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2012年9月12日 (水)

渦帝の音楽ノート 第7回 ザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド

Ca3f0453 さて、今回取り上げるアーティストはこの音楽ノートの企画を考えたとき、まず取り上げなきゃなと思っていたアーティストです。
私の心の中で、最も偉大なブリティッシュロックの英雄、アレックス・ハーヴェイ。
そして、彼が率い、70年代のブリティッシュロックシーンを席巻したザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドを今回、満を持して取り上げます。
 
Ca3f0455 その前に、何故7回目になって取り上げるのか、まず取り上げる気なら第1回でしょとなりますが、実はあるカセットテープを実家で探し出し、その音源をコピーしてこないと彼の記事を書けないと思ったからです。
そのカセットテープをようやく先週末、実家の自分の部屋のクローゼットの奥から探し出し、カセットレコーダーからウオークマンにコピーすることができたのです。
そのテープに何が入っていたのか?
正確な年はもう覚えていないのですが、少なくとも20年前に録った、今も千葉のBayFMで土曜の深夜に放送されている音楽評論家の伊藤政則氏が司会を務めている番組「パワーロックトゥデイ」のマスターワークスというコーナーで放送された、アレックス・ハーヴェイの貴重なインタビューと伊藤氏の解説が録音されてあったのです。
 
今回の記事は、当時録音した「パワーロックトゥデイ」より引用させていただきます。
伊藤先生、申し訳ありません。
 
何故、当時それを録音したのか?
実は偶然というか運命じみたエピソードが当時の私にはありました。
このアレックス・ハーヴェイのインタビューが放送された日の数日前に、地元の輸入レコード店のSALEで偶然ザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド(以下、SAHB)の傑作「The Impossible Dream 」(1974年)のアナログ盤を見つけていたのです。
「The Impossible Dream 」は、様々なジャンルを取り混ぜ、そして非常にバラエティに富んで個性的な楽曲群と、それらをアルバムの中で絶妙な構成で組み立て、聴き手を飽きさせない素晴らしい内容であり、その素晴らしさにノックアウトされたばかりでした。
そんな直後に今度は貴重なインタビューを聴ける機会ができたのです。
これは録音しておくしかない、とカセットテープを用意して急遽録音したのがこのテープでした。
カセットテープですから、カセットレコーダーがなくなったら聴くことができません。
なんとしてもこの音源だけはデジタルデータにして保護しておかないといけないと思っていましたが、探すのに手間取ってしまい、やっと先週末にテープを見つけ出し音源のコピーが終わったのです。
コピーして確認してみると、20年以上前のカセットテープなのに、非常にクリアな音質が保たれていて驚きました。
一部分で音がよれる箇所がありましたが、それ以外殆ど音質に問題はありませんでした。
かくして、やっと記事を書く準備が整ったのです。
 
アレックス・ハーヴェイについてまず説明しましょう。
1935年2月5日にスコットランド、グラスゴーで彼は生まれました。
1950年にイギリスでスキッフル(注1)ブームが発生し、1950年代末に数多くデビューしたスキッフルをプレーするミュージシャンの一人として音楽活動を開始します。ロックが生まれる前から音楽活動を始めていたのです。
アレックス・ハーヴェイ・アンド・ビッグロールバンド、アレックス・ハーヴェイ・アンド・ブルースなどのバンドを経て、1970年代に一人で音楽活動をしていた時期にバンドの結成をある人物にアドバイスされたことをきっかけに、いろいろなミュージシャン、バンドを聴いて回るようになり、同郷のバンド、ティア・ガスと知り合い、アレックスが合流する形になり、それがザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドとなります。
1972年にアルバム「Framed」を一週間でレコーディングしてリリース。
翌年、2ndアルバム「Next」をリリースします。
SAHBの音楽は演劇的要素を強く取り入れた非常にシアトリカルなものでした。
ギターはザル・クレミンソン、彼は高い技術を持ちながら、ピエロのメイクや緑色の派手な衣装を纏い、ピエロのような笑いを誘うようなアクションも行い、シアトリカルなバンドの音楽スタイルを技術、ビジュアルの両面で支えました。
また、ベースのクリス・グレン、ドラムのテッド・マッケンナ、キーボードのヒュー・マッケンナも実力者揃いでした。
以下のインタビューでも書きますが、アレックス本人はシンガーというより役者としてステージをしているという意識を強く持っていました。
ロックバンドでありながら、ロックだけでなく、ジャズ、ブルース、シャンソン、ミュージカル、スンダードナンバーなどいろいろな要素を取り入れ、ライブステージでも大勢のエキストラを登場させ、衣装を代え、聖書やポエムも読み、クライマックスでは大きな十字架を背負って登場し、自らそこに磔になるなどの演出を施し、その個性的なスタイルで英国で絶大な大衆人気を得ていきます。
「Next」に収録されたタイトルトラック”Next”は有名なシャンソン歌手ジャック・ブレル(注2)のタンゴの名曲のカバーでした。
Ca3f0449 そして1974年に傑作「The Impossible Dream」をリリース。
同アルバムでは「The Impossible Dream 」というタイトル曲も収録。
この曲は有名なミュージカル「ラマンチャの男」のタイトルソングで、実はこの「ラマンチャの男」をハマリ役としていたのもジャック・ブレルでした。
このように、アレックスはジャック・ブレルへの憧れを強く持っていました。
「The Impossible Dream 」”見果てぬ夢”というのはこのジャック・ブレルへの憧れそのものだったのかもしれません。
Ca3f0452 1975年には4枚目のアルバム「Tomorrow Belongs To Me 」をリリース。
本作ではミュージカル「キャバレー」を題材に取り上げました。
そしてその頃のステージもキャバレーやストリップ小屋をモチーフにしたライブをやっていたようです。
裸エプロンみたいな衣装の全裸女性の役者を登場させている右の写真はもしかたらその当時のライブの写真かもしれません。
 
SAHBは不動の人気を得ますが、既に40歳を超えていたアレックスは次第に体調を崩していきます。
そして1977年8月のレディングフェスティバルでのライブを最後にステージ活動を引退。SAHBは解散します。
その後、2、3枚のアルバムをソロ活動でリリースします。
そして、1982年2月4日、心臓発作でこの世を去りました。
 
実はその1ヶ月後、中学生だった私はミュージックライフという雑誌を初めて本屋で買いました。
その雑誌のニュース欄に載っていたのが、アレックス・ハーヴェイの死去のニュースでした。
私はそのニュース記事になぜか強い印象を覚えました。
その記事と一緒に載せてあったアレックスの写真はピエロのようなメイクをしていたからです。
すごく個性的なミュージシャンだなあとそのとき衝撃を受けました。
しかし、ピエロのメイクからわかるように、それはアレックスではなくザル・クレミンソンの写真が誤って使われていたのです。
それに気づいたのは10年後くらいなのですが、間違って写真が掲載されたことで、逆に私はその個性的なバンド名、ザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドを記憶に刻むこととなりました。
 
そして、10年ほどのち、私は前述の通り、偶然ザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドの「The Impossible Dream 」を手にしたのです。
そこから、私のアレックス・ハーヴェイへの憧れは深まっていきます。
しばらくすると、復刻盤専門の海外のレーベルがSAHBの作品を復刻リリースを始め、CDで旧作が容易に揃うようになったのも私の収集熱に拍車をかけました。
SAHBのアナログ盤も決して高価ではなかったので、非公式盤も含め、私のSAHBコレクションはあっという間に増えていきました。
その中でも特に聴いていたのが「The Impossible Dream」と「The gospel Acording to Harvey」という98年発売の2枚組みライブアルバム。
特に後者の2枚目は実は音源は観客が録音したブートレグなのですが、1977年8月のCa3f0450 レディングでの、おそらくはSAHBの、そしてアレックス・ハーヴェイのラストステージと呼ばれている公演での演奏と思われます。
収録曲にはアリス・クーパーの「Schools Out」、アルバム「The Impossible Dream」でも私が衝撃を受けたパワフルな曲「Vambo」、1stアルバムのタイトル曲でブルースである「Framed」、フォークロック的な「Mrs.Blackhouse」、人気ポピュラー歌手トム・ジョーンズのカバーでサビ、いや曲のアタマから観衆が大合唱するのが圧巻の「Delilah」、エルヴィス・プレスリーが演った「Blue suede shoes」などバラエティに富んだ楽曲群の、まさに圧巻の、そしてまさに渾身を込めた演奏でのライブが聴けます。
 
この1977年8月のレディングでのライブを、音楽評論家の伊藤政則氏は当時観に行ったそうです。
というのも、74年にイギリスにSAHBのライブを観に行き衝撃を受け、偶然にもパブでアレックス本人を紹介してもらえた伊藤氏は77年にロンドンであるウワサが流れていることを知ります。
それは、アレックス・ハーヴェイが今度のレディングのライブを最後に引退し、バンドも解散するというものでした。
既に40歳をとうに超えていたアレックスはワンステージこなすと過労で立っていられないほどで、もはやライブ活動を続けられないようなのでした。
これはマズイと思った伊藤氏は、イギリスへ飛び、レディングでのライブを観に行ったのです。
そのライブはまさに衝撃的なものだったそうです。
2時間半ほどの演奏ののち、最後の曲ではアレックス・ハーヴェイが白い衣装を着て、白い大きな十字架を背負って登場したそうです。
そしてその十字架をエキストラが組み上げ、そしてアレックス本人がそこに磔にされ、そしてガクッとクビをうなだれて終わるのだそうです。
そのとき掛かっていた曲がアルバム「The Impossible Dream」のラストに収録されている「Anthem(アンセム)」という曲でした。
 
その後、大勢のファンは泣きながら「モア、モア」(もっと聴かせてくれ、やめないでくれ)と訴え続けたそうです。
Ca3f0448 しかし、アレックスはもう立てない。
30分くらいアンコールのコールが続いたのち、アレックスがスタッフに両肩を抱かれ、引き摺られるようにステージに上がり、
「どうもありがとう。もう思い残すことはない。」
と感謝と別れの言葉を残し、引退していったそうです。
 
伊藤氏は、当時のアレックスを評し、非常にイギリス的で、アメリカや他の欧州国のチャートに妥協したり迎合することもなく、ポリシーを代えて迎合するくらいなら英国の土地で死んでしまいたいと言ったほどに頑固に英国ミュージシャンの誇りを守った最後の職人だったのではないかと言っています。
 
「Anthem」の動画はこちら
77年のときの映像ではありませんが、上記の写真を合わせ、聴いてみて欲しいと思います。
私はこれで77年のレディングに心を跳ばせました。
 
この「Anthem」という曲はスコティッシュ風のドラムロールや、バグパイプ、などスコティッシュエッセンスを豊富に取り入れた曲で、彼はこの曲にに自分の故郷スコットランドを思い描いたのではないでしょうか。
 
最後にテープに録ったアレックス・ハーヴェイのインタビューの訳を載せます。
インタビューの時期はおそらく74年ごろ、アルバム「The Impossible Dream」のレコーディングが終わった直後とのことです。
インタビューの相手は不明ですが、内容からいくとアメリカの音楽マスコミか誰か向けのように私は感じています。
 
”私たちはステージ活動を映画の製作と同じように考えていた。
私は監督であり、俳優でもある。
ライブ演奏はその意味ではサウンドトラックを同時に演奏するようなものだ。
映画の各シーンにピッタリくる音楽が様々あるように、私たちもヘヴィでメタリックなものから、ソフィスティケイテッドされたものまで、シーンごとに考えて演奏している。
シンガーとしてよりもアクター(役者)として一曲一曲を感じた方が、より歌に入り込んでいけると思う。
ステージで私たちが創り上げているものこそ、最良のものだと信じている。
 
バンドを紹介しておこう。
ギターはザル・クレミンソン。
彼は素晴らしいエレクトリックギター奏者である。
時々、彼はグリーンロボットマンと呼ばれている。(緑の衣装とメイクを施しているためと思われる。)
ベースはクリス・グレン。
彼は言ってみればバンドの支えである。
そして、キーボードのヒュー・マッケンナは本当のミュージシャンで、アタマもよく、紳士である。
そして彼の従兄弟であるテッド・マッケンナがドラマー。
この2人はお互いに何を欲しているかということを理解している。
 
私はバンドは故郷でありたいと思っている。
つまり、バンドは家族のように分かり合うことが大切なのだと思う。
このミュージックビジネスは精神的にタフだから、バンドは一人の人間のように繋がりあわないといけない。
以前、一人でギターを弾き、曲を作っていたとき、ある人がバンドを結成した方がいいと助言してくれた。
そこで、グラスゴーでいろんなバンドを観たり、聴いたりして、すぐに連絡を取ってハードに働くようになったんだ。
(中略)
我々はティア・ガスというバンドを作った。
このティア・ガスというバンドが(SAHBの)前身となったわけだけども、いろんな音楽をカバーしているのだけども先鋭的なところを全く失っていないバンドだった。
そして彼らとの出会いからザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドの3枚目のアルバムの製作をやっと終えたところだ。”
 
 
伊藤氏は番組の中で、このインタビューを流したあと、彼の言葉はスコティッシュ訛りが激しいのだけども、そこに”こそ”彼のスコティッシュ(スコットランド人)としての誇りと、彼のスコティッシュ魂を見るんです、と。
そして今なお、スコティッシュの香りを継承し、そして自分がスコティッシュのバンドであるというイデオロギーを頑なに護っているバンドがあるとしたら、それは今日までずっとバンドを続けている(2012年現在も存続)ステイタス・クオーではないか、と。
そして、ステイタス・クオーのフランシス・ロッシをして「アレックス・ハーヴェイはわが師である。」と言わしめたスコティッシュの英雄。
そしてまた、アレックス・ハーヴェイこそは1970年代の最大にして最強のブリティッシュロックのスターであったと。
そしてそれはいまもなお、当時10代であったアレックス・ハーヴェイの、そしてザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンドのファンであった子どもたちの心の中に生き続けている。
と評しています。
私も遅咲きながらアレックス・ハーヴェイの陶酔を受けた者として、そうであると信じたいと思います。
 
Ca3f0457 その雑居ビルのようで、モザイク模様のようで、自由で、それでいて、確信に満ち、そして自らのルーツに絶対に背を向けない姿勢。
アレックス・ハーヴェイは多くの子供たちにシアトリカルなステージで夢を与え、そして影響を残しました。
日本ではすかんちのローリーがアレックス・ハーヴェイの信者だったはずです。
ステージではアレックス・ハーヴェイは十字架を背負い”Anthem”を唄いました。
私の心の中ではアレックスは、埃まみれの自宅のロビーでソファーに身体を預け、そして静かに息を引き取っていく老人を演じながら”Anthem”を唄っています。そういうイメージがハッキリと浮かばすことができるアーティストなのです。
アレックス・ハーヴェイ。
彼のようなタイプのミュージシャンは次第に私たちのような中高年ロックファンしか知らないアーティストになっていくのでしょうが、だが彼が後輩たちに与えた夢は決して途絶えることなく、それこそ”見果てぬ夢”として英国のロックシーンで繋がれていくと思います。
 
 
参考動画
 ザ・センセーショナル・アレックス・ハーヴェイ・バンド/Next
 
注1)スキッフル
20世紀前半のアメリカ合衆国で生まれた音楽ジャンルで、手作りの楽器や、即席の楽器を使って演奏された、ジャズ、ブルース、フォークなどの影響を受けた音楽を言われている。1950年代にはロニー・ドネガン(Lonnie Donegan)を中心にイギリスでブームとなり、後にジャズ、ポップ、ブルース、フォーク、ロックなどの分野で活躍するミュージシャンたちが音楽活動を始める大きなきっかけを作った。
ザ・ビートルズは、もともとジョン・レノンが始めたスキッフルグループ、クオリーメンから発展したと言われている。
 
注2)ジャック・ブレル(1929-1978)
ベルギー生まれで、フランスで成功したシャンソン歌手。作詞作曲家、詩人としても評価が高い。俳優、映画監督としてもフランス語圏では有名。
1957年にリリースしたアルバム『愛しかない時(Quand on n'a que l'amour)』がヒットし、その後もヒットを飛ばした。
彼の歌は、愛、政治、精神、ユーモアなどいろいろなものを表現した。
詩も知性的で、視覚的イメージを彷彿させやすく、豊富な語彙にあふれた表現を持っていた。
英語圏において、数多くのミュージシャンにファンが多くカバーされてきた。デヴィッド・ボウイもその一人。

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コメント

SAHBは、ブリティッシュロックを語る上で、鉄板だよね。
レディングのライヴならBBCの音源では?当時はBBC RADIO1で生放送していたからね。
数年前にシェンカーでクリスとテッドが来た時に妙に感慨深かったなぁ。
Tear Gusは再発になっていてアレックス・ハーベイをフューチャーした曲も入っているよ。数年前まで再結成して活動ていたけどZALは残念ながら去年音楽界から引退しなので、もう観れることは無いかも...先週ロバート・フィリップ教授も引退を発表したとのこと...

投稿: あーせなる | 2012年9月13日 (木) 22時52分

BBCで放送してたんだ。でも、観客の会話はっきり聞こえるからブートだと思うよ。
そうかあ、教授も引退かぁ。時代だね。
日本の教授も引退すりゃいいのに。

投稿: AWAN渦帝 | 2012年9月14日 (金) 07時52分

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