2012年1月31日 (火)

大地震に備えよう。

あの大震災からもうすぐ一年を迎えようとしています。
「とうとう来たか。」と思いながら、大震災の関東での被害は東北に比べれば微々たるものと言ってもよく、我々はほぼ何も失うこともなく、普段の生活を送っています。
東北の人達はまだまだ生活を安定させられていないのですが。
 
最近、首都圏は4年以内に70%の確率で大地震が来ますとの報じられました。
今度こそ来るのかなと、正直にいえば週末から少し緊張してもいます。
で、何を備えりゃいいのか?
正直わかんないですよ。
とりあえず覚悟を決めておくしかないかも。
 
でも前回の震災のときに学んだことは生かせそう。
1)携帯電話の充電器と電池は確保しておくこと。
震災当日、コンビニで真っ先になくなってましたからね。
今はいつもカバンの中に入れてます。
 
2)連絡は少し離れた親類を基地点にする。
3)携帯電話以外の通信手段を知っておく。
震災直後、私がいた千葉は近隣市への携帯電話が不通状態になりました。
メールも発送信もできませんでした。
通信量が多くてサーバが制限を掛けたみたいなんですね。
そんなときに使えたのが、職場で内線用に配布されているPHSでした。
これを使って、実家に連絡が取れたことで、実家から自宅に連絡を取ってもらい安否確認ができました。
友人とか親類とかで離れたところにいる人に基点になってもらうことが有効だと学びました。
 
4)とにかく冷静でいること。
結局、これしかないでしょうね。
 
多分また大きな地震がくるでしょう。
いつきてもいいように心構えはしっかりと。
 
でもなあ、個人的には地震より雷が断然ダメなんですよ。
これ以来。

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2011年12月13日 (火)

風邪が流行中。

風邪がぶり返してしまいました。
先週も風邪気味だったのですが週末には回復してきていました。
まだ喉がいがらっぽいところはありましたが。
ところが、入院した親類のお見舞いにと車で行き来していたら、普段慣れない長時間の運転で疲れてしい体力が落ちちゃったようです。
月曜日は調子が悪かったのですが、出社しなきゃいけないので頑張りました。
すると同じ部の人が4人も病欠。
今日も3人病欠。
風邪が流行っているようです。
 
風邪薬を月曜昼から変えたところ、体調は好転の兆しを見せ出しましたが、今は鼻水と痰が激しくなっています。
まあ、代謝が進んでいると思えばいいわけですが。
咳がキツイなあ。喉が痛くて。
 
初期の風邪の治療法で以前よくやっていたのが、3000円以上のユンケルを飲んで、すぐ寝るというやつ。
Tarzanの風邪特集で誰かが薦めてたんです。
確かに効きました。
金銭的にはきつかったですが。
今はユンケルが全体的に安く種類も豊富になっちゃってどこから効くんだかよくわかんないですよね。
 
ああ、とにかく早く治したい。
 
さて、明日はクラブワールドカップの準決勝。
去年J2だった柏レイソルが今は(いささかバルサの興行的な匂いが強すぎな)世界一を競う大会ですが、どうにかこうにか決勝まで勝ちあがってくれたらと思っています。
レイソル自身もそうですが、去年J2にいたクラブが今年世界を競ってるってことは、日本サッカーのレベルをアピールできるとも言えますから。
もっとも来年のACLで然るべき成績を残す必要もありますが。
 
サントスとレイソルの対戦は94年3月以来。博多でのプレマッチでした。
聞いた話ですが、試合を観戦していたレイソルサポーターの着ていたジャージをサントスの選手が欲しがり、ユニと交換したそうです。
なんでも、練習着に困っていて、そのジャージが欲しかったそうです。
当時のブラジルの景気は今のブラジルとは比べ物にならないくらいやばかったでしょうから。
でも、ブラジルのクラブのユニって、どこのクラブのものも色やデザインが全く違うのに南米の香りがするのが好きです。
パルメイラスの緑色とか好きだなあ。

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2011年11月30日 (水)

明日から2011年最後の月

先週くらいから風邪気味であったのだが、今週は月曜から胃の調子も悪い。
ストレスもあるのだろうと思っている。
理由は、今週は大事な資料の作成当番が回ってきていて、結構スケジュールがキツイ上に精度が求められる資料なので緊張度が高いのです。
加えて先週末のサッカーのこともあり、この一週間は耐久力を試されているような日々が続いています。
 
決して楽しめるような状況ではないかもしれませんが、TLなど読むとみなさん楽しむ気持ちを持っているようです。
確かに幸せな時を過ごしているといえるでしょう。
ですが、今日ふと思い出したことは、我々は3月に未曾有の大震災を経験しサッカーを失いかけたこと、そして東北にはサッカーを失ったままの仲間も大勢いるということ。
確かに忘れてたなあと。
そういうことを噛みしめなおして、明日からの2011年最後の月を過ごしたいなと思います。
 
我が家では、クリスマスのイルミをセッティングしました。
ご近所では去年なんかはかなりの家で大なり小なりイルミをやっていましたが、今年はまだイルミをやる家は少ないです。
正直、やるべきなのかとは思うところもありましたが、やってみると”灯り”というものが持つ良さを感じました。
気が引けてしまうと、やれば幸せな気持ちになれることからも遠慮してしまうこともあるんだなと。
 
今年の12月はいつもよりいろいろ思い募らせ、幸せを感じて過ごす月になるかもしれません。

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2011年11月 5日 (土)

あの事件の記憶。

今日は先日感じた話をします。
 
週末、実家に行きました。
最近は車で行くことが多かったのですが、奥さんが使う用事があったので電車と歩きで行きました。
たまにはいいもんだと、この街に住んでいたときによく使った路地とか、お店の前とか通ってみました。
学生時代からある中華料理屋はソース焼きそばが300円しなかったはずで、よく食べたのですが、いまでもそのくらいの値段なのだろうかとか。
友達の実家の呉服屋が、着物ギャラリーみたいになっていて、友達が継いでいるのか微妙だったり。
小学生のころからある蕎麦屋がいまだ営業してて、そこのカツ丼の味が懐かしく思えたり。
いつも利用してた自転車屋さんでは世話になったオジサンがいまだ現役で年期の入ったツナギを着て仕事してました。
 
でも一番変わっていないものは通っていた小学校です。
通っていたときに既に古かった校舎がいまだ現役で殆ど学校の風景が変わっていないことがいつ前を通っても驚きを感じます。
校庭が土ではなく細かい砂利で、それを敷いたのが私が小学生のときなのですが、それがそのまま今も敷かれています。
プールだけは改築されていました。
休日は少年野球の練習があるのも昔と同じ。
 
校庭に入ってみたくなる衝動もあるのですが、ここへ来ると思い出す忌まわしい事件もありました。
中学3年のときです。
そのころは学校と同じ町内に住んでいて、校門からも100mほどの場所でした。
ある日、家の外に掃除をしようと出たところ、校門にパトカーが停まっているに気づきました。
なにかいつもと違う雰囲気を感じたので母親と校門まで行って警官に何が起きたのかを尋ねました。
 
殺人事件が校庭で起きたという信じられない事実が判りました。
 
今でもそうなのですが、この小学校では校庭の外壁に沿うようにマラソンコースが作られています。
アスファルトできちんと舗装されています。
その一画で校舎の裏手のある場所で、小学生らしき女の子が倒れているのが発見されたとの話でした。
ほどなくして大勢の人が集まり、上空に複数のヘリコプターが大きな音をあげながら旋回するようになり騒然とした状況になりました。
現場の近くに行って見ると、その近くに住んでいる友達がいて、庭から現場が見えるとのことだったので、庭に入れてもらいました。
この辺の家は皆、庭と学校の敷地は低い柵で仕切られてるだけで、しかも校舎と民家の間はどこも5mほどしか離れていません。
つまり民家の庭の目と鼻の先が現場だったのです。
友達の家の庭からは確かに現場が見えました。
15mほどの距離だったでしょうか。
まだブルーシートで隠されていない状態だったので女の子には布が被せられていましたが腕が見えました。
一番近い民家の庭先からは3m無かったかと思います。
そんな場所で、しかも学校の敷地内でこんなことが起きたのです。
 
テレビのニュース、新聞はその事件で一色になりました。
そしてその女の子が私の家から50mほどの場所に家がある、実は顔を知っている女の子だということを知りました。
その事件はその女の子の名前がそのままついた事件名として呼ばれるようになりました。
 
事件は意外な方向に向かいました。
目撃証言から中学生らしき少年が現場近くにいたとの話が出たのです。
犯人は中学生?
ということで、私や私の友人の家にも、学校にも警察が来ました。
いろいろ聞かれました。
一体これからどうなるんだろうと思っていた矢先、さらに驚きの展開になりました。
同じ学校で小学校からよく知っていて、一時は同じ部活にもいた同級生が逮捕されました。
そういうイメージとはほど遠いやつだったのでとても驚きました。
家にはそいつのこと訊きにマスコミが来るようになりました。
 
この事件はその後さらに意外な展開を見せます。
逮捕時には容疑を認めて、そして裁判の末に少年院に入った彼が、その後否認に転じました。
そもそも容疑者として決定的な物証がなく、自白だけが証拠でした。
当時認められていなかった少年事件の再審が認められるかという法制度の重大な転機になるかもしれないということも議論になりました。
彼と同じクラスだった同級生が再審のために活動しているとの話も聞きました。
結局、再審は彼の退院、そしてその後保護処分も取り消される時期に至り、そのために再審の訴えは取り消しになりました。
「保護処分を終了した者は、その処分の取り消しを求めることは出来ない」というのが理由でした。
何が事実なのかわからないままに事件はやがて人の記憶から消えていきました。
 
 
先日もその場所の近くを通ったのですが、そこを通ると必ずその事件を思い出します。
近辺の風景はまったくといっていいほど変わってないのですが、記憶だけが消えていっているような気がします。
向かい合うのが避けられてるというのではなく、本当に消えていっているのです。
それが何とも言えない気持ちにいつもなります。
私は今でもそこを通ると心で手を合わせるのでした。
私の中からはきっと最後まで記憶から消えないと思います。

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2011年11月 1日 (火)

18年前の思い出

疲れてましたねえ。マジで昨日はきつかった。やっと今になって楽になった感じ。
試合終わった直後はアドレナリンも出てるから疲れてるとかあまり感じなかったんだけど。
昨日、お昼に都内へ行く用事があったのですが、電車の中では殆ど寝てました。
行きも帰りも爆睡。
よく寝過ごさなかったなと感心したくらい。
それくらいハードな試合だったのでしょう。
 
昨日の朝日新聞の千葉面にはフクアリでの試合の写真が載ってました。
PKになるプレーで深井選手の足許に後ろからサイトーさんがスライディングしている写真でした。
それも深井選手の走る方向正面からの。
まさにこのコンマ何秒後に深井選手が引っ掛かる直前。ファウルかそうじゃないかの瞬間。
まあ、いまさらなんだけどマジマジと見ちゃいました。
昨日は滅多に買わない千葉日報なんて千葉県のローカルな新聞買っちゃいました。
もちろん、負けた側からの視点の記事になるんだけど、なかなか面白い。
徳島行って、試合の翌日の徳島新聞買ったときに似た感覚が味わえた。
 
千葉ジェッツの記事は千葉面には無くて、スポーツ面に小さくスコアがあったくらいだった。
もっと大きく記事が書かれるようになってほしいな。
新聞に限った話じゃないけど、バスケのメディアでの扱いは小さい。
専門雑誌でもやっぱメインはNBAとかになるし、高校バスケの記事の方がJBLやbjより頁割かれてるときもある。
そう思うと、Jリーグって我々が思っている以上にスゴイものなのかもしれない。
 
今こうやって昇格レースをギリギリのところで戦っているせいもあるけど、18年前のこととかをよく思い出す。
もちろん、チームも、リーグも、時代の空気も全然違うんだけど、楽しくて仕方ないことだけは変わらない気がする。
試合がある度に、どこであろうと仕事とギリギリの折り合いをつけて一年間日本中を旅して応援し続けた日々。
いろんなことがあって、いろいろな出会いもあって、ある意味それが試合以上に印象的だったりすることもあった。
もちろんクライマックスは昇格決定。
その日の夜の地元の街はネオンがみんな金色に光っているように見えた。
昇格したら、とにかく泣けるよ。間違いなく泣ける。
次の日仕事に行って、同僚に「おめでとう」なんて言われたら、職場で号泣するよ、きっと。
俺は号泣しそうだったから、一日中「誰も昇格に触れないでくれ」と祈りながら仕事してた記憶がある。
でも...「おめでとう」って言われたいよね。
それって、頑張って応援してきたことが認められた瞬間だからね。
あともう少しだ。頑張ろう。

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2011年10月 5日 (水)

習い事の思い出

明日は急遽東北に出張に行くことになりました。
仕事ではありますが、復興支援のような仕事でもあります。
人手が足りないからということでのヘルプなので頑張ってこようと思います。
 
今日はサッカーも野球も書くネタがない。
音楽のネタもない。
何かないかなと見回してみて気づいた娘の水泳教室のバッグ。
習い事か。
というわけで子供のころの習い事について思い出を書くことにします。
今日は本当に普通の記事です。 
 
小学校の頃通っていた習い事。
水泳は夏休みに集中講習に通ってました。
今の実家の目の前にあるプールで1週間くらい。
まったく泳げるようにならなかったのですが最終日の缶ジュースだけが楽しみで通ってました。
水泳は小学校5年生になったら急に泳げるようになりました。
多分、身体が大きくなって腕力が付いてそれで勢いで泳げるようになったんだと思います。
結局、中学では水泳部に入るほどになりました。
水泳ネタは別の機会に書こう。
 
書道教室にも通いました。3年生からだったかな。
当時の実家から歩いて1分くらい、すぐのところにある教室でした。
初日だけ母親が挨拶についてきて、「グズな息子なもんですから」とか挨拶したのを覚えています。
中学生くらいになると書道が凄く楽しくなってきて、高校生になると道具にも少しだけ拘り始めて。
大学、社会人になっても続けてて、気が付くと教室で一番キャリアが長くなってた。
先生もだいぶ歳を取って、自分も歳を取って。
結婚して引越ししてからも車で通って、子供が生まれても通ってたんだけど、さすがに家のことが忙しくなって行けなくなっちゃった。
終わり方が自分としては不本意だった。
書道はもっと歳取って時間が取れるようになったらまたやりたい。
書いてるときの感情がそのまま字に表れるから面白かったし、極め概があった。全然極められてなんかなかったけど。
精神を落ち着かせるのにもすごくいいから大好きだった。
 
英語教室には4年生から通ってた。少人数制で5~6人の教室。
当時はクラスでも英語教室に通う子は少なかったと思う。
小学校のときは学校の教科でもなかったので何となくやってた感じだったけど、中学生になっても同じ仲間と同じ先生でずっと一緒に勉強してた。
サークルみたいで凄く楽しかった。
おまけに学校の教科書が教材だったので、中学での英語の授業の復習になって、テストでは英語はトップクラスの点数が取れてた。
 
スポーツクラブにも通ってた。
今で言うキッズクラブみたいなやつ。大手の生命保険会社の運営する施設だった。
父親もそこの卓球サークルに通ってた。
当時はプールまではなかったけど、体育館がキレイで広くて面白かった。
今その体育館は取り壊されてなくなっちゃったけど、今でも車でその横を通ると楽しかった思い出が蘇る。
 
小学生の頃の私はいわゆるイケてない小学生であったけど、習い事は何をやってもイケてて楽しかった思い出があります。
娘はピアノ、バレエ、水泳とやってるけど、どれだけ楽しめてるのだろうか?

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2011年9月23日 (金)

結婚記念日と、「弘法筆を選ばず」のお話

今日22日は結婚記念日でした。
2002年9月22日のことです。
早いもので9年経ちました。
大きな病気になることもなく無事に過ごすことができています。
 
さて、今日は先日観にいった展覧会で知ったことについて話そうと思います。
まあ、ローテの谷間のお話ってやつです。
 
「弘法筆を選ばず」という言葉はよく知られています。
弘法とは平安時代の有名な僧侶である空海のことです。どこぞのサポーターGrpの名前じゃありません。
空海は日本の歴史上でも最も美しい字を書く有名な書家の一人としても知られています。
「弘法筆を選ばず」とは”文字を書くのが上手な人間は、筆の良し悪しを問わない。”という意味で、本当に上手な人はどんな道具を使ってもきれいな仕事をするという意味とも言われます。
 
先日、東京国立博物館で開催されている『空海と密教美術展』に行ったのですが、そこで興味深いエピソードを知りました。
空海は中国(当時は唐)に留学し、20年の留学期間のはずがわずか2年で学を身に付け帰国しましたが、その際、多数の経典類(新訳の経論など216部461巻)、大曼荼羅、密教法具などの他に、書で使う筆の技術も持ち帰りました。
そして、その技術を元に当時の嵯峨天皇に4種類の筆を作成し奉献したこともありました。
四本の筆は楷書、行書、草書、写経のそれぞれ用に作成されて献上されました。
このように空海は筆に対しての造詣の深い方だったわけです。
また、空海はこのような言葉も残しています。
 
「良工は先ず其の刀を利くす。能書は必ず好筆を用いる。 刻鏤、用に随って刀を改め、臨池、字に遂って筆を易う」
 
よい工芸家はまずその刃をよく手入れします。
字の上手な人は必ずいい筆を使います。
工芸家が刻む模様に合わせ刀を変えるように、習字でも書く字の書体、書風に合わせて筆を変えます、という意味です。
嵯峨天皇に献上した筆の話、そして上記の言葉から考察すると、実は空海はとても筆に拘る人であったことがわかってきます。
「弘法筆を選ばず」とは逆に思えますよね。
よい仕事をするにはよい道具(仕事する環境とかも言えそう)を常に整え、それを適切に使うことがよい成果をあげるために必要なことなのだと私は理解します。
 
これを他にもいろいろなモノ当てはめるとなかなか面白いことにもなります。
よい仕事 ⇒ J1昇格
よい道具 ⇒ よい選手?よい監督? 
とすると、ありゃりゃ...ノーコメントです。忘れましょう。
 
それはさておき、自分自身のことに置き換えて考え行動すると、すごくいい成果にはなりそうです。
 
『空海と密教美術展』は25日まで上野の東京国立博物館で開催されています。
国宝がいっぱい展示されていて、書、密教法具、仏像(四天王や明王とかの像がカッコイイ)、大曼荼羅など見ることができます。
昔よく読んでた孔雀王という漫画の世界と共通していて、40代の漫画世代にも興味深く見れると思います。
音声ガイド(500円)は借りたほうがいいです。ガイドは犬のお父さん(北大路 欣也氏)です。
但し、猛烈に混雑するし、入場規制もあるので、行くとしたら開館時の9時半にはいたほうがいいです。

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2011年9月 4日 (日)

試験が終わった開放感。

いやあ、なんてみんな優しいんだ。ナミダガデマス。
「え、まだ3位にいていいんですか?」
「どうぞ、どうぞ」って感じだ。
すいませんねえ、ホントありがとうございます。
このご恩忘れません。
鋭意復調を目指し、そして皆様にシーズン終了時に昇格のご報告をできるように頑張ります。
どうか、残りのシーズンもご後塵...失礼、ご高配を賜りますよう、何卒よろしくお願いいたします。
 
さて、わたくしごとでも今日資格試験が終わりました。
手ごたえは...ちょっと微妙なところですが、ギリギリ合格ラインってとこでしょうか。
ヤマを張っていたわけではないですが、予想していた試験内容とは結構外れておりまして、問題をパラパラ見て少々焦りました。
あと、90分の試験時間に対し、結構時間が少ないことも本番中に気づき、これも結構焦りました。
過去の試験問題集は買ってあって、過去問は全部チェックしていたのですが、試験時間に合わせたセルフ模試をやってなかったので時間配分を誤ってしまい、危うく最後の設問までいけずに終わるとこでした。
普通に解いていって気が付いたら、残り30分で半分しか書けてないんだもん。
そこからは集中力高めていって、どうにか5分前に最後の設問の回答を記入。
あとは10月か11月になる合否発表待ちです。
 
さあ、これで作り出せずにいたプラモつくるぞォ。
もうずっと作りたかったのが箱のままで。
中旬からは忙しくなるから、早いうちに1日年休貰っちゃおうかな。
上野でやってる密教美術展も見たいんだよな。
 
とにかく解放された気分の一日。

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2011年9月 3日 (土)

明日は決戦(?)、そしてW杯予選始まる。

明日の日曜日には大事な決戦が控えております。
といっても私だけの話で、それもサッカーではなく資格試験の話です。
元々3月中旬に予定されていたその試験は、言うまでもなく大震災の影響を受けて中止となってしまったのです。
もちろん、試験料は戻ってきました。
 
その試験は3月と9月の年2回開催。
ということでまた半年後に試験を受けることになりました。
ところが、明日になってもまだ試験へのモチベーションがあがりません。
3月の試験を目指していたときは本当に一生懸命勉強していました。
会社でも空いた時間で参考書を読んでいたし、家でも毎日決まった単元をやり、娘の習い事の待ち時間はPRONTOで勉強しとかなりマジメに準備していたのです。
勉強はほぼ予定通りに進み、あとは試験を待つばかりだったのです。
そこへあの地震が来てしまいました。
やることやった状態で本番が逃げてしまったので、さあ半年後だとなってもやるべきこと、つまり勉強すべきものがなくなったのです。
そりゃ復習を繰り返せばいいのですが、ハッキリ言ってつまんなくて、結果モチベーションはドン引き。
 
スポーツ選手でも大会延期とかでモチベーション維持が難しくなったことを読んだことがありますが、似てるかと言われるとどうかとも思いますがモチベーションの維持って難しいもんです。
まあ、今日はホント言い訳抜きにしてしっかり準備して明日試験に挑もうと思います。
 
昨日のW杯予選はだいぶハラハラしましたね。
2005年の予選のときも同じさいスタで北朝鮮と試合をしたので、それを思い出しました。
あのときもロスタイムに決勝点(大黒のゴール)が決まって勝利しました。
 
そのときも感じたんだけど、応援の空気は昔とだいぶ変わったなあと。
2005年は現地で、昨日はテレビだったけど、W杯予選なのにみんな楽しそうだなと。
負けるとか想像してないんだろうなとか思えた。
勝つことを信じてるってんじゃなくて、負けることを想像していないってのはまったく違うからね。
 
2002年の日韓W杯から(あれは予選がなかったとはいえ)その空気が変わったのだろう。
そりゃ良い面もかなりあるから、空気が変わったことを拒否するほどでもないけど。
 
W杯予選というとやっぱり98年フランスW杯を目指してたW杯予選に行き着く。
2005年の試合の後、友人である浦和サポの高橋さんと、その旦那さん(すごく尊敬している)に会ったとき、どっちからでもなくそんな話題になって、当然のようにのそのときの話になった。
あのときはホームは全部国立開催だった。
一言でいうのは難しいけど、選手、サポーター、協会がみんな熱くなってた気がする。
そのせいで、いい面も全部出たし、悪い面も全部出た。
これ以上ないだろうと思うくらいの一体感があった歓喜もあり、すべてが崩壊したと思ったような感情の対立もあった。
でも変わんなかったのは熱さが試合ごとに増幅されていったことだった。
近年、渋谷の交差点で発散される熱さとは全く異質の熱さがそこにあったと思っている。
絶対に”W杯に行かせるんだ”という熱さがあった気がする。
 
この1週間で”熱さ”というキーワードを何度か読んだ。
いろいろ思うところがあったけど、言葉にできる範囲で言うとしたら、熱さが増幅しなかったことも大きかったかなと。
それは誰に理由があるとか特定できるもんじゃなくて、一番最初、いやその前にも原因もあったと思う。
結局不幸というか不運だったことも関係する人全員に降りかかって今がある気もする。

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2011年8月25日 (木)

イモムシの命、カナブンの命

特に書くネタないなあってとこなんですが、今朝ちょっと凹んだことがありました。
 
ウチの庭に植えてあるパセリ。
料理で使うことがあるんですが、以前ここで記事にしたこともありますがパセリにはキアゲハが卵を産むんですね。
去年自分のミスから飼育していた幼虫を死なせてしまいまして、それからは育てていなかったわけです。
植えてあるパセリは小さくて葉も少ないので幼虫は育つまいと思っていたら、いつのまにか幼虫がついて結構大きくなっていたようなのです。
数日前に大きな幼虫が付いていると奥さんに知らされ、今朝起きて新聞を取りに行くついでに探したら、いました、幼虫が。
結構大きくなっていて、既にパセリの葉は食い尽くされていました。
茎にじっとしがみついていた幼虫はもうすぐさなぎになりそうな感じでした。
 
1時間後、会社に出掛けようと家を出て、途中で幼虫を再度探したところ、何故かいません。
あれ?と思った直後、パセリのすぐ近くで幼虫は無残な姿を晒し、小さなアリにたかられていました。
何が起きたかは帰宅後にわかったのですが、さすがにその惨劇をみた直後は凹みました。
朝からいきなり最悪な気分でした。
せっかく大きく育ってたのに...。
 
電車の中でも誰があんなことを..と思いましたが、そこで私はハッとしました。
そういや自分だってカナブンをたくさん駆除してんじゃん。
そのときってカナブンの命なんてなんとも思ってないわけです。
害虫でしかないと思っているから。
そんな自分がイモムシの命を嘆くかいと...。
 
そりゃ、カナブンを駆除しないと庭木の命が危機に晒されます。
でも、カナブンに意思があったら、自分は許せない存在でしょうね。
 
命を思うってことは難しいもんだなと、ムシの命からちょこっと考えさせられました。

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