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2012年11月17日 (土)

11月16日の思い出。

今日は11月16日です。
※この原稿を書き終わて掲載する頃には17日に日付が変わっていると思います。
 
この日は私には、とても思い出深い日なのです。
もう少し正確には前日の15日からの2日間がとても思い出深いのです。
 
それは今から9年前。
2003年11月15日の朝から始まりました。
 
その日は土曜日でした。
私たち夫婦はその頃は船橋市の教職員住宅の団地に住んでいました。
奥さんが教員(今でもそう)だったからです。
奥さんは妊娠10ヶ月目を迎えていました。
予定日は一週間後でした。
その日の朝、私は団地の敷地内の草むしりを終えて家に戻りました。
すると奥さんがひどく苦しそうでした。
陣痛が始まったようでした。
掛かりつけの病院(千葉市内、奥さんの実家の近く)に電話をしたところ、すぐ来てくださいと言われ、私は奥さんを車に乗せて病院へ行きました。
奥さんは定期的にやってくる陣痛にひどく痛そうでした。
 
とうとう我が子が生まれてくるんだなというワクワク感と共に、実は一抹の失望も味わっていました。
実は翌16日に、浜松の都田サッカー場で、日本フットボールリーグ(JFL)のリーグ戦で首位を走っていた大塚FCが、リーグ初優勝を賭けた大一番を控えていました。
相手はHONDA FC。リーグ2位に付けていました。
自動車のHONDAのサッカー部で、大塚FCにとっては最大のライバルであり、幾度も大塚FCを撥ね返してきた強豪でした。
勝つか、引分けで優勝。
そんな大一番。
もちろん行く予定でした。
優勝を決めて、翌週父親になる。
それが私の描いていたスケジュールでした。
ですが、一週間早く来てしまったのです。
「これで明日の予定はなくなったな。」と、やむを得ないなと素直に諦めつつも、少々失望も隠せませんでした。
幸いだったのは翌日試合に出掛けた後、陣痛が来るなんていう状況にならなかったことでしたが。
 
いつ生まれてくるかはわかりません。
そりゃ産む当人でもない男にわかるはずもありません。
ひたすら待つしかなく、時々、持ってきたビデオでひどく痛がる奥さんをジーーーーッとビデオで撮っていました。
 
そして17時ごろ分娩室へ。
手前の廊下で待つ間、私は生まれてくる”女の子”の名前を考えていました。
せめて大塚FCのチームカラーに由来する名前にしたいな、と考えを巡らしていました。
そんなとき、当時好きだったある歌手の歌のサビの部分を思い出しました。
椎名林檎の「あおぞら」という曲でした。
名前を読みが決まり、あとは漢字を当てはめていく作業に移りました。
当てはめる字は程なくして決まりました。
ワクワクする気持ちはかなり高まってきました。
でも、明日試合は行けないだろうなという気持ちもまだありました。
そんなときでした。
”大丈夫”
そんなつぶやきが聞こえました。
その声は、その5年前に急死したサポーター仲間の声に聞こえました。
「何が大丈夫なの?○○」と私はつぶやきました。
 
その時は夜の19時7分にやってきました。
2772グラムだったかな。
女の子が生まれました。
1時間ほどして、分娩室からつれて来られた我が子と初対面を果たしました。
看護士さんにビデオを渡して撮ってもらいました。
 
21時過ぎ、奥さんが車イスに乗って待合室にやってきました。
やっと終ったという安堵感に包まれていい笑顔でした。
ちょっと熱くて気持ち悪いとも言っていました。
そんな奥さんが発した言葉。
 
「これで生まれたから明日は優勝だ。」
えー、こんなときに行けないでしょ、と私。
「大丈夫。もう生まれたんだから。今日生まれたってことは明日(都田に)行ってきなってことだよ。」 
 
思いがけない言葉でした。でも、とても嬉しい言葉でした。
少々気が引けましたが、言葉に甘えて都田に行かせてもらうことにしました。
”大丈夫”って、このことだったのかな、と思いました。
病院を出たときには16日になっていました。
 
 
翌日、私は早朝新幹線に乗って浜松に向かいました。
そしてタクシーで15分ほど掛かる都田サッカー場に到着しました。
仲間たちは父親になった私を祝福してくれました。
当時まだ現役だったセッキーこと、関口隆男選手も祝福してくれました。
彼は今シーズンで現役を引退することを決めていました。
この試合も出場登録はありませんでしたが、チームの顔である彼は特別に帯同していたのです。
 
何度も辛酸を舐めた都田サッカー場。
しかし、この日の大塚FCは強かった。
21分、CKからDF谷池が押し込んで先制。
そして51分、左サイドからのセンタリング。FW林のシュートはバーに跳ね返るも、こぼれ球を大島康明が頭でねじ込み2-0。
61分、MF筒井のゴールで3-0。
しかし、そこからHONDAの猛反撃に合う。
63分、70分とゴールを許し、1点差に。
そして88分、ついに同点にされます。
しかし、反撃をそこまでで食い止め、試合終了。
ついにリーグ初優勝を勝ち取りました。
選手、サポーターがピッチ内で入り乱れ、キャプテンだった吉成浩司を胴上げし、私は自分で用意した優勝カップを選手に渡しました。
それを号泣しながら掲げる吉成。
10年応援してきてついに掴んだ栄冠でした。
 
試合後、観客席でビールで祝杯をあげました。
仲間の一人が、一枚の写真を持ってきました。
そこには5年前に亡くなった、前述のサポーター仲間が写っていました。
私は空を見上げて「ついにやったぞ」と...。
 
その後、私は急いでまた新幹線に乗って病院へ戻りました。
面会時間ギリギリに到着し、優勝を奥さんと娘に報告しました。
 
とてつもなくドラマチックな2日間はこうやって幕を閉じました。
 
 
 
こんなことが9年前にあったんです。
私の一番大事な思い出です。

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