2012年2月11日 (土)

俺の好きなヴァン・ヘイレンが戻ってきた。

私が洋楽のロックに嵌り出したのは小学5年生のときでした。
テレビでたまたま見たチープ・トリックというアメリカのロックバンドのビデオがきっかけでした。
初めて自分の小遣いでレコードを買ったのもチープ・トリックでした。
チープ・トリックはハードロック的なテイストも持っていましたが、いわゆるハードロックバンドではありませんでした。
あるとき読んでいた雑誌でチープ・トリックのギタリスト、リック・ニールセンがあるバンドの音楽について短いコメントをしていました。
そのバンドがヴァン・ヘイレンでした。
 
「ヴァン・ヘイレンってどんなバンドだ?」
そんな素朴な疑問がスタート地点でした。中学2年生だったかな。
地元の街のレコード店に行ったら、3種類のアルバムが売られていました。
そんな中からチョイスしたのは「WOMEN AND CHILDREN FIRST」(1980年発売)。
選んだ理由はメンバーの顔写真がジャケットに一番大きく印刷されてあったから。
まずメンバーの顔を覚えたかったのです。
すぐに家に帰って自分のレコードプレーヤーに掛けました。
40代以上の方は記憶があると思いますが、7インチサイズのターンテーブルで本体にスピーカーまで付いている持ち運びのできる赤と白のプラスチックボディのレコードプレーヤーでした。
LPだから当然ターンテーブルに乗り切らないわけです。
音だって悪い。音が出るだけで御の字の子供用レコードプレーヤーでした。
それでヴァン・ヘイレンを聴いたのです。
分厚くて、うねっていて、そして突然聞いたこともない高速で超絶テクなギターサウンドが耳に飛び込んできて...一瞬で夢中になってしまいました。
B面の一曲目の「Tora!Tora!」でした。
間違えてB面から掛けてしまったのでした。
でもそれが私の中で奇跡を起こしてしまいました。エドワード・ヴァン・ヘイレン初体験の瞬間でした。
 
それ以来、ヴァン・ヘイレンが私の中で最強のバンドになりました。
過去のアルバムも買い揃えました。1stアルバムは本当に衝撃的でした。
そして、ヴォーカリストのデヴィッド・リー・ロスは当時の私にとってアイドルであり、ヒーローでした。
ちょっとすれば下品でしかないようなステージ衣装と言動。
でも、何ものにも縛られてないように見えて、私にとって”自由”の象徴に見えてました。
学校では典型的なイケてない中学生でしかなかった私にとって、デイヴはとてもまぶしかった。
学校でヴァン・ヘイレンを知っている同級生はほんの一握りで、知っていることがちょっとした優越感でもありました。
 
高校に入ると、洋楽を聴いているクラスメイトは増えました。
あいかわらずヴァン・ヘイレンがベストバンドでしたが、いろいろな音楽も聴き始めてました。
ヴァン・ヘイレンは1984年に大ヒットアルバムとなる作品をリリースしました。
「1984」です。その中からシングルカットされたのが有名な「Jump」でした。
その曲で全米1位を獲得。
これで日本でも一気に人気が沸騰。
もはやクラスメイトでヴァン・ヘイレンを知らない人はいなくなってました。
MTV全盛の時代に、面白おかしいビデオクリックを何本も作成しました。
 
でも、その後デイヴとエディの確執が起きて、デイヴはバンドを脱退。
そして私の中でもヴァン・ヘイレンはマイベストバンドの位置から落ちていきました。
 
そして2007年。
互いにいろんな栄枯盛衰を経た末にデイヴがバンドに復帰。
しかしエディの体調不良もあって、大規模な活動はできない状態が長く続きます。
そして2010年。
デイヴを加えたラインナップでニューアルバムの作成に着手。
そして2月8日に日本でもそのニューアルバムが発売されました。
「A DIFFERENT KIND OF TRUTH」
私は懐かしさ半分ではありましたが、聴いてみたい欲を抑えられず買って来ました。
 
ニューアルバムのサウンドは年齢を全く感じさせない、いい意味で大きく期待を裏切った素晴らしいサウンドです。
これという決定的に飛び抜けたクオリティの楽曲はありませんが、どの曲もタイプは違いますがパワフルなエナジーに溢れた、いい曲が揃っていました。
いわゆる捨て曲は一曲もありませんでした。少なくとも私はそう感じました。
表現が難しいですが、ブルージーで、ハードドライヴな、大人の男っぽい臭いが強くするロックンロールアルバム。
そんな感じ。
でも、サウンドが凄く若い。
夢中になってたころのヴァン・ヘイレンと同じエナジーを感じました。
それが一番感動的でした。
デイヴはもう57歳になっています。
若い頃は金髪の長髪で、挑戦的な視線で、ギャランドゥな胸元を全開にして男臭さを思いっきりアピールしていたデイヴ。
でも今は短く刈った髪で、少々生え際も後退してて、私のほうが髪の毛が多い。
これ以上下がったら出ちゃうだろというくらいのローライズのピチっとしたパンツはいて腰振って歌ってたのも、今じゃサロペット着てステージ立ったりもしてる。
ギターを弾きまくる姿がスマートでかっこよかったエディも57歳でさすがに太った。二重顎にもなってる。
でも、音は昔のままだ。
ギターも相変わらずだ。もちろんスタジオアルバムだからライブも同じとはいかないかもしれないが。
でもこれが俺の好きだったヴァン・ヘイレンだと実感させてくれる、オススメできるいいアルバムです。
新鮮で、いいパワーをもらいました。やっぱり俺のヴァン・ヘイレンだった。

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2011年11月 9日 (水)

デフレパード@東京国際フォーラム

大型のホールでコンサートを観るなんていつ以来だろうと考えつつ私は東京国際フォーラムのエスカレーターに乗っていた。
この日は英国のロックバンド、デフレパードのコンサートを観にここへやってきた。
国際フォーラムでのコンサート鑑賞に限ればキューバのブエナビスタソシアルクラブの公演以来だ。もう何年前はすぐに出てこない。
大規模なアリーナであれば椎名林檎やAC/DCが公演をしたさいたまスーパーアリーナがあるが音響を重視した設計のホールとはやはり違う。
 
前回の記憶が殆どないのでまるで初めて来た感覚だ。アーティストが演奏するステージの周囲、特に上方は巨大な木材の櫓のようなものが30メートル以上はあるだろう天井まで組まれていて、その迫力というか威圧感は物凄い。屋内建築物でここまで巨大なものはめったにお目にかかれない。ステージがミニチュアに見えてきそうだった。
 
座席は一階席ステージ右側で距離は15メートル程でメンバーの表情は識別可能だし、前の席との傾斜も悪くなくアタマが視界を遮ることなさそうだった。
客層はやはり同年代か少し下、30代中盤以降が殆どだった。私と同じ仕事帰りらしい人も多い。
皆、バンドの最盛期にリアルで青春を過ごしたのだろう。
コンサートというより同窓会のような空気も感じる。
がそれは悪いことではない。
それはデフレパードがいかに素晴らしい楽曲を多く作ってきたかの証であり、国際フォーラムのような大規模ホールにこれだけの聴衆を集められるのはその素晴らしさが他より比類無きレベルであるからでもある。
バンド結成から30年以上経て、まだこれだけの人気を維持できているバンドはとても少ない。
この日の公演は追加公演として後から発表された公演でもあったので満員とはならなかったが、先に発売された公演は完売だったようだ。
 
AC/DCの曲が終わると同時に客電が落ち、コンサートはUndefeatedでスタートした。
2曲目はスウィートのカバーのAction。そしてイントロでひときわ大きな歓声が上がったANIMALへ。
この曲は私も大好きでイントロが流れた瞬間、アドレナリンが吹き出してくる。
この曲はデフレパードの楽曲の魅力がすごくわかりやすく詰まっている名曲だ。
メロディックでシンプルで覚えやすい、ミドルテンポでノリ易くて明るい、サビにコールパートがあって盛り上がれる彼等の黄金律といっていい魅力が満載だ。
 
メンバーは前回、たぶん96年だが、観た公演時より全体的にステージでの動きが少なくなっているように思える。
そりゃ15歳年を取ってりゃ当然といえば当然だ。
外見もヴォーカルのジョー・エリオットは少し肉厚になった気がする。
しかし、いつもどおり上半身裸でプレーしている最年長のギタリスト、フィル・コリンは、むしろ筋肉が増したようにも見える。
演奏は全く問題ないし安定している。
ジョーのヴォーカルも特に気になるものは何もない。
もっともデフレパードはデビュー時の1970年代末に活躍したNWOBHMの他のバンドに比べれば若い方だ。
 
さてコンサートは4曲目から2ndアルバム「High & Dry」から3曲続く意外な選曲できた。
ジョーは昨日7日の同会場での公演で、明日(8日)はこの日演奏しなかった曲を演奏すると告げていたそうだ。
日本のファンはめずらしい曲を聴きたがると言ってもいたらしい。
Let it Go、Another Hit and Run、そして非常に稀なHigh & Dry(Saturday Night)。
2ndアルバム「High & Dry」は私がデフレパードに嵌るキッカケになった衝撃的なアルバムでそこからの3連発は私には十分過ぎる感動を与えてくれた。
その後は彼らのブレイク作となった3rdアルバム「Pyromania」、そしての全世界で2000万枚売り上げた超ヒットアルバム「Hysteria」からの楽曲を中心にファンなら最初から最後まで、うる覚えながら、全部歌えてしまう身体に染み付いたヒット曲群でグイグイ押して一気にクライマックスへ進んでいく。
 
途中、ジョーは北アイルランドのベルファスト出身のギタリスト、ヴィヴィアン・キャンベルを紹介する。
1992年に故スティーブ・クラークの後任として加入した彼もバンド在籍20年を迎え、既にスティーブンの在籍期間を遥かに超えている。
ジョーはその彼を、かつて彼が在籍していたバンドのことを説明しつつ、紹介していく。
最初にディオの名前が出るとヴィヴィアンは突然ディオの「Stand Up and Shout」のイントロを弾いた。
私と同世代のファンならば彼がディオで成功へのキャリアをスタートさせたことはよく知っている。
意外な出来事に歓声があがる。
私も彼がディオの曲のフレーズを弾くところを見れるとは思ってなかったので驚いた。
あまり触れられたくないのでは思っていたからだ。
しかし、ディオもロニーは既に亡くなっている。
ヴィヴがそのことをどう思っているかは気になる。
続いてホワイトスネイクの名が出て(たぶん)Bad Boysのイントロを弾いた。
さすがにディオ以前に在籍していたスウィート・サヴェージは紹介されかった。
余談だがスウィート・サヴェージの7インチシングルは90年頃に起きたヘヴィメタルの中古盤ブームの時の有名なレア盤だ。
私は高田馬場の中古盤店でセールの時に2万5千円もしたが超レア盤だったのですごく嬉しかった記憶がある。
 
ヴィヴは前述通り既にバンドのオリジナルメンバーと言ってもいいくらいの存在になっているが、バンドの成功は彼加入以前と以後では明暗がはっきり分かれている。
セットリストはバンドのベスト選曲、それも日本のファン好みのといっていい構成になっているが、その殆どが前任のスティーブン在籍(存命)時の楽曲で、バンドのソングライティングにかなり大きく貢献していたスティーブンが1991年に急死したことは時を経るにつれ、その影響の大きさがハッキリと表れている。
しかし、奮わない以後のアルバムセールスに対し、ツアーが大盛況であることは、その黄金期の楽曲群が時を経ても全く輝きが失せていないことの証しであり、これもすごいことである。
大成功を収めたハードロックバンドとしては、これらの楽曲群のおかげで、長い目で見ればあのボンジョヴィ以上に成功しているのではないだろうか。
できることなら、日本国内のバンドや楽曲の知名度もボンジョヴィ並みに今からでも認知されてほしいものだ。
今でも十分10代、20代にアピールできる楽曲だと思う。
 
30代、40代の観客層が中心ではあったが、時の流れを映したような光景があった。
私のすぐ後ろの列に家族3人で来ているらしい人達がいた。
お父さんとお母さんはロックTを着ていて、かつてロック少年、ロック少女だったことがすぐにわかった。
子供は男の子で小学生のようだった。
親に連れられて来た少年はこういうロックコンサートは初めてだったのか、最初は戸惑い気味に演奏を見ていた。
そのうち、あまり興味が続かなかったのか座席に腰掛けてしまい、その後、一時席を外してたりもしていた。
その3人の家族を私は結構興味深く感じていた。
私のところも家族3人で子供は小学生(女の子)だ。
自分が若い頃に夢中になった音楽の素晴らしさを子供にも教えてあげたいと両親は思ったのかもしれない。
その気持ちはすごくわかる。自分もそうしたいと思う。
が、現状はそういうことをするには結構大きな問題もある。
最大の問題はチケット代だ。
この公演のチケットは9,500円。
家族3人となれば3倍の28,500円。
電車賃や会場のある都心部での夕食などを考慮すると35,000円くらいの予算が必要になる。これはイタイ。
家族で楽しむとして、2時間強のイベントに出費するにしては大きすぎだ。
これならちょっとした旅行に行ける。
また少年はサッカーシャツを着ていたので、同じ2時間ほどのサッカー観戦ならば10,000円掛からないケースも十分ある。
こんなに高くては、そんな何度も行けるわけないし、それではロックコンサートの魅力を伝承していけない。
今これほどの円高なのにそれがチケット代に還元される様子もない。
円高のメリットは高額ギャラのアーティスト招致代に回ってしまう気がする。
そして東京ドームみたいに豆粒みたいにしかアーティストが見れない巨大過ぎる会場でコンサートが行われる。
自分だけで行くなら、好きなアーティストならそれほど苦ではない。私くらいの年齢の大人なら皆そこそこ収入もあるし、何年かに一度の公演に使うくらいは問題はないが、家族で行くイベントとしてはキツイ。
いい音楽を伝承していくという観点でプロモーターも考えて欲しいと思う。
 
さてコンサート評に戻るが、クライマックスではライブアルバム「MIRROR BALL」と同じ展開になっていく。
Two Steps Behind、Bringin' on the Heartbreak、Switch625、そして名曲Hysteriaへと繋ぎ盛り上がりはピークへ向かっていく。
この辺りの曲はすぐに曲名が浮かんでくるが、時々すぐに浮かんでこない曲もある。
だが、曲自体は脳に染み付いているので、結構適当な英語ながら全部歌えてしまう。たぶんこのバンドのファンはそういう人は多いはずだ。
そうなると一人イントロクイズ状態だ。
サビまで歌ったところで、ああそうだこの曲名だとなる。
結構そうやって気づくのがまた楽しい。
これもまたデフレパードの楽曲のいいところだ。
Armageddon it、出世曲となったPhotograph、全米チャート2位にもなったPour Some Sugar on Me。
そしてRock of Agesで最高潮に達したステージは一旦終了する。
すぐにアンコールとなり、Let's Get Rockedが演奏される。この曲もデフレパードらしさが詰まった曲だ。
ラストは再びサプライズが待っていた。
日本では1984年の初来日ツアー以来となる1stアルバム「On Through The Night」からのWastedがショーのラストを飾った。
1stアルバムからの熱心なファンへの感謝のような選曲は半分くらいの観衆には戸惑い(これなんて曲?)を与えたかもしれないが、私は素晴らしい選曲だったと思う。
 
他の公演のセットリストも見たが、この日を見れたのはたまたまとはいえラッキーだったし、私好みでとてもよかった。
いい楽曲は時代が変わっても普遍だということを改めて感じて、なんか暖かい気持ちで家路につけた。
デフレパードはやはり素晴らしい。また行きたい、また楽しみたいと心から思えてくる。そんないいショーだった。
 
2011年11月8日(火) 東京国際フォーラム
デフレパード セットリスト
 1.Undefeated
 2.Action
  (Sweet cover)
 3.Animal
 4.Let It Go
 5.Another Hit and Run
 6.High & Dry (Saturday Night)
 7.Foolin'
 8.Make Love Like a Man
 9.Bass Solo
 10.Rock On
   (David Essex cover)
 11.Love Bites
 12.Rocket
   (Extended Version)
 13.Gods of War
 14.Two Steps Behind
   (acoustic)
 15.Bringin' on the Heartbreak
   (acoustic/electric)
 16.Switch 625
   (Instrumental)
 17.Hysteria
 18.Armageddon It
 19.Photograph
 20.Pour Some Sugar on Me
 21.Rock of Ages
 Encore:
 22.Let's Get Rocked
 23.Wasted

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2011年8月23日 (火)

デフ・レパードで心を解放してます。

週末から何か心が締め付けられるような気分が続いています。
何が原因かはわかっていて、でもそれは俺の中ではタブーで...。
 
俺は俺の道をしっかりと歩き切ることだね。結局。
 
あらためて思うこと。
今年絶対にヴォルティスをJ1に上げないといけない。
 
ちょっと話題を変えます。気分転換も兼ねて。
土曜日にCDを買いました。
デフ・レパードという英国のロックバンドの「Mirror Ball」。
ライブ盤です。
 
デフ・レパードは1980年代初めにイギリスで起こったハードロック/ヘヴィー・メタルのムーブメントN.W.O.B.H.M(New Wave Of British Heavy Metal)の一翼だったバンドです。
こんな紹介しなくてもかなり知られてますね。
 
私は中学生のときに地元の輸入レコード店で彼らの2ndアルバム「High’n’Dry」がBGMとしてガンガン架かっていたのが出会いです。
家で夢中になって聴きましたね。
当時住んでいた家はプレハブの離れがあって、そこが親父の書斎兼趣味部屋になっていて、今でもそれを使ってますがアナログの4chステレオがあったんです。
スピーカーが4つ。スゲーいい音でした。
普段は親父がジャズ架けてるそのステレオでハードロックをガンガン架けてました。
聴いていてお茶が欲しくなって外に出たら、どっかの高校生が家の前でぽかんとしながら聴いてたのを思い出します。
彼らが大ブレークするのは3枚目の『炎のターゲット』 (Pyromania)でした。
高校2年生のときでした。
土曜深夜にやっていたベストヒットUSAという洋楽番組で「フォトグラフ」という曲のPVが流れたときの衝撃度は2nd以上でした。
通ってた高校の昼間の校内放送でハードロックが架かる曜日があって、放送委員のやつに頼んで架けてもらったことがあります。
ラウドネスに夢中だったクラスメートには「軟弱だ」と言われてましたが、その1ヶ月後にはフイル・コリン(ギター)を気取りやがったのでバカにしたことがありましたね。
初来日公演も観にいきました。チケット取れたのスゲー運よかった。
渋公での初来日公演は結構今でも覚えてますね。
その後も2回くらい来日公演に行ったかな。
 
ドラマーのリック・アレンは84年に交通事故で左腕を切断したのですが、専用ドラムを用意して奇跡の復活をしました。
今のリックが叩いてますが、リックの復活劇は感動したなあ。
 
そしてバンド初のライブ盤(ビデオはある)の「Mirror Ball」。
昔よく聴いてた曲とか架かると脳の中がアドレナリンで一杯になって、くぅーーーーーって感じになる。
やっぱいいわあ。
しばらく見てないけど今度日本に来てくれたら行こうかな。
 
締め付けられてる心が解放される気がしてきます。

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2011年2月 7日 (月)

追悼、ゲイリー・ムーア

今朝のインテル-ローマ戦は実に大味なゲームでした。
得点シーンが多かったというより、お粗末なやられ方が多かったように思います。
ま、そんな試合もあります。
長友はめでたくデビュー達成。ネラズーリの日本人なんて感動的ですらありました。
周りが代表より上手いからいいパスが出るもんで、韓国戦の再現みたいな突破とクロスがありましたね。
カンビアッソ、スルーしなくてよかったのに。
 
でも、この試合のことは明日書こうと思います。
ちょうどBS1で再放送が夜あるらしいんでそれでまたじっくりみてから。
 
今日は今朝訃報が入ってきたあるギタリストのことを書きます。
 
ゲイリー・ムーア。
アイルランド、ベルファウスト出身の凄腕ギタリスト。
特にギターバラードでの”泣き”と正確でスピードに溢れ、かつ力強く一つ一つの音が耳にしっかり響いてくるプレイは彼にしかできないものだったと思います。
ゲイリーの音だとすぐわかるくらいのモノでしたから。
 
来日公演は一度、1989年だったと思うけど観にいった記憶があります。
ずいぶん昔の話です。場所は中野サンプラザだったと思います。
 
ロックギタリストだった時代もあれば、90年代はブルーズへ傾倒したりして、なかなあ理解の難しいアーティストでもありました。
ロックに戻ってきて欲しいなあ、と思った人が当時の私の周りにも大勢いましたっけ。
 
それと彼の故郷のアイルランドへの愛情も印象的でした。
同じアイルランド出身のフィル・ライノットとのコンビでリリースした”Out In The Fields”も好きでよく聴きました。
 
昨年、21年ぶりに来日公演をし、今年ロック構成での来日公演をやる予定だったらしい矢先の急死。
ドラッグとか、アルコールとかの不健康なイメージからは遠い人だと思ってたんだけど。
ファンだったこともそうだけど、まだ若い(58歳)のに死んでしまったのがショック。
 
天国に行ったら、フィルがベース、コージー・パウエルがドラムでトリオを組んでバンドを結成するんじゃないかな。
そうあってほしいな。
 
ありがとう、さよなら、ゲイリー・ムーア。

 

ゲイリー・ムーア/The Loner

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2010年8月19日 (木)

アンスラックス「サウンド・オブ・ホワイト・ノイズ」を聴き続ける理由

長く聴いていていると大概の音楽アルバムCDは飽きてくる。
そうしてCD棚に消えていき、新しいアルバムがその人だけのヒットチャートを上がってくる。
これの繰り返しが普通なのだが、中には何年経っても1年に1回はまたヒットチャートを上がってくるアルバムがあります。
Ca3f0544 今回は音楽の話。
そして今回の主役はアンスラックスというバンドが1993年にリリースしたアルバム「サウンド・オブ・ホワイト・ノイズ」です。
 
アンスラックスは1982年にニューヨークで結成され、翌83年にデビューアルバムをリリース(日本では84年)。
2枚目のアルバム「狂気のスラッシュ感染(原題:SPREADING THE DISEASE )」で日本でも多くのメタルファンに知られることになります。
このアルバムの代表曲と言ってもいい「MAD HOUSE」はメタルファンにとってアンセム級の歌となります。
彼等の音楽の特徴は独特の音楽性と、幅広く他のジャンルの音楽の要素を取り入れたところであり、ヒップホップグループとの共演を果たしたりと、従来のヘヴィメタルバンドにはない活動でバンドの音楽の可能性を広げました。
2代目のヴォーカル、ジョーイ・ベラドナは優れたシンガーでしたが、それと同時にアメリカインディアンをルーツに持つ血統で、インディアンの衣装を着て歌う、まさに「INDIANS」(インディアンズ)は彼等の代表曲として多くのファンに愛されました。
他にも「CAUGHT IN A MOSH」(コート・イン・ア・モッシュ)、「I AM THE LAW」(アイ・アム・ザ・ロウ)など今でも私が好きな楽曲を多く作っています。
 
Ca3f0545 アルバム「サウンド・オブ・ホワイト・ノイズ」は92年にジョーイが脱退後、新たなヴォーカリスト、ジョン・ブッシュを加えて作成したアルバムで、ジョーイと比較すると、よりヘヴィメタルヴォーカリストらしいシンガーであるジョンの歌唱力を活かし、かつヘヴィで当時のモダンなテイストを組み合わせたヒット作で、実際アメリカのアルバムチャートでも健闘し、成功を収めています。
私はこのアルバム以前のアンスラックスは、知っているがファンではないという認識で、アルバムも持っていませんでした。
しかし、ジョンがアンスラックス加入以前に参加していたバンド、アーマード・セイントが結構好きだったこともあって、このアルバムを買いました。
いわば、私にとってこのアルバムがアンスラックスデビューとも言えるものだったのです。
私が思う、アルバム「サウンド・オブ・ホワイト・ノイズ」の特徴は、全編に渡ってある種の緊張感が保たれたまま、様々なタイプの良質な楽曲が、流れをつなぎながら最初から最後までアルバムの構成を支えている点で、端的に言うとずっと聴いていても飽きがこないんですね。
捨て曲がないとも言えるでしょうか。
とにかく、どの曲にも同じ芯が通っていて、最初から最後まで一気に聴けるのです。
私はこのアルバムに衝撃を受け、買った当初は毎日聴いていました。
いまでも過去からのベスト5のアルバムをあげろと言われれば、このアルバムは候補に間違いなく上がります。
 
Ca3f0547 但し、アンスラックスというバンドを考えたとき、このアルバムとこのアルバム時のメンバーのラインナップがベストかというと、そうではないだろうとも思っています。
デビュー当時からのアンスラックスのファンからしたら、ヴォーカルはジョーイの方がいいという人も多いでしょう。
それは正しいと私も思います。
やはり、ジョーイが歌うからこその名曲が多いのは事実で、アルバム「サウンド・オブ・ホワイト・ノイズ」以降のバンドの苦境を見、結局ジョーイが戻ってきた現在を考えると、ファンが望んでいるのはジョーイのいるアンスラックスなのでしょう。
実際、私にとっての”俺のアンスラックス”はアルバム「サウンド・オブ・ホワイト・ノイズ」で早くも終わりを迎えてしまいます。
次のアルバム「ストンプ442」が私にとって期待外れだったこともあり、以降は逆にジョーイ時代のアルバムを遡って買うようになりました。
 
それでも私にとって、アルバム「サウンド・オブ・ホワイト・ノイズ」は燦然と輝く名盤であり、リリースから17年経った今も聴き続けているわけです。
このアルバムを擁したジャパンツアーも観にいきましたね。
NHKホールでした。
ギターのダン・スピッツだけが妙にやる気のないプレイをしていたのを記憶しています。
その後、ダンは脱退し、音楽界からも一時身を引いてしまいます。
ただ、ライブはジョンの実力が発揮された質の高いライブでした。

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2010年8月 6日 (金)

時代を動かしたバンド、パンテラ。

サッカーネタがあまりないので生活ネタを書いていましたが、なら音楽ネタにしようと。
何かないかと考えたところ、あるバンドのことを思い出しました。
今から18年前にヘヴィメタルシーンを席巻し、革命的な存在となった忘れられないバンド。
そのバンドの名は”パンテラ”。
 
1981年にテキサス州ダラスでヴィニー・ポール(Ds)とダイムバック・ダレル(Gu)の兄弟によって結成されたパンテラは1990年に発表されたメジャーデビューアルバム『Cowboys from Hell』をリリースするまではパッとしないバンドであったようです。
しかし、87年に加入したフィル・アンセルモ(Vo)以降のメンバーラインナップでの2枚目のアルバム『Cowboys from Hell』はそれまでの彼等のサウンド、ヴィジュアルを一新させたもので、後にグルーブ・メタルというジャンルの祖となる革命的なアルバムでした。
Ca3f0009 バンドはその次にリリースした「VULGAR DISPLAY OF POWER 」(日本タイトル「俗悪」)で人気が爆発的に広がり、それはメタル・シーンのこれまでの常識を覆すほどの勢いになりました。
多くのバンドが彼等の影響を受け、それはメタル・ゴッドと呼ばれたジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードにも音楽、ファッションの両面で影響を与えました。
うねるグルーブ感に満ちたリフ、独特なドラムサウンド、怒りをこれでもかとストレートに吐き出すようなヴォーカル。
ここまでのサウンドは聴いたことがないものであり、それでいて耳障りにならない不思議な魅力も持っていました。
ダレルのギターはサウンドだけでなく、彼の弾くギターそのものも業界のトレンドになりました。
 
Ca3f0010 日本では93年か94年ごろに初来日を果たし、観にいきました。
初日は大崎のゆうぽうとだったと思います。
前座はアウトレイジ。凄いカップリングでした。
会場は凄い盛り上がりで、今でもパンテラの演奏スタート時に浮かび上がったフィルのシルエットが思い出せます。
ファンをステージに上げて強引に5分近く唄わせたりしました。
圧巻でしたが、真に圧巻だったのは、こっちは観てないですが、翌日のクラブチッタのスタンディング公演。
ファンがステージダイブを敢行し、セキュリティがそのファンをつまみ出そうとすると、フィルが制止。
セキュリティを突き飛ばし「俺のファンに何をする!」と言って彼を戻したそうです。
すると、ダイブはバンド公認という空気ができて...後は想像に任せます。
 
Ca3f0011 サウンド面でもそうですが、ファッション面でも日本のメタルファンを変えてしまい、その影響はメタルファンを越えてストリート全体に影響を与えました。
街にはダボッとしたグレーのパンツが溢れ、頭を長髪からスキンヘッドに変えるファンも大勢いました。
メタル系のミュージシャンまで短髪になる人が増えて、雑誌編集者が絵面が地味になると嘆いていました。
今でもその影響を感じるファッションを時々見かけます。Ca3f0012
その格好をしている本人はパンテラなど知らないと思いますが。
 
バンドは95年ごろからメンバー間の関係に軋みが出始め、96年にはフィルがドラッグ中毒で一時死にかけ、アルバムを出すもかつても勢いも失せ、2003年に解散します。
フィルはその後、在籍中からご執心のプロジェクトに注力し、ダレルとヴィニーは彼等のバンド、ダメージプランを結成します。
しかし、2004年12月8日、何とジョン・レノンの命日になるこの日、オハイオ州コロンバスでライブ演奏中にステージに上がってきた男にダレルが銃で撃たれ死亡。
ロック界に大きな衝撃となりました。
 
しかし、今聴いても「VULGAR DISPLAY OF POWER 」は強烈なパワーを放ち続けます。
時代を動かすにはここまでのパワーが必要なんだなと思わせてくれる一枚です。

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2010年6月 1日 (火)

通勤時のBGM

通勤時のBGMを最近色んなもので試そうとしています。
実家にはいろんなCDが置いてあります。
全部自分が買ったもので何枚あるかよくわかんなくなっているんですが多分500枚くらいかな。
アナログも含めると父親の分も含め軽く千枚は越えちゃうのですが。
 
携帯電話に曲をコピーしてLismoで聴いています。
一時はメタルばかりだったのですが、映画のサントラやキューバ音楽なども。
今聴いているのはドラマ『探偵物語』のサントラ。
SHOGUNというバンドが演奏している「Bad City」という曲が有名です。
ドラマ中でかかっていたBGMがメインなのですが、歌詞がなくメロディーだけなので変に耳を集中させなくていいので楽に感じます。
 
先日実家で見つけて持って帰ろうかなと思ったのがジュディ・ガーランドのベスト。
映画『リトル・ヴォイス』をきっかけに知って、一時期よく聴いていました。
そういえば『リトル~』のサントラもすごくいいんですよね。
 
映画『バッファロー’66』のサントラもどっかにあったはず。
あれも聴きこんでないから、今度探してみようと思ってます。
 
聴き込み過ぎるとその世界にハマり込んじゃうことがあるんですよね、私の場合。
優作になった気分や、ギャロになった気分はそれはそれで気持ちいいんですけど。

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2010年5月21日 (金)

ギーザーが語るロニーとの最後の時間。

友人のあーせなる君が送ってくれた記事から転用します。

ヘヴン・アンド・ヘルのベーシスト、ギーザー・バトラーが語るロニー・ジェイムス・ディオの最後の時間の記事です。(メタルハマー誌のサイトより)

英文ですが、そんなに難しい英語ではありません。

和訳ソフトも活用すればかなり意味がわかると思います。

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2010年5月18日 (火)

チルドレン・オブ・ロニー 〜もう少しロニーのことを〜

語りたいと思います。
きっかけは下の話からです。
 
今朝は携帯電話にコピーしたディオの「ホーリーダイバー・ライブ」を聴きながら会社に行きました。
聴きながらロニーのアルバムをまる暗記するほど聴きまくった十代の日々を思い出していました。
あの頃の自分は気持ちが弱いくせに、変に気取ったりして、みんなに見透かされてナメられるような情けないヤツで、それでいてグレる勇気もない小さいヤツだった。
レコードを部屋に閉じこもって聴いてばかりいるヤツに、音楽に合わせて首を振り拳を突き上げるだけで会ったこともない仲間と一体になれることを教えてくれたのはロニーで...
 
って考えた時、急に鼻の奥が熱くなって、こみ上げてくるものを必死にこらえました。
電車の中で泣きそうになりました。
結構ドライに捉えてたと思ったのに。
気が付くと、マン・オン・ザ・シルバーマウンテンが半分くらいまで進んでて、あんな悲しい気持ちで聴くロニーの歌は初めてでした。

ロニーの歌に力づけられて育った日々でした。もちろん、それだけじゃないけど。
でも、ロニーのアルバムの話題で意外なヤツが同じ趣味を持っていることを知り、そいつと友達になれ、また違うヤツもそうでまた仲間が増え、そうして私の生活は変わっていきました。
 
ロニーがいたから。

初めて本気で結婚したいと思った女の人もメタルが好きで、ロニーや、レインボーのアルバムをよく語ったりしました。
結局上手くいかなかったけど。

ロニーとは会ったこともないのに、ロニーの歌に後押しされてた気がします。
それこそ、落ち込んでいるとき、文字通り、立ち上がれ!そして叫べ!と言われているように。

父親のような存在だったのだろうか?
 
私はヘヴィメタルとは反抗の音楽ではなく、団結の音楽なのだと思っています。
歌に合わせ首を振り、拳を突き上げ、そして共に歌う。ただ戦いを訴えるだけでなく、時には愛を語り、セックスも語り、時にはファンタジーも、時には戦争の愚かさも語り、私達を大人にしてくれました。
そして、ロックするぞ、と団結も。

ロニーはそんな数多くいる父親の中の父親のような存在でした。
私達は皆、ロニーの子供達でした。

ロニー、あなたがいなくなるのは、やっぱり寂しいです。
でも、私達はあなたの音楽を下の世代に聴かせ、あなたのことを語っていきます。

あなたは天国でコージーとまたバンドをやってください。
いつか聴かせてください。
あなたの傍に行ったとき。
コージーと喧嘩しないでね。

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2010年5月17日 (月)

追悼、ロニー・ジェイムス・ディオ。~ロング・リブ・ロニーズ・ロック~

それは突然の知らせでした。
サッカー仲間でもあり、ロックマニア友達でもあるあーせなるくんから今朝メールが入りました。
それはヘヴィ・メタル界最高のヴォーカリストであるロニー・ジェイムス・ディオが亡くなったという知らせでした。
 
ロニー・ジェイムス・ディオ。
1942年7月10日生まれ。
幼少時からのトランペットのトレーニングで鍛えられた声量と、絶対的な音感と、そして楽曲と全身全霊で一体化したような豊かな表現力、時にがなり、時には静かに、時には弱く、時には強く、時には神々く、時には雄雄しい歌声を聴かせてくれました。
彼はエルフというバンド時代に、元ディープ・パープルのギタリストだったリッチー・ブラックモアに見出され、エルフごとリッチーの新バンドに合流して名声のスタートを切ります。
それが、かのリッチー・ブラックモアズ・レインボー(以降レインボー)。
1stアルバムでもその見事なヴォーカルを披露しますが、すぐにロニー以外のエルフのメンバーが解雇。
新たにドラマー、コージー・パウエルらを加えて第2期レインボーがスタートし、かの名作「Rising」を発表。
以降、リッチー、ロニー、コージーによる三頭政治といわれる体制でバンドを大きく飛躍させていきます。
しかし、1978年11月にロニーはバンドを去ります。
 
その後、ロニーは翌79年にブラックサバスに加入。
80年に名作「ヘブン・アンド・ヘル」をリリース。
前任ヴォーカルのオジー・オズボーンの築きあげたサバスのスタイルに変わる新しいブラックサバスを確立させました。
 
83年に自身中心の新バンド、ディオをスタート。
またも名作の名を受ける「ホーリー・ダイヴァー」を発表。
以降はディオを中心をとした活動を主に、再度ブラックサバスに加入するなどの活動もしていました。
 
私がロニーのレコードを買ったのは、1984年発表のディオの2ndアルバム「ラスト・イン・ライン」。
力強いメタルアンセム「We Rock」からスタートする名作です。
しかし、生ロニーを初めて観たのはかなり最近でして確か2001年くらいのアルバム「マジカ」ツアーで来日したときでした。
確か、新宿のリキッドルームというクラブだったと記憶しています。
アルバム「ドリーム・イーブル」収納の一曲「サンセット・スーパーマン」からスタートし、途中アルバム「マジカ」を再現するセット構成はとても印象的でした。
一ヶ月後、出るだろうと踏んで西新宿に感で行って買ってきたのは、自分が観た日のライブのブートレグでした。
 
その後、2007年10月に行われたラウドパーク07にブラックサバス時代のメンバー構成のバンド、ヘブン・アンド・ヘルとして来日しました。
そのときの記事はこちら。
結局、ロニーを観たのはそのときが最後に。
まさか、そのときはロニーが3年経たずに他界するなどとは考えもしませんでした。
 
ロニーは多くのメタルファンを魅了し、育ててきました。
時には期待を裏切るような作品を出したときもありました。
それでも、ロニーは多くのファンに愛され続けました。最後まで、最後まで。
 
彼の訃報を聞いて最初に思ったのは、10代のころからアイドル的な存在だったアーティストたちが去っていく時代が来たんだなという実感でした。
もちろん悲しかったですが、それ以上に強く感じました。
しかし、彼の残した音楽は永久に私たちファンの間で愛され続けます。
 
YahooニュースのTOPに記事が載ったのは正直驚きでした。
POPSチャートでヒットしたこともないし、日本の音楽番組に出たこともないはずです。
でもそのニュースがTOPに載るということは、ニュースの編集担当か責任者がロニーのファンなのかなと。
でもいいじゃないですか。嬉しかったです。
 
この記事を読んでくださる方で、もしロニーが目の前にいて
「次の1曲が私の人生最後に歌える曲だよ。何がいい?」と訊かれたら何をリクエストしましょう。
ヘブン・アンド・ヘル?ウィ・ロック?スタンド・アップ・アンド・シャウト?マン・オン・ザ・シルヴァー・マウンテン?
私はこの1曲をリクエストしたいです。
ロング・リブ・ロックンロール。
彼の音楽は永遠です。私たちがいる限り。
 
ありがとう、そしてさよなら、ロニー。

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