躍したと思う。
試合前のシュート練習を見ていても好調さが伺えたし、実際彼の突破力が幾度もチャンスメイクに貢献したし、相手DFの退場も呼び込んだ。
ただ、湘南側もかなり警戒してマークがきつかった。
DF一人を生贄にさせてしまったがゴールまでは生贄には最後までさせてくれなかった。
前半、右サイドで津田が競り勝ってビッグチャンスを作ったがここで決めるべきだっただろう。
後半はシュート体制もきつくて枠に飛ばないシュートばかりだった。
だが一番ゴールの匂いを放っていたのも彼であり、ここ数試合のプレーぶりからも彼が目覚めそうになっているのは事実だと思うので次の試合に期待してあげるのが一番いい我々側のリアクションだと思う。
 
他の選手達も頑張って勝利を掴むために懸命になってくれたと思う。
攻撃はともかく守備は殆どの時間でしっかり対応できていたと思う。
スンフンに救われたことは事実だが、それ以外の時間帯の守備はしっかり対応できていた。
それを見逃しては守備陣に失礼だろう。
 
もちろん満足できるような結果ではない。
もう勝ち点3をどんどん獲っていかないといけない時期と順位であることも事実だ。
だが、相手が一人少ない状況になりながらゴールを奪えず終わってしまったわけで、現状では(あくまで現状ではだが)ゴールをこじあけるに至らない完成度なんだということだと思う。
あれだけ攻めているように見えて8本しかシュートが打てなかったわけで。
 
ただ、その事実だけで今日は十分にお灸がすえられたようなもんだと思うし、内容も決して後退はしていないとも思う。
だから今日の試合の結果について、次も見据えたという意味も含めたならば、選手を批難するのは筋じゃないと思う。
そもそも、「相手一人少なかったのにどうして勝てなかったんだ」と言うか、「次の試合勝ってツケを払ってくれ」と言うのでどちらが選手の後押しになるか。
これは選手がカチンときて「次やってやるぜ。見てろ!」と思うか、「申し訳ない。次は勝ちます。」と思って、そのいづれの結果でも勝ったとしてもだが。
結局どう感じるかの答えは選手しか持っていないわけだ。
どのように表現しても自分たちの勝利への思いを理解してもらいたいなら、まず選手と強い信頼関係がないといけないだろう。
その自信がないなら、励ましてやった方がいいだろう。
少なくとも今日の試合はそういう試合だったと思う。
万来の拍手で迎えてあげるべき試合だったとは全く思わないが、それでも試合後どう選手を迎えてあげるのかは個人の判断であり、それをどう感じるのかは選手しか答えが出せないものだ。
もっとも、今日は前述のように相手が一人少ないにも係わらずゴールを奪えなかったという事実だけで十分灸は据わったと思う。
だから次はやってくれるだろう。
少なくとも4月のときのチーム状態だったら、こんなふうに思えなかっただろうし、今はこう思えるくらいまで上昇してきているのは確かだと思う。
水戸戦ではハーフタイムで本人曰く何でだかわからないが代えられた衛藤が、ここ数試合は活き活きとやれているし、今日も90分プレーし、チャンスも作っていた。その事実が僕の考えるところの裏打ちにもなっている。
確かにのんびりと勝てるようになるのを待っている余裕もないのだが、それでもここは次の試合を信じるべきだろう。

| | コメント (0)

2012年5月26日 (土)

バンディエラの涙

2007年にもバンディエラについて触れた記事があります。
バンディエラとは、サッカー界ではいわゆるチームリーダーとか、チームシンボルである選手を指す。
そういう選手は「僕はバンディエラですから...」なんて絶対クチにしないが、その名前の持つ責任は十分過ぎるくらい自覚しています。
むしろそれがバンディエラと呼ばれる選手の条件といってもいい。
ゆえに尊敬されるべき人間ともなる。
そんなシンボルのような選手がチームを去る。
チームにとってとても大きなことです。
チームのサポーターにとっても大きな悲しみです。
 
例えば、ユベントスのデル・ピエロは今季でチームを離れます。
ユベントスのサポーター以外にもそれを悲しむ人がいるくらいです。
 
が、バンディエラと呼ばれるほどとなってもプロスポーツの競争原理の中で必要以上に優遇されるわけではありません。
自分の力でその名に相応しい力を示し、実績を挙げ続け、ポジションを勝ち取っていかないといけません。
それができなければ、人々の記憶に残り続けることはできても、人々の目の前から消えなくてはならないのです。
そしてその際の評価は監督が下します。それが監督の仕事だからです。
監督は情を勝利に優先させることは許されません。
そのことを選手達も自覚していなくてはいけません。
だからこそチームが強くなっていくことも。
 
その選手は一度チームを離れていました。
在籍時はバンディエラと呼ばれたことはなく、むしろ上向かないチームの責任を全部背負わされるような罵声を毎試合浴びせられていました。
ゆえに出て行ったとも取られました。
でもチームがさらに深刻な状態を向かえ、ほぼ崩壊寸前になったときに彼は帰ってきました。
過去の苦い思い出も抱えたまま、むしろゆえにそんな”我が家”が見ていられなくなったから戻ってきました。
チームは生まれ変わりました。彼がそれを成績以上に、精神面で支えました。
そしてその後も多少に浮き沈みを経ましたが、チームを日本一に導きました。
数字ではそこまで貢献したとは言えなかったと思いますが、誰もが彼がそこへ導いてくれた最大の貢献者だとわかっていました。
フロントも、監督も、チームメイトも、誰よりもサポーターがわかっていました。
でも、出て行くときは来てしまうのです。
 
選手は試合に出たい、力を示したいと思うからで、それゆえに選手でもあるわけです。
だからここでは試合に出られないのならば、他に行くしかないと決断するわけです。
監督の評価が正しいとは限りません。
でもその評価基準はそのときのチームにとって絶対です。
選手の決断も、監督の評価も受け入れなくてはいけません。
それは簡単なことじゃありません。
でもこういうことを含め、悲しさや悔しさや怒りなどを乗り越えることを試され続けることはサポーターの宿命だと僕は思います。
それは決して監督やフロントが我々に課すのではありません。
最後にそれを実行するのは彼らであっても、そもそもそれがプロスポーツの世界の鉄則だからです。
我々はそれを乗り越えないといけません。その選手も。
 
北嶋秀朗。日本のイバン・サモラーノ。
熊本でもゴールを決めるんだ。
お前がやらないといけない。
まだまだ燃えるものを君が持っていることはみんなわかってる。
その舞台がどこであろうとも、君が目一杯戦える舞台を追い求め、そこでゴールを決めるんだ。
その姿勢こそが、北嶋秀朗がバンディエラである理由なんだ。

| | コメント (0)

2012年5月24日 (木)

「伝説の名勝負」ご当選。

コスミック出版という出版社があります。
ここはJリーグ関連では選手名鑑を出したりしているのですが、実はクラブごとの「伝説の名勝負」シリーズを作っているのです。
これはクラブの過去の歴史の中での有名な10試合をリストアップして、サポーターがそれぞれ1番の名勝負だと思っている試合に投票するのです。
その結果1位に輝いた試合は、その試合の特製DVD付きのDVDブックとして発売されるのです。
今までには、鹿島、名古屋、浦和、ガンバ、横浜FM、FC東京が「伝説の名勝負」を出しています。
実はそのシリーズの新刊に実家の近くの黄色いクラブが選ばれ、3月にアンケートがネット上で行われていたのでそれに投票したところ、その試合が1位に選ばれ、その試合の投票者の中からの10名にDVDブックをプレゼントというやつに当選したのでした。
というわけで、一般発売日の今日、そのDVDブックが届きました。
 
選んだ試合は1999年11月3日のナビスコカップ決勝、柏レイソル対鹿島アントラーズ。
試合終了直前にDF渡辺毅が劇的な同点ゴールを決めて、その後、PK戦でレイソルが勝利を収め、Jリーグ昇格後の初タイトルを手にした試合です。
個人的な思い出としては、その頃はとにかく仕事が忙しくて平日も土日もない一週間をずーっと続けていました。
決勝の日(11月3日)もよく休めたなあと今になって思うくらいの忙しさでした。
そんな感じだったので、結構試合開始間近に国立に着いた記憶があります。
それから、ナビスコの決勝なのに3万5千人くらいしか入らなくて結構空席があったこと。
試合に勝って、あらかじめサポーターで用意していた優勝記念Tシャツを選手に渡そうと最前列の手すりのところまで行ったら、後ろから押し寄せた人達と手すりに挟まれる形になって全員身動きが取れなくなって困ったこと。
グダグダの状況でもどうにか選手達へのTシャツを渡したくてグラウンドにシャツを皆で放り込んだところ、大野敏隆が全部かき集めて選手達に持っていってくれた。
ちょうど記念撮影が始まる直前で大野はTシャツの山を抱えながら走っていったが、その後ろ姿が、サッカー部の先輩が着た汚れたシャツをかき集めて洗濯機に持っていく1年生部員みたいで笑えたこと。
そんなとこが思い出かな。
 
いつかヴォルティスの「伝説の名勝負」が出るといいな。
無理だと思うけど、個人的には大塚FCの「伝説の名勝負」が出てくれると嬉しい。
試合の映像残ってないからムリだろうけど。
そのときは2003年11月16日の都田サッカー場でのHONDA戦に投票したい。

| | コメント (0)

2012年5月20日 (日)

今日のこの感覚をどう育てていけるか。

前節、京都戦はカントクじゃないがもったいない試合だった。
相手がペースを落としたからとか条件があったかもしれないが、ああいう戦い方ができること、身に付いていることに気づかずに殆どの時間を臆病に過ごしてしまったといってもいい内容だった。
 
というわけで、今日の鳥取戦は勝つだけじゃなく、勝利を目指す姿勢も問われる試合になっていたと思う。
フラフラな勝ち方では納得されないし、次節の湘南戦が心細くなるばかりだ。
無論、勝つことは絶対条件ではある。
 
結果として勝てたし、流れからゴールを決める形も決められた。
まあ、空振りして軸足にあててラストパスなんて高度な技はそうそう決まらないとは思うけど。
二点目のカウンターでのラストパス⇒シュートの流れも早くてよかった。
出したコースも、そこへ走った津田の動きもよかった。
3点目もできればシュートまで行って欲しかったが、PKを得るまでの形はよかった。
 
だが、最大の収穫は「ホラ、できるじゃん。」的な感覚なんじゃないだろうか。
ドウグラスも乗れてきてる。
この感覚をどう育てていけるか
上手くいけばチーム自体が乗っていける。
だから次節はもっと大事な試合になる。
その感覚をより厳しい相手を使って磨かなくてはいけない。
もちろん勝たなきゃいけない。
だが、失うものがあってもいけない試合だ。
この感覚が幻覚だったなんてわけにはいかない。
この感覚を研いでいかなきゃいけない。
身体に染みつかせなきゃいけない。
また逆戻りするわけにはいかない。
 
でも試合後の津田の表情を見ていると、十分自覚しているようにも見える。
次節は本当に大事だ。
昨年と同じように勝とう。

| | コメント (0)

チェルシー、欧州王者に!

今朝は早起きしてチャンピオンズリーグの決勝を観戦。
昨日早寝して備えたのが効きました。
キッチリ午前3時に起床。
 
対戦カードはバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)対チェルシー(イングランド)。
共に準決勝で優勝候補、そして現在の欧州サッカーシーンで最も強いといわれるスペインの2強を破っての決勝進出。
しかし、双方とも主力を出場停止などで欠く厳しい陣容。
とくにチェルシーは主将テリーらを欠いており、守備的に戦わざるをえない状況でした。
相手のバイエルンはロッベン、リベリーの強力両サイドが健在、しかも決勝は自身のホーム、アリアンツアリーナでの試合となれば、チェルシーにとってはまさにアウェイ。
 
試合は予想通りに守るチェルシー、攻めるバイエルンの展開に。
前半は両サイドに渡ったときになかなか厳しくアプローチできず、守備が下がってしまい度々エリア内でシュートを打たれましたが、GKチェフの好セーブもあってどうにかスコアレスで折り返し。
バイエルンは先制したかったところでした。
後半も同様の展開になるも次第にバイエルンもペースダウン。すると、チェルシーの守備ラインも下がらずに対応できるようになり、試合はチェルシーにもビッグチャンスが訪れるようになりました。
しかし83分、ミュラーがヘッドで決めて待望の先制点。
実はこの瞬間よそ見をしていたのでリアルで見ておりませんでした。
「ありゃ、せっかく早起きしたのに...」と嘆いていました。
まさか、このまま試合が終わらないとは正直想像できませんでした。
88分、この日初のCKからドログバが同点ゴールを決めて試合を振り出しに戻します。
そしてそのまま延長戦へ突入。
バイエルンの精神状態はどうかなととても気になる延長戦でしたが、延長立ち上がりの93分、エリア内でリベリーがドログバに倒されPKを得るバイエルン。
ところが、GKチェフがロッベンのPKをストップ。
リベリーはこのPKのファウルでプレー続行不可能となり、さらに精神的にイジメを喰らうバイエルン。
結局、延長でも決着つかずPK戦へ突入。
ここでもまず優位に立ったのはバイエルン。
1本目、チェルシーの司令塔マタがPKを失敗。
盛り上がるアリアンツを占めるバイエルンサポーター。
しかし、チェフがバイエルン4本目のオリッチを止めてイーブンに。
そして5本目、シュヴァインシュタイガーのシュートがポストを叩いて栄冠はチェルシーに輝きました。
 
この日のMVPは私は思うにはドログバだったと思います。
今季で契約が切れるドログバ。
チェルシーのキャリアの集大成になるかもしれない大一番で終始冷静でした。
延長でPKを与えても冷静でしたし、表彰式でビッグイヤーをオーナーのロマン・アブラモヴィッチ氏に自ら手渡すシーンを見ても彼の精神的な強さ、成熟度をあらためて感じました。
同様な精神的な強さは、幾度もの好機を逃し、PKで勝利の女神に振り向かれかけてはソッポを向かれた悲運を味わいうなだれるバイエルンイレブンを表彰台に促すラームからも感じました。
あれくらいの精神的な強さくらいは身につけたいです。
 
チェルシーはシーズン当初に他のクラブとの競合に勝って承知したビラス・ボラス前監督を成績低迷で解任。
監督代理(?)のディ・マッテオのもと、リーグ戦こそ6位に終わりましたが、ビッグイヤーの獲得という成果を出しました。
おかげで来季チャンピオンズリーグに出場できることになったのですからクラブ財政的にも大きいですよ。
もっともおかげでトットナムはチャンピオンズリーグに出場できなくなったのですから、スパーズファンは落胆が大きいでしょうね。
プレーオフに回されたアーセナルのファンも含め、ロンドンは一部を除いて「ケッ(-"-;)」って感じじゃないですかね。
でなきゃフットボールじゃないよな。
ライバルの偉業を素直に喜ぶようじゃね。
 
早起きしていい試合を見せてもらいよかったです。
まあ、昨日気分よく寝れたのも大きかったですがね。

| | コメント (0)

2012年5月16日 (水)

20年目に入って思うこと。

93年5月15日にJリーグが開幕し、今年で20年目を迎えました。
誤解しやすいけど、年齢で言えば19年が経ったってことですよね。違うか?
私も同じくサポーターとして20年目なので、もうそんなに経ったんだなあとあらためて思います。
 
93年のJリーグ開幕では国立競技場でのヴェルディ-マリノスがよく取り上げられますが、私はあの試合はただ漠然と観ていただけで、実際ここにすぐに自分が絡むことになるなんて思ってもいませんでした。
Jリーグって何かすごいなあと思ったのはこの国立のカードではなく、カシマスタジアムでやった鹿島アントラーズ-名古屋グランパスエイト戦だったと思います。
当時サッカーには無知だった私でもギャリー・リネカーくらいは知っていたので、そのリネカーを見ようとテレビのチャンネルを合わせたのを覚えています。
試合はジーコの独壇場で、そのプレーに衝撃を受けました。
 
当時はJリーグのチケットなんて全然手に入らない。
唯一ほんの少しだけ残ってたのが実は浦和レッズの試合のチケットだったですね。
当時のレッズは本当に弱かったので、それで残ってたんだと思いますが。
数年後には人気クラブになって、一番チケットが買えないクラブになりました。
それから、サンフレッチェが国立でホームゲームやってたり(それもチケット完売)もした記憶があるんですが。
とにかく凄かったですね、あの勢いは。
 
私はというと地元の新聞広告に入っていた柏レイソルのチラシで、自宅からすぐのところにプロサッカークラブが出来て、今はJリーグではないが来年からのJリーグ参入を目指していると知って観に行き始めたのです。
当時のJFLはJリーグとは別世界で全然お客さんいなくて、それこそ今のJFLの世界と同じ。
スタジアムの入退場もユルユルで、実はチケット持たなくても簡単に入れたほどでした。
そして初めて行ったロングアウェーが高知の春野で、相手は大塚製薬でした。
ここでヴォルティスとの、あの人との運命的な出逢いを果たすのです。
その日のことは、今でも試合以外のことも朝から夜まで結構いろいろ覚えています。
でもそのときは今の自分を想像はできなかったなあ。当たり前だけど。
 
大塚、ヴォルティスのサポーターとしてだけ振り返っても本当にいろいろあった。
西が丘で関東隊のメンバーとなるHくんやまるは氏やガクなんかと出会ったこと。
緑ヶ丘での関東隊結成の初陣を飾ったこと。
その試合がブラジル人選手の骨折とか、DFのレッドカードとか、エースのセッキーのハットトリック&Vゴールとかとにかくイベントてんこ盛りの漫画みたいなゲームだったこと。
J参入を断念したときの悲しさ。
J2ができてコンサドーレとか参入クラブに選手引き抜かれて戦力がズタズタになって苦しいシーズンが続いたこと。
「本気で補強します。」と言ってくれたときのサッカー部部長の小賀さんの顔。
あと一歩で優勝できるってシーズンに都田でHONDAにボコボコにされたときのこと。
無敗で最終戦まできて、優勝する可能性もあった試合でふがいない内容で終わった後、セッキーと会話したときのこと。
セッキーはもう引退するんだろうなって、本人も含めてそこにいた全員が思ってて、だから誰もそのこと口に出さずに話し合って、そして誰かが「セッキー、何かちょうだい。」と言って手袋をくれて、そのまま「じゃあね」って帰っていったセッキーの背中姿。
その翌日に「やめない。まだやる。考え変えた。」って話を誰かに聞かされて苦笑いしつつ嬉しかったこと。
明日優勝が決められる都田でのHONDA戦の前日に、奥さんが産気づいて、「ああ、明日は行けない。」と諦めてたら、その日のうちに生まれてくれたこと。
奥さんに「明日の試合行ってきな。」と言われたときのこと。
いろんな思いを背負って都田に着いたときのこと。
最後まで苦労したけど優勝を勝ち取ったその試合のこと。
ピッチ上に貯金箱のトロフィーを持ってみんなと乱入したときのこと。
そのトロフィーが壊れて、破片が散らばらないように慌てたこと。
その壊れたトロフィーが回りまわって、今季で退団することになってたキャプテンのナリの手に渡り、そのトロフィーを泣きながらナリが掲げたときの姿のこと。
「オダジ、見てるか!俺たちはとうとうやったぞ!!」とみんなで空に向かって叫んだときのこと。
他にもいろいろあった。
 
これからもまだまだいろいろ起きる。
  
サポーターそれぞれに歴史がある。
日本のサッカーはまだまだ走り続ける。ヴォルティスも走り続ける。
20年目は降り返るには悪くないタイミングだが、実はまだまだ何も成し遂げていない。
まだまだ走らなくちゃいけない。
まだまだ走ろう。

| | コメント (0)

2012年5月14日 (月)

妙な期待感に踊らされ...

不思議な感じがする試合だった。
 
シュート1本も打てないままのしょうもない試合なのに、京都もシュートは少ないし、決まらない。
去年から京都の顔になった久保が大ブレーキでシュートは外すわ、味方と交錯するわで、双方とも締まらない試合でそのせいで可能性が消えない変な試合展開が続いた。
しかし、どちらかというと内容のいい京都が後半とうとう先制する。
徳島はここまでいってもシュートゼロ。
その後、太田が投入され状況の打開を図るも、セットプレーから2失点目を喫する。
こりゃダメだと思ったら、そこから反攻が始まり、勢いが増していく。
そして、今季初のパターンなんじゃないかと思う、サイドからのクロスにゴール前でドウグラス合わせて決める。
これがこの試合のファーストシュートという素直に喜べない一発だったが。
その後も、高い位置でボールも奪い、ジョンミンもシュートを放った。
が...届かずに敗戦。
反撃が遅すぎた。そもそもファーストシュートが77分(前半AT入れればほぼ80分)なんてありえない遅さだ。
 
思えばこの一週間、監督のチームへの手応えを感じているというコメントがメディアに出ていた。
「おや!(↑)」とかいうセリフとかね。
そういうウワサ(?)を先に聞いてしまったことや、前節で津田-花井ラインで点が取れたことなどの可能性を感じさせる情報を先に仕入れてしまっていたことが、この試合への期待感以前に、悪くても何とかなるかもという根拠不明な安心感を先に抱いてしまったかもしれない。
本来ならば先制された時点で耐え難いくらいの憤怒に刈られてもおかしくはなかったのだろうが、何か期待感があった。
それが悪いとも言えないのだが、結果としてその後クロスから見事に決めたし、それを今後についてどう感じたらいいのかという部分がいまだ消化できていない。
兆しとしても極めて小さいことであり、負けたことも事実としてあり、落胆と期待とが変なミックスをして脳に横たわっている。
 
落胆した部分に付け加えるなら、監督のインタビューで「おや!(↑)」が試合のときは「おや?(↓)」になってしまったらしいところがキツイ。
結局あれは何だったんだと。
手応え感じただけかいと。
 
状況は一進一退ではなく低空飛行のままだ。
浮上の兆しもあるのかないのか。
監督が何となく感じた好感触が、妙な期待感(俺だけかもしれないが)に変わり、結局現実を再認識させられたに終わった京都戦。
ハッキリ言って茶番だ。
 
だが、もうこんな茶番に付き合っていられる余裕は正直ない。
観ている側の不安は一向に解消されない。
それでも信じろ、応援してくれと言うならば、ぬか喜びさせるような記事を書かせるような情報を提供しないでほしい。
キチンと結果で応えて欲しい。
シーズンは3分の1を消化した。
今の順位では、ここから先は勝てる相手には勝って、厳しい相手はドローでも...なんて計算ではやっていけない。
それともファン、サポーター、そしてスポンサーの目先のイライラを凌げていれば、そのうち文句を言われない状況が自然にやってくると思っているのだろうか?
怖いのは、どうしようもなくなったとき逃亡したりしないかということ。
そうなったらツケを払うのはフロントではなく、監督でもなく、徳島という地域なんだぞということ。
極めて不安だ。
 
それにしても、何ともバカバカしい一週間だったなと今になって思う。
次は勝つしかないぞ。

| | コメント (0)

2012年5月12日 (土)

渦帝の音楽ノート 第2回 サンダーヘッド

Ca3f0804 書くネタが無いとき用に始めた企画の第2回目です。
今回紹介するのはサンダーヘッド。
アメリカ人のヴォーカリストと3人のドイツ人メンバーで構成されたちょっと異色の編成のハードロックバンドです。
 
1988年、アメリカ人のテッド・ブレットはNYを中心として音楽活動をしていましたが一向にブレイクできずにいました。
そこへドイツのVICTORYというバンドのメンバーが現れました。
当時ヴォーカリストを失っていたVICTORYはテッドに注目し、わざわざ会いに来たわけです。
テッドは一緒にドイツに渡りオーディションを受けますが、いざ合わせてみるとあまり上手くいかず、結局加入の話はご破算に。
しかし、そのままドイツに残ったテッドがバーで出会ったヘンリック・ウォルター(g)とオーレ・ヘンプルマン(b)と意気投合。
その後、ドラマーのアレックス・スコッティが加入して出来上がったバンドがサンダーヘッドです。
 
Ca3f0803 89年にデビュー作「BEHIND THE EIGHT-BALL」をリリース。
アメリカ人のテッド・ブレットが全曲作曲。
サウンドはテッドのパワフルなヴォーカルを前面に押したアメリカ的なパワフルなロックンロールでした。
スピード感溢れる楽曲群でグイグイ押していくかと思うと、熱い情感を込めたバラードもありなど、実に日本人好みのサウンドでした。
ゆえに日本でのみブレイクしていた感がありますが、実力は本当にありました。
殆どテッドに依存していたともいえますが。
 
90年にはセカンドアルバム「BUSTED AT THE BORDER」、91年にサードアルバム「CRIME PAYS」をリリース。
当時はアメリカを中心としてヘヴィメタル/ハードロックの一大ムーブメントが来ていた時期で、日本でも好景気に押されメジャー、マイナー問わず多くのロックバンドがCDを日本でリリースされ、来日も果たしていました。
それを受け容れるだけのお金をメタルファンもお財布に持っていたのです。いい時代でしたが狂ってもいましたね。
サンダーヘッドもその流れに乗って日本でも知られるようになりました。
もっとも、サンダーヘッドを聴いていた人には評価は高かったと思いますが、多くのバンドに埋もれ、決して知名度は高くありませんでした。
実は私もそのクチで、サンダーヘッドを知るのは1992年3月の初来日公演になります。
 
その日、午前中に友人から電話を貰いました。
サンダーヘッドのライブのチケットが1枚余っているから来ないかとの誘いでした。
サンダーヘッドという初めて聞くバンドでしたが、ちょうどヒマだったので誘いを受け、私は川崎のクラブチッタに行くことにしました。
その公演は追加公演だったのでチケットがだいぶ売れ残っていたらしく観客は100人いたかどうかだったと思います。
他の公演の入りがどうだったか知りませんが、とにかくその日はガラガラで最前列ですらスカスカでした。
しかし、そんな状況の中で演奏したサンダーヘッドのパフォーマンスは圧巻そのもので、私は一発で彼らの大ファンになってしまいました。
そして、その来日公演のパフォーマンスは日本のハードロックファンの間で評判になり、サンダーヘッドは名前を知られていきました。
評判のわりには実際来日してみると...みたいなバンドも多かったなかで、サンダーヘッドのライブは本物の実力が発揮されていました。
そして93年には「KILLING WITH STYLE」をリリース。
94年には2度目の来日公演を果たします。
もちろん観に行きましたが、初めて観に行ったときとは観客の入りは雲泥の差で大入りになっていました。
94年にはライブアルバムをリリース。
 
しかし、ロックシーンに台頭してきたグランジブームというかオルタナティブブームの影響を受けてサウンドにうねるようなリフを混ぜるバンドが増えてきたなかサンダーヘッドも影響を受けてしまいます。
5枚目「WHERE YOU TOLD THE TRUTH ABOUT HELL?」(邦題:トゥルース・アバウト・ヘル)はサウンドに変化が生じていました。
当時はこういうバンドは多かったのだが、大半がその変化が評価されないまま評判を落とすバンドが殆どでした。
サンダーヘッドの変化は大きくはなかったが、より大きな成功を求めて、時代の潮流になっていたサウンドのエッセンスを取り入れたのかもしれません。
でもやっぱり成功はしませんでした。
結局、このあとテッドとドイツ人3人との間に対立が生まれ、テッドは脱退。
ドイツ人3人が他のヴォーカリストを入れてサンダーヘッドを継続しましたが再浮上はしませんでした。
そしてテッドも99年にサンダーヘッドを名乗る新バンドを立ち上げアルバムをリリースしましたがこちらも再浮上できず。
テッドはその後、元SAXONのメンバーたちとSONOFABITCHという危ない名前のバンドを結成。
実はSAXONをクビになった(それぞれ時期は違う)メンバーのSAXONへの当てつけみたいなバンドだったのですが、そこのヴォーカリストとして迎えられ日本でもアルバムがリリースされました。
しかしこれも上手くいかず、その後はテッドは何をしているのかという状況です。
 
最近、ファーストアルバムの「BEHIND THE EIGHT-BALL」をウォークマンに入れて聴いています。
いいバンドだったんだけどなあと思いつつ、このバンドのサウンドも20年以上経っても活き活きしていていい音楽だよなあと実感するのです。
アルバムは今でもアマゾンなどで全部買えます。
バラード好きにはバラード集などもありますが、ライブ盤は素晴らしいのでこれもオススメです。

| | コメント (0)

2012年5月11日 (金)

今朝の新聞の千葉ジェッツの記事より

今朝読んだ朝日新聞の千葉面に千葉ジェッツの記事が掲載されていました。
結構大きなスペースが割いてあり、とても興味を引きました。
シーズンが終わってからあまり記事が載らなくなっていましたし、シーズン中でもここまで大きな記事は記憶にないので正直嬉しかったです。
 
内容は今季を振り返ってみたいな記事でした。
去る4月15日のホーム最終戦に今季最多の2404人が詰め掛けたこと。
その試合でも浮き彫りになったチームの戦いぶりの課題。
そしてチーム運営に関する部分の課題や来季の計画についても結構ハッキリとしたことが書かれてありました。
10月の開幕直前にチームが編成され、とにかくチームも営業も走りながら今季を乗り切ったと書いてありました。
今季の平均観客動員数は1試合当たり1143人。及第点は1500人なのでまだまだなこと。
ホーム26試合中平日開催が8試合でそこでの平均入場者数が600人台だったことも足を引っ張ったとも書いてありました。
また、選手たちが積極的に地域のイベントに参加していること、そして何故積極的に参加するのかという部分にも踏み込んでありました。
 
というような内容の記事でしたが、課題がいろいろあることはわかりましたが、それでも記事を書いてもらえたことをファンとして素直に嬉しく思います。
千葉ジェッツに限らず、bjリーグ、そしてバスケに関するメディアの露出はとても低いです。
本屋に行っても、バスケットボール専門誌は少ないですし、大概月刊誌。
そして私の個人的な感想ですが、3分の2はNBA関連。
その次は高校バスケ、その次はJBL。
そしてbjリーグという露出の順位に感じました。
それくらいまだまだ露出が少ない。
それでも全国誌でそこまで露出がなくてもいいとも思います。もちろんあれば宣伝効果は絶大ですが。
それよりも今回みたいに地元の新聞に記事を書いてもらったり、地元のタウン誌に定期的なコーナー記事を設けてもらったりの方が今は意味があるんじゃないかなと思います。
昔、大塚FCの記事を「あわわ」がよく書いてくれてたみたいにね。
残念ながら船橋には「あわわ」クラスの認知度があるタウン誌はないんですが。
だから、朝日新聞に記事が載ったことは嬉しいのです。
 
最大の課題はファン層開拓でしょう。
船橋アリーナが近い、わが住まいのある船橋日大前周辺は住宅の建設が最後のピークを迎えており、秋までには500世帯以上が生活拠点を新たに構えると思われます。船橋アリーナからは歩いても20分のエリアです。
2000人以上の新規ファン層になりえるまだ見ぬ人達がいるともいえるわけで、いろいろな営業活動やイベントで掘り起こせたらなあと思います。今も結構な人が住んでいるのですが、まだまだ私の近所でのジェッツへの認知度、感心は低く、それ以前にポスターなどの露出もはっきり行って隣駅の北習志野に比べると少ないです。
ささやかな夢ですが、千葉ジェッツの試合のある日は船橋日大前近辺から船橋アリーナへの道を赤いグッズを身につけた人達が大勢歩いていく光景を思っています。
ちょっと広い範囲でのイベントなども大事なんですが、足許のファン層開拓も進んだらなあと。
そういう意味でもっと今回のような新聞記事が掲載されてほしいです。

| | コメント (0)

2012年5月 9日 (水)

お気遣いをどうも。

今日、ツイッターでクラブよりJ’sGoalの記事についてのツイートがありました。
内容は「J2日記」徳島:徳島を愛する皆様へ、とありました。
J’sGoalで松下さんという方が書いた記事です。
内容は簡単に言えば、今はツライですが、暗黒時代を思い起こし、挫けずにチームを後押ししてくださいというものです。
 
率直に言えば、お気遣いをどうもという感じです。
が、唐突にこんなことJ’sGoalの上で言われてもねえってところも率直なところです。
そんなに悲惨に見えますかね、俺たち。
言われたかねエな。
 
まあ、ありがたくお気遣いを頂いておきますよ。
それだけ。

| | コメント (0)

2012年5月 7日 (月)

希望の一刺し?

なかなかすっきりした気分でサッカーを観終える試合が少ない。
我慢こそがサポーターにとってもっとも大事なこととは思うが、やはり何年続けていても慣れることがない。
それでも我慢するしかない。
かならず光は差すからだ。
 
どちらもどん底に近い状態のチーム同士の対戦。
多分どちらも追い込まれている部分が試合の入り方に影響することはある。
そして、それはホームの徳島の方に先に出たかなとも思う。
立ち上がりに三木さんがやらかしかけて、正直運良くシュートを外してくれたピンチに始まり、ゴール前の混戦でクリアなんだかパスなんだかわからないプレーからミドルを打たれたり、同じくゴール前混戦からこぼれ球を打たれたり...。
それでも先制されなかったのは...どっちかってったら運がよかったとは思う。
むしろ、後半先制された場面は、あの1対1で振り切られるケースはないだろと思った。
やっぱり、上手くいってないねぇ。
 
それでもね、希望を感じるプレーはあった。
同点のシーンだ。
以前、花井だか、津田だかどっちかが互いと感覚が合うとか発言してた記憶がある。
この試合で、それが本当なんだなと思った。
この少し前にも津田への縦パスが(多分)花井から入って抜けかけたシーンもあった。
水戸戦のときもボランチよりトップ下に花井を置くと面白くないかなあと思ったこともある。
確かに一度上手くいったくらいで、これで盛り返していけるとも思うのは早計だが、小さいが希望の一刺しにも思えた。
次の京都戦で津田-花井ラインがどれだけやれるかをよく見ておきたいと思う。

| | コメント (0)

2012年5月 4日 (金)

やはり勝ち点3が一番の良薬。

新規昇格組と試合をするのは結構リスクが高い。
特にチームがこんなどん底状況では。
水戸戦の試合後もみんなそれを気にしていた。
 
とにかく勝てたことでスタッフ、選手、サポーターみんなホッとしている。
やっと気分良く眠れるから。
そりゃ昇格狙ってるんだから内容だって求めたい。
それこそ新規昇格組相手なら。
ましてや鳴り物入りで上がってきた山雅が相手なら。
でも今回は勝ち点3を取れたことで満足しなきゃ。とりあえずね。
 
鈴木達也がインタビューで応えているように甲府戦後にスタッフ、選手全員で意見交換をしたらしい。
水戸戦での試合後、ある人と話をしたときにスタッフ、選手間のコミュニケーションに不安を感じただけに、それでも意見交換はされているんだなと少し安心はした。
もちろん、一度そういうことをしたくらいで解消されるとも思っていないし、そこで結果がでなかった水戸戦の試合後なら話し合ったことの効果を疑問視してしまうこともあったのかもしれない。
でも今回結果が得られたので、またコミュニケーションして次も結果を出していくことが今もっとも大事なことだと思う。
選手達に言いたいことは、もっと自分を信じてくれと、必ず今日みたいに光りは差すからと。
 
正直、自分も今日の試合はすごく不安を感じていた。
不謹慎だが、今日負けることの方がポジティブな方向に向かうんじゃないかとも少し思ったし。
でも、やはり今は勝ち点3が一番大事でいい薬にもなると試合後に実感した。
我々サポーターもネガティブなスパイラルに囚われすぎないようにしないと。
そりゃ、今のスタッフが信じられるかどうかという気持ちは今回勝ったくらいで拭いきれないだろう。
だが、采配がどうであれ、ピッチで戦い局面で個の力で勝負しているのは選手達なのだから、その局面で打ち勝てるように選手を押してやろう。
そこで勝たせることが出来れば、一番簡単に勝利に近づける道となるのだから。

| | コメント (0)

2012年5月 2日 (水)

スポーツジムにデビュー!

ずっと運動不足な日々が続いていました。
昨年の秋くらいまでは週末の朝はランニングをしていたのですが、ここ最近は遠のいていました。
遠のいていたといっても、そのランニングコースである家の近所の公園の遊水池(2ヘクタールくらいある広い池)の周囲の歩道にはよく顔を出していたのです。
目的が野鳥の観察&撮影に変わってしまっただけで。
とはいえ、人間ドックの検診結果もあって、運動不足を解消せねばなりませんでした。
 
そんな折、年の初めに近所に会員制のスポーツジムできるとのチラシを手にしました。
今までスポーツジムには行ったことがなかったのですが、家族の勧めもあり入会してジム通いをすることにしました。
そして昨日5月1日、いよいよジムがオープン(実際は4月中旬にプレオープンしていました)しました。
水戸戦の翌日の1日は実は年休をとっていたので、その夜の日立台でのAFCを観に行く前にちょっと身体をいじめに出かけました。
 
そのジムはマシンやスタジオのプログラムと、運動後に浸かれるお風呂があります。プールはありません。
ジムというとランニングマシンのイメージがあります。
やはり一番人気なのはこれで、20台くらいあるマシンは全て使用中。
20分くらい待って(その間マシントレで特に肩とお腹をトレーニング)一台空きました。
皆さん、走るの好きなんだなあ。自分もそうだけど。
走り出すと何かストイックな気分になってくるんですよ。
マシンと外を走ることの違いは、まず風景が変わる、変わらないと当然ですが、マシンだと同じペースで走り続けるので走り終わったときの身体の感じが違います。
床が動くのに足を合わせていると、走り終わったときに足に力が入らなくてよろめきました。
まだマシンに慣れていないせいもあるでしょうが、走っている最中にタオルで顔を拭こうとしたら、走っていることへの集中が落ちてコケそうになったりして、外を走っているのとは違うんだなと実感しました。
 
できれば週一くらいは通いたいなあを思っています。
あと5年くらいはスタジアムで旗を降っていたいし、そのためには上半身も強化しないとね。

| | コメント (0)

« 2012年4月 | トップページ | 2012年6月 »