2020年5月 2日 (土)

ありがとう小野龍猛。ただいまステイホーム中

久々にブログを書くことにしました。
 
スポーツ何もやっていないし、どこにも出かけていないし、犬生活はインスタでやってるんで、特に書くことがないこと。
それからテレビやSNS見てもイライラすることが多く、何見てもイラつくことが増えてきたので一回閉じこもってみるかと思ったことも理由。
自分レベルでやるべきことは明確だったので余計な情報が不要だと思ったしね。
悪役を欲しがり過ぎなのさ。ストレス溜まってるんだろうけど。
自分の主張のために悪役欲しがる正義とか一番嫌いだね。
もちろん、普段の生活の中でもイライラすることはあるけど、それをここでは絶対に吐き出さない。
そんなことを誰かの勝手な正義の燃料にされるのも冗談じゃないから。
 
ステイホームということで今は家でやっていることは庭の植木手入れしたり、部屋を片付けてスペース作ったり、そこに作ってなかったプラモ作ったり。
プラモ作りは流行っているみたいで、塗装に使用する道具が売れているみたい。
うちは以前勝ったものがあるのでそれを活用することに。
サーフェイサーっていう塗装の下地材だけ必要だったのでネットオークションで購入しました。
今はテロルミラージュというロボットのレジンキャスト模型を作っています。
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あとはしばらく観ていなかった音楽もののビデオ観たり。
昨日はピンク・フロイドの「Delicate Sound of Thunder」を観ました。
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それから近所の公園の遊水池にカワセミが戻ってきたので見に行ったり、撮影したり。
以前このブログでも野鳥を載せてましたが、時間がたくさんあるので載せようと思います。
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仕事はテレワークではなく事務所に通っています。
うちはITだけどテレワークは簡単にやれない事情もあったので、準備はしていましたがいまのところテレワークはしていません。
電車やバスはだいぶ乗客が減っていますね。
 
もう少し辛抱が必要な時期が続くでしょうが、ネガティブなものに侵食されないよう楽しく乗り切りたいと思います。
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そして、千葉ジェッツにも大きなニュースがあった。
小野龍猛がチームを去ることになった。
個人的に大きなニュースで、久しぶりに記事を書こうと思ったのは、小野選手のジェッツにおける貢献度の高さを語っておきたいからだ。
特にNBLに参戦した最初のシーズンでの彼の存在はチームが次のステップへ上がっていく上で大きかった。
初年度の20連敗後の21戦目はアウェイ取手でのロボッツ戦だった。
正直、止められるならここだと思ってはいたが、この2連戦(2連勝した)での小野龍猛は雄々しくそして頼もしかった。
彼が試合のトドメに決めた3Pの時3本の指を上に掲げた姿は今でも覚えている。
その時の記事のリンクはこちら(2試合目)のとき。
今と違って人気が全くなかった時代、勝てなくて苦しかった時代、試合後に「ジェッツ弱すぎ」とか聞かされた時代、帰り道でパンフやフライトクルーが配ったグッズが捨てられたりしたのを見ていた時代。
途中加入した外国人選手が急にいなくなったり、フライトクルーのメンバーが急にいなくなったり。
そんな時を彼は中心となって戦ってくれた。
彼自身にとってもジェッツに移籍してきていろいろな驚きや戸惑いもあったと思うし、そのシーズンの終盤には骨折までした。
でも彼がいなかったら今に繋がっていかない。これは間違いない。
本当に今までありがとうございました。
まだまだあなたを必要としてくれるチームはあると思います。
バスケットボール自体が厳しい時代ですけど、共に乗り越えていくことはチームが変わっても同じなので頑張っていきましょう。
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2017年12月31日 (日)

私の2017年。

2017年があと30分で終わろうとしています。
というわけで今年の最後に振り返ろうと思います。
 
まず各月を振り返ります。
  
2017年は1月の千葉ジェッツのオールジャパン2017優勝で始まりました。
正直、大会のスケジュールの関係で一回戦、準々決勝が仕事で行けませんでした。
よって、参戦したのが準決勝の三河戦からで、その翌日に決勝を迎えたので、実質2日間しか闘っていない感じでした。
だから優勝しても何か感動のようなものがいまひとつでした。
実感したのはそのあとリーグ戦が再開してからで、急激に知名度があがり、観客が増え、ジェッツの出世劇場が始まったときに実感が湧きました。
 
2月、50歳になりました。
 
3月、初めてのプライベートでの沖縄旅行に行きました。
琉球ゴールデンキングスとのアウェイゲーム参戦がメインでしたが、美ら海水族館へ行くなど、沖縄を堪能することもできました。
帰るのが残念に思えるほどに楽しかったです。
ヴォルティスはリカルド・ロドリゲス監督の基、開幕戦を勝利して幸先よいスタートを切りました。
第2節で早くも躓きましたが、ポゼッションが高く、ゲームを支配する志向性の高いサッカーは徳島サポーターに新鮮な刺激を与えました。
徳島のサッカーは日本一面白いと試合ごとに確信していき、このサッカーで高いステージを制覇したいと野望を抱くシーズンが始まりました。
 
4月。
千葉ジェッツはプレーオフに向けてますます盛り上がっていました。
そして、千葉ジェッツブースターの中で私のこのブログの読者になってくださる方も増えてきました。
千葉ジェッツはなかなかSNS上でコミュニティが活発ではなかったのですが、この頃にはこちらでも驚くべき活性が起きていました。
千葉ジェッツのフロントの広報さんや、伊藤俊亮選手の発信により、いろいろなパートナーさんとのコラボが起きました。
明日何が起きるのかが想像つかないほどでした。そしてその通りに想像を超えることが次々起きていました。
そして、フクダ電子アリーナではとても悲しいことが起きました。
このことは私にとってのヴォルティスは、そして徳島サポーターとはというものを考え直す機会になりました。
ピッチの上で起きたことよりも、スタンドから為された愚行にとても怒りを覚えました。
もっと残念だったのは、そのことを省みるよりこちらが被害者なのだという論調が出たこと。
そして、そういうことをいうだけで子供に愚行を行った行為に触れたがらないことがとても残念でした。
私はこれを機にヴォルティスのゴール裏をやめました。
自分にも25年のサポーター生活で積み上げた信念があり、もうゴール裏はいるべき場所ではないと思いました。
 
5月。
千葉ジェッツは2016-2017シーズンのホーム最終戦を迎えました。
千葉ポートアリーナには7,327人、平均観客動員数で4,503人、シーズン総動員数を135,097人を達成しました。
いづれも新記録です。
プレーオフは残念ながら初戦で負けてしまいましたが、素晴らしいシーズンを過ごすことができました。
いくつかの別れを伴ったフィナーレはこれまでのどのシーズンの締めくくりよりも賑やかでした。
ヴォルティスは大いなる危機を超えて選手たちも、サポーターも再度歩き出しました。
 
6月。
ヴォルティスはなかなか連勝こそ積み上げられないながらもチームの熟成を高めていました。
応援は太鼓の使えない状況の中でサポーターはチームとこれまでよりもずっと一体感を持ちながら戦いだしていました。
 
7月。
ヴォルティスは四国ダービーに勝利し、3位で折り返しました。
名古屋にも勝ち、福岡にも勝ち、首位湘南に挑みました。
そこで突き付けられた現実は、新シーズンを勝ち抜くために決して忘れてはいけないと思います。
 
8月。
サッカーの質は高まっていったが、それがなかなか観客動員に反映されてこないもどかしい時期の中でヴォルティスは闘っていました。
 
9月。
千葉ジェッツは千葉ジェッツふなばしとして新シーズンに突入しました。
新戦力を加え、さらにハイパフォーマンスのエンターテイメントも用意して、ファンにアピールしていました。
そしてチアリーダーも専属のチアリーダーも作り、運営面でも他のBリーグチームの一歩も二歩も先に踏み出していました。
島田社長はBリーグの副チェアマンに就任し、本も出版され、そして島田塾という各クラブの経営者にジェッツの運営ノウハウを伝授する授業と、チーム一のスターになっていました。
ヴォルティスは苦境に立っていました。
次第に順位が下がり、岩尾憲は涙を流しました。
 
10月。
ようやくヴォルティスはトンネルを抜け、再び、そして最後の進撃を開始しました。
既に自動昇格は厳しくなったが、選手、監督、そしてサポーターの間に出来上がった一体感は試合ごとに強くなっていきました。
残り試合、プレーオフ決勝までの試合を数え、全部勝てば昇格できるのだということを合言葉のようにしながら気持ちを皆で強くしていました。
千葉ジェッツふなばしはシーズンの開幕を迎え、気が付くと人気はシーズン前の想像を超えていました。
昨年より大幅にグレードアップしたエンターテイメントを披露し、選手のアグレッシブなプレーも歓声を集めていました。
昨季も観客動員数では他をぶっちぎっていましたが、今季、その差はさらに広がりました。
平均観客動員数は5,000人を超えるようになり、毎試合立ち見が出るほどになりました。
そんな中、私のプライドに水を掛けられるようなこともありました。
正直な感想を言えば、今のジェッツの応援は私にとって決して自由な場ではありません。
どこまで付いていくべきなのか考えた時期でもありました。
 
11月。
ヴォルティスの2017シーズンが終わりました。
それまでの時期、そして直前まで、もしかしたら、今季は昇格すべき時期ではないのかもと思いもしました。
それでも、リーグ最終戦で敗れ、それとほぼ同時にジェフ千葉が勝利したことを知った時、思わず天を仰いで大声で叫んでしまった自分の中に、やはり昇格したかったのだと感じました。
もう少し、試合をしたかったです。
千葉ジェッツふなばしはホームで連勝できず、もどかしい時期を過ごしながら激戦区の東地区の上位につけて首位アルバルクを必死に追っていました。
そして、今季加入したトニー・ガフニーからレオ・ライオンズへ選手を入れ替えました。
そして、東京五輪も懸かったバスケW杯予選が始まりました。
かつて、サッカーW杯フランス大会予選を闘ってきた身として、バスケ日本代表の応援に参加することにしました。
あのときのサッカー以上に厳しい状況ですが、自分のやるべきことが見つかった月でもありました。
 
12月。
千葉ジェッツふなばしは、毎試合満員になる船橋アリーナで2位でアルバルクを追っています。
選手だけでなく、STARJETSの人気も高まっており、かつてのジェッツを取り巻く環境から大きく変わっています。
そして千葉ジェッツふなばしを観る周囲の目も変わっています。
来年は、島田チェアマンに昇格する可能性もあると思います。
島田塾の成果も出始めるでしょう。
6年前のブースターミーティングで統合リーグの一部参加に生き残りを賭けると言われたチームは、リーグのリーダーになるかもしれません。
 
こう振り返ってきましたが、2017年はこれまでと何かを変えなきゃいけない、変わらざるを得ないと考えさせられた一年だったと思います。
その中で、自分の何を大事にしつつ、変わらないといけないのか?
来年はそれに答えをださないといけない気がします。
そのなかで自分らしい応援の信念は絶対に曲げないでいこうと思います。
勝つことへ拘り、常に次へ次へと追い求めていきたいと思います。
相手やレフェリーへのリスペクトはあります。
でも、試合になったらそれありきではなく、貪欲に自分がチームを勝たせるんだという気持ちに集中したいと思います。
負けたなら、それは自分のせいであり、勝たせることができなければそれは自分の応援が応援になっていないからだということです。
応援をする自分を取り巻く環境は年々変わっています。
でもその中で、ストイックに勝たせる応援に拘っていきたいと思います。
 
今年はこのブログでも騒がしくさせていただいた時もありました。
でもそれも信念にしたがってのことでここに書いたことはあれも含め、どれに対しても一片の曇りもありません。
そんなブログに付き合ってくださりありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

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2017年2月11日 (土)

50からのリスタート。

毎年、ちょうど2月上旬にこれから始まるサッカーのシーズンが始まる時期をタイミングに一言を記事に書いていました。
今回もちょっとそんな記事を書きます。
 
とうとう来週には50歳になります。
20代からサポーターを始めて、とうとう50歳に到達してしまいました。
身体のあちこちも傷み始めていて、どう意地を張ってもこれまでのようにはいかないと感じています。
身体を鍛えようとジムで運動をすると、ちょっとやり過ぎると痛み出す。
どうにも思うようにならない。
 
それでも、まだ店じまいするわけにはいかない。
誰からも続けろと言われているわけでもないし、辞め処が見つからないわけでもない。
周りには実質引退してしまった人も結構いる。
それでも辞めたいと思わないのは応援稼業がずっと充実してて、それでいては縛られてもいないからだと思う。
閉塞感を感じてもいないし、そう思わないことにしていることもある。
 
40代後半にもなると周りも以前とは変わってくる。
それか、自分だけが周りと違う方向に変わってしまったりする。
そういうことに気づく。
置き去りにされたと感じるときは仕方ないが、置き去りにしてしまった気になるときもあって、そういうときは少し悲しくなる。
その差がもう埋まらないんだなと感じるときは諦める。
 
もう一度、スタートし直す機会として50歳の誕生日はいいタイミングになるだろう。
この先50年あるとは思わないし、身体もどんどん自由じゃなくなるだろう。
だが、積極性はもっと意識していいと思う。
気持ちは少しも老いてもいないし。
やり残したことはあまりない気がするなら、やることを探そう。
ここからはそれを意識していこうと思う。
 
ハマグチさんが50歳になっていたら、どんなことを言う人になったかはわからないが、私が前向きに生きていれば、自分の中のハマグチさんも前向きな視線でずっと見ていてくれると思うのだ。
私の知っているハマグチさんは優しくて、一生懸命で、明るかったから、そういうハマグチさんにずっと自分の中にいてほしいのだ。
ハマグチさんに見てもらっていると感じたい。
そんな50歳からの日々にしたい。

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2017年1月 2日 (月)

2017年の始まり。

あけましておめでとうございます。
2017年も渦帝ブログをよろしくお願いします。
今年は年齢も大台に達しますが、これまでと変わらず、11年続けているこのブログに渦帝イズムを貫きつつやっていきます。
大台を超えるのでいまさらブレるのもどうかしてると思うので、自分の信念に忠実に他に屈することなく、かつ決して他に押し付け過ぎないことも大事にしつつやっていこうと思います。
 
”勝たせることができない応援は応援ではない”
これが私の応援についての信念であります。
これはあくまで私自身に突き付けていることで、応援の形は人それぞれでいいと思っています。
ただ、この信念を持って誰かがこういう応援をしないといけないとは思っています。
たぶん、言葉は違いこそすれこう思って自分の愛するチームを応援している人たちは大勢いて、当たり前のことでしかないとも思っています。
ルーツになっているのは1997年のサッカーフランスW杯予選のときだと思います。
あのときは2002年の日韓W杯が決まっている中で、自国開催枠で初出場するわけにはいかない、自力で出ていないと2002年に得られるものは全く違うモノになるという危機感がありました。
そんな考えが、いろいろ違いはあれ、あのアジア予選での国立競技場で毎試合共有されていたんじゃないかなと思っています。
 
今のバスケットボール界はあのときのサッカーの置かれている状況にとても似ています。
W杯ではなくオリンピックですが、大きな違いではないでしょう。
しかも開催国枠が保証されていないのです。
東京オリンピックに出られないとなったときにどれほどの損失になるか?誰か説明できますか?
その危機感を常に持って私は千葉ジェッツを応援しています。
その危機感を常に持ってブログに観戦記事を書いています。
楽しければいいという気持ちでは私は応援できません。
 
五輪予選はできる限り応援に行かないといけないでしょう。
勝たないと東京オリンピックに出られないなら。
でも、応援する舞台としてこんなに楽しみな舞台はないでしょう。
楽勝で突破が当たり前だと思われているサッカーのアジア予選(実際はそんなことないですが)には選手以外は誰も感じなくなりつつあるモノがあるわけだから。
楽しいってのはこういうギリギリの試合なんですよ。
 
ヴォルティスは新しい監督を迎え、J1昇格を目指します。
昨年までよりさらに厳しい競争になります。
選手は主力選手がかなり残ってくれたので、スペイン人監督がどんなサッカーを創り上げてくれるのか?
不安もありますが、楽しみもあります。
大事なことは結果を出した選手を結果を出した時だけ讃えるのではなく、常に信じてあげることです。
それが応援です。
勝てない時、勝てなかった試合でどう次に継げていくか?
その上で厳しさをどう表現していくのか?
それも応援ではないかなと最近思っています。
今年は徳島にも行きたいです。
毎年言っている気がして申し訳ないですが、次に徳島に行くときはこれまでと違った楽しみ方ができる気もしています。
徳島に行かずに沖縄には行ってしまうのでは本当にハマグチさんにも悪いので。
 
さあ、個人的にもターニングポイントになる2017年、頑張っていきましょう。

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2016年12月31日 (土)

2016年の締めくくり

いよいよ2016年も終わろうとしています。
今年もブログを見てくださった方全員に感謝いたします。
来年はブログ開設から12年目に突入しますが、ブレずにらしさを発揮しつつ書いていこうと思います。
思うに11年もやってるんだなと思うと、それは誇りに思えることなんだなと先日あらためて思いました。
何となく続いてしまった気もしますが、簡単に達成できる時間ではないなとも感じました。
でも、これも通過点です。
 
2016年の私自身のトピックで大きかったこと。
一番大きかったのは、徳島サポーターとして旗振りを引退した2月のジェフユナイテッド千葉とのJ2開幕戦ですね。
ロスタイムまで完璧に進んでいた試合がそのあとひっくり返って逆転負け。
今季のヴォルティスはそこで躓いたのが最後まで響いたかもしれないですが、旗振りを引退した試合がこんな試合なったこともとても印象的で、でもネガティブには捉えていなくて、今ではいい思い出です。
 
千葉ジェッツはBリーグに参戦しました。
そこでB1のカテゴリーに加われたことは、千葉ジェッツの応援を始めたきっかけである、統合リーグの一部に入ることに生き残りを賭けると島田社長がおっしゃったことの達成であり、本当に良かったなと思いました。
それが二つ目の大きなことですね。
 
そして三つ目はPerfumeを幕張メッセに観に行ったことです。
ずっと観たいと思っていた念願のライブだったので、観れたことはとても大きな出来事でした。
このライブを観たことで、ジェッツ応援用の新作ボードのアイデアを出来たし、収穫も大きかったです。
もちろん、ライブが素晴らしかったことがもっとも感動したことです。
 
来年もたくさん楽しいことがありますように願っています。
今の生活は、愛犬も含め家族と共に楽しく過ごせています。
仕事もそんなに忙しくはないですが、自分の力を活かせていると思っています。
身体はいろいろガタが来ていて、ジェッツのシーズンオフのブースタークラブのイベントで人生初の肉離れを経験したりしましたが、上手く労わっていこうと思います。
来年は人生半世紀を迎える大きな節目となります。
でも自分から老け込んだりせず、アグレッシブに渦帝らしさを発揮していこうと思います。
 
それではみなさまよいお年を。

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2016年1月 5日 (火)

あけましておめでとうございます。

みなさま、あけましておめでとうございます。
昨年も弊ブログをご愛顧いただきありがとうございます。
サッカー、バスケ、旅行、ブログにはあまり記事にしていませんが犬もいていろいろ大変な年でした。
仕事面では成果もあり、また一つ成長できてポジションを上げられた気がする充実した一年でした。
今年も自分を成長させつつ、目指すところを定めてやっていこうと思います。

 
2016年はどうしていくか?
サッカーでは一度立ち位置を見直してみようと思ってます。
もっと充実感とやりがいの感じられることにバランスを変えようと思ってます。
どんなふうにするかはシーズンが始まるまでに詰めていこうと思います。

 
バスケットボールでは今のスタンスを変えないまま行こうと思います。
きっと今の自分は以前より辛辣になっていると思っている人がいると思います。
それは自分でもわかっていて、わかっていてそうしているのでこれからも変えません。
そもそもこれが自分です。
バスケはBリーグも始まるので、そこに向けて自分が今まで積んできた経験を最大限活かしていこうと思います。
あくまでも、千葉ジェッツを高めていくことに集約していきます。
バスケ界を盛り上げるとか大きなことではなく、ジェッツを高めることで周りにも付いて来いというスタンスで。
敵はあくまで敵ですから。
まずジェッツが勝たないとハナシにならないですから。

 
もちろん、サッカー、バスケなどと生活のバランスも大事にします。
父親としてもちゃんとやることやる。
実はそれが一番大事なのです。そこが欠けちゃったらサッカーもバスケもありません。

 
仕事、家庭、サッカー、バスケ、それ以外にもいろいろと。
全てが一つながりというか一つの輪で繋がっています。
どこかが上手くいかないから、どこかに逃げるとかはせず、向かい合っていく。
それが自分のやるべきことだと思います。

 
今年が終わったとき、胸を張って頑張った、成果になったと思えたらいいと思います。

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2015年1月 1日 (木)

2014年さようなら。2015年こんにちは。

もうすぐ2014年が終わります。
というわけで、簡単に振り返ってみようかなと思います。

1月。
ヴォルティスの初めてのJ1シーズンの補強や日程が発表されていよいよだと感じていた1月でした。
そして下旬からNBLが再開してジェッツが熊本ヴォルターズに連勝したのですが、個人的にはここから少し???となっていった月でした。

 
2月。
総統と久しぶりに会って飲んで、いろいろ語って...。
そういえば電撃ネットワークの三五さんはこの頃から大変だったんだけど、最近は少し良くなってきたのかな。
この頃は本当に厳しかったんだと思うけど。
そしてバスケットボールではとにかく不機嫌だった。
試合のことだけでなく、むしろそれ以外で不機嫌になることが多くて、今までやってきたことの意味を考え直させられた時期でした。

 
3月。
ついに徳島ヴォルティスのJ1の戦いが始まりました。
初戦は苦い敗戦になりました。
キックオフまでは意気揚々としていたのがバキッとへし折られた試合でしたね。
これがこの一年を象徴する試合になるとはさすがにここでは思えなかったかな。
そして7年ぶりに徳島の地を踏みました。
いろんな思いがよぎり、いろんなことでいろんな人たちに感謝した旅でした。
自分のこれまでを思い返した意味深い旅でした。
バスケットボールでは残念ながら不機嫌がロケットのように高まっていく日々でした。
そしてこの時期、新たな男子プロリーグの話が出ていましたが、これもこの先の結末がこうなるとはね。

 
4月。
ヴォルティスはとにかく苦しんでいました。
サポーターはどこまでいっても辿り着けない初勝利に焦れていました。
そんななか、「徳島ヴォルティス 栄光への軌跡」といういつか出てほしい、そこには寄稿したいと思っていた本が出ました。
ヴォルティスがJ1昇格を果たすまでの25年の記録、証言。
そしてハマグチさんの強い思いが染みている一冊でした。
そして4月29日、ついに初勝利をつかみました。
千葉ジェッツは2013-2014シーズンを終えました。
開幕時の期待とモチベーションが終了時には殆ど無くなっていた疲れたシーズンでした。

 
5月。
ヴォルティスはもがいていました。
そしてサポーターから起きる問題が立て続けに起きて、ゴール裏ってどういうものなのかが考えさせられた月でした。
そしてラストの国立競技場。

 
6月。
渦帝ダービーが日立台でありました。
9年ぶりに戻ることはもうないだろうと思っていた場所に再び立った時でした。
そしてブラジルワールドカップが始まり、初めてパブリックビューイングに行って...。
そして刀根麻理子さんのライブもありました。
時代の唄女と初めて表現したライブ。この一年で一番充実した記事が書けた時だったと思います。

 
7月。
千葉ジェッツは新シーズンに向けてブースターミーティングが繰り返されていました。
新しいモチベーションが得られる期待が膨らんできていた時期でした。
そして大宮にアウェイで勝利できました。
それから、この月の30日にある小さな生命がこの世に生れ出てきました。
この先で会うことになるとはお互いにまだわかっていませんでした。

 
8月。
家族旅行で大阪~和歌山へと旅行しました。
USJに行き、ハリー・ポッターで遊び、和歌山でパンダを満喫し、充実した家族旅行でした。

 
9月。
ヴォルティスはいよいよ追い詰められつつありました。
サポーターの焦燥感とストレスは頂点に至りつつありました。
千葉ジェッツは新シーズンを迎える準備ができあがりました。
そして、渦帝一家に新しい出会いがありました。

 
10月。
我が家は仔犬を新しい家族に迎え、生活が急に忙しくなりました。
ヴォルティスは荒みが極みを突き、そして降格が決まってしまいました。
何も傷跡を残せないままに降格することになってしまいました。
が、それ以上にただただ壊れていくヴォルティスのコミュニティの中で皆が自分たちのことしか考えられなくなっていったことが残念でした。
来年(既に今年ですが)この経験を新しい力にできるか、この時点では希望を見出せませんでした。
それくらい惨敗のシーズンでした。

 
11月。
渦帝ダービーをリーグ戦で迎えました。
正直、自分だけ違うもの見て、違う思いで感じていた試合だったと思います。
滑稽でしかないもの、そしてとても重い決意をする人。いろいろありました。
そして、自分もある決意を決めた試合でもありました。

 
12月。
いろいろ悩むことが多い月でした。
休みが必要なんだろうと強く思いました。

 
総じていえば考えることが多く、考えを変えること、変えさせられることの多い一年だったなと思います。
希望も、そして失望も多くありました。
光は一匹の犬だったのかもしれません。

 
そして2015年は決算の一年になると思います。
悔いのない一年に。
人に誇れる、自慢できる一年にしたいと思います。

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2014年9月 8日 (月)

リーグ戦のない、この週末いろいろ

ヴォルティスの試合がないので他のことをネタにちょこっと書きます。

 
サッカー日本代表はアギーレ監督を迎え、ウルグアイ相手に試合をしました。
田中順也くんが呼ばれていたことに試合が始まってから気づくという失態。
しかもやってるとこ見たことがないインサイドのハーフで使われていました。
順也くんが本来どこのポジションが知らないはず、というか周りが教えないはずもないので、ちょっとした実験というか試験であのポジションで使われたんでしょうね。
確かに効いていなかったと思いますが、周りも総じて活きてなかったように見えました。
もっとも、上で書いた通りいろいろ試したのだと思うので、選手が固定されてきたら何か見えてくるでしょう。

 
日曜日はナビスコカップ準々決勝はレイソルとマリノスを観に行きました。
マリノスのは例のバナナ事件のため、横断幕はなく、太鼓一個だけでの応援になっていました。
マリノスは中村、ラフィーニャ、中町らを怪我で、栗原を出場停止で、斎藤もスタメン回避の上、ホームで1-2とリードされた状況でした。
それでも立ち上がりから激しいプレスでレイソルを押し込み続け、中澤選手のヘッドで先制点を奪い、その後も惜しい場面を何度も作りました。
非常に勇敢だったなと思いましたが、最後で決められなかったことが響き、少ないチャンスでしっかり決めたレイソルに1-3で敗戦。
トータル2-5で敗退となりました。

 
印象に残ったのは試合後のマリノスゴール裏でした。
上にも書きましたが横断幕もない中、自分たちの中で起きたことでこういう状況下で選手たちに試合をさせてしまい、そして敗戦。
何か言いたげながら、今は何も言えないように見えて、実にせつなそうでした。
自分にも似たような経験が何度もありますから、なんとなくそう感じました。
事件の当事者は最低でも仲間たちにああいう敗戦を体験させてしまったことは詫びないといけないでしょうね。
もうゴール裏とは縁が切れてしまっているかもしれませんけどね。
「それが選手のためになるのか」という問いはベタだけど大事なこと。
そして仲間のためになっているのかということ。
もしかしたら仲間は許してくれるか、罰する側がオカシイとか同調してくれるかもしれないけどね。

 
まあ、他のチームのことだからとはあまり言うべきじゃないのだとも思うけどね。

 
日曜日、ナビスコの前にジェッツの事務所にてコミュニティミーティングで応援や演出についての話し合いに参加しました。
千葉ジェッツは今季いい補強をしています。
特に外国人はいいケミストリーがあるようです。
何でも10代から互いを知っているコンビがいるようで、もう一人の外国人選手も含め3人ともNBA級に近い実力があります。
開幕が楽しみですが、試合前や試合中の音楽でどんな演出、音楽がいいのかをかなり熱心に話しました。
私もいくつか演出や曲のアイデアを持ち込みました。
サッカーとは違う形、変にこうあるべきとか枠を決めないで、やっとことのない、やられたことのない演出などをやってみたいと思ってます。
ミーティングの位置づけは演出を決めるところまではないので、細部や何故そうするかの理由なども、これからのミーティングで説明できたらいいなと思っています。
サッカーとは競技の置かれている状況が違うので、それはそれで考え概があります。

 
前日、土曜日は家族とディズニーシーへ行きました。
8年間続いた水上ショー、レジェンド・オブ・ミシカが日曜日にフィナーレを迎えるので、その前に見納めしたいなと思って行ってきました。
日曜日は混むだろうし、天気も悪そうだったので土曜日にしました。
それでも十分混んでいましたけど。
少なくとも2万人は鑑賞している中、スケールの大きなショーはこれまでと同じ進行で同じようにレベルの高い内容でした。
私にとっては、ミシカは確かに好きなショーでしたが、それほど思い入れがあったわけでもありませんでした。
でも最後の鑑賞だと思うと、少し込み上げるものはありました。
それはミシカのショーそのものの力だったんだと思います。というかあらためてそう感じました。
惜しむ声は多々ありますが、終わることを受け入れる方がいいと思っています。
どんなことでも転換期は来ます。
8年も続いていて、ずっとパワーを失わないものであっても。
これは人も同じ。
自分にとっても。

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2014年2月19日 (水)

滅私奉公

先日の三菱戦で負傷した小野龍猛選手は全治2カ月の骨折と判明しました。
日本人ポイントゲッターである彼の離脱はとても大きいです。
彼の穴を埋めてくれる人にも出てきてほしいですが、チーム全員で穴を埋めなくてはいけません。

 
こういうときに千葉ジェッツのコミュニティ力が、本当にONEになれるかが試されるでしょう。

 
この2月ではいろんなことがあって、いろいろストレスが溜まる中で、自分をどう動かしていこうとか考えることがかなりありました。
ガマンすればいいや。割り切ってしまおうと自分を納得させることもかなりありました。
今もストレスはあります。

 
が、ここに来てもう一度わかったこともあります。
千葉ジェッツが好きで、力になりたい。
いいコミュニティにしたいということ。

 
ここ数週間で傷つくこともいくつもあり、いろんなものごとがネガティブで、そうでないと思えることもネガティブに見えるなどしています。
信じていたものが空っぽだったと気づかされたようなこともありました。
正直、それは堪えました。
今信じられているモノもきっとこうなるんだろうと思うくらい。
でも千葉ジェッツを応援したいという気持ちは変わりません。

 
私には愚直に応援することしかできません。
踊ることもできないし、バスケの知識もありません。
面倒くさい応援バカとしか思われてないかもしれません。
それでもいい。
それなら自分らしく最後まで頑張って、そこが自分の居場所じゃないと感じたときまで頑張るのが一番自分らしいかなと。
応援は滅私奉公。
自分が潰れようが、自分が応援したいと思うもののために。
それが原点だなと。

 
こういう苦境だからこそ、迷いを抑えて、渦帝らしさを発揮しなくては。
それで散るなら本望。

ジェッツのために自分らしさで頑張る!

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2014年1月11日 (土)

夢と目標

この週末はスポーツ観戦の予定もないので、何を書こうか迷っていた。
今週仕事はちょっと忙しくて時間と勝負というか、他人次第なことをどうにか自分で動かそうとしていたこともあって疲れてしまった。
今日は都内へ出掛けようかとと思ったが、医者行ったり、クリーニング屋行ったり、洗濯したり、本屋行ったりで午前中が終わり、午後は結局家にいた。
あとは、先日届いたRUSHのBDを家のオーディオシステム使って大袈裟に聴いて楽しんだ。

 
何となくな一日を過ごした中で、今日買ってきた雑誌の中に村上龍さんのコラムが載っていた。
近所の中学校で講演をしたときのことが書いてあった。
中学生からの質問で「どんな夢を持ったらいいのかわからない。」という質問が印象に残ったそうだ。
村上さんは「夢」という言葉に疑問を持とうという意味のことを言ったらしい。
世の中には何故か「夢を持って生きよう」というアナウンスが充満しているとして、
「夢や目標がないからといってがっかりすることも不安になることもない」
という話をしたそうだ。
夢が持てないから不安なのは何が原因なのか?ということを考えていたらしい。
夢が持てないから不安になるのは、それだけ余裕があるからではないか?とも書いてあったかな。
確かに納得できる部分はある。

 
そのコラムの話はこうという結論は書かれていなかったが、夢と目標という言葉はすごく印象に残った。
松坂大輔がメジャーリーグデビューしたときに「メジャーは夢ではなく目標でした」とコメントしたことも書いてあった。

 
すると「夢を持つ」ってことが、「夢を持っていない」と「目標を持っている」の間で何となく中途半端な感じにも見えてくる。
夢<<目標ってレベルなのかとは単純には言えないと思うけど、覚悟っていう点では違いがあるのかなあと。
叶って欲しいものと、達成させるものの違いなのかな。
先の村上さんの話からすると、それほど気にする違いでもない気もする。

 
今までの自分の人生でも目標とか夢って何だったんだろうな?と。
そういうもの持って生きてきたっけ?とか。
レイソルだったり、ヴォルティスのことだとか、今だったらジェッツだとか、仕事とか、家族とか...。
いろいろ考えてみたけどよくわからない。
それが夢だったのか目標だったのかもよくわからない。
それでも楽しく生きてこれたから、気にする必要もないのかもしれないけど。
そうなると村上さんの言うことにも通じる気がする。

 
要は堅苦しく考えるなということかも。
そうであるから「夢」や「目標」を楽しめるのかもしれないですね。
「夢」や「目標」は年齢や時期によって変わったりするし。

 
村上さんも「夢」や「目標」を達成した人個のコメントをマスコミがしきりに紹介することに疑問を感じているようだった。

 
ただ、強く「夢」や「目標」を意識して毎日頑張ることで毎日は充実するとは思うのです。
それを公言したり、約束したりしたらそれに責任は発生すると思う。
だから、それを目指す自分がどう見られているかは意識しなきゃいけなくなるかもしれないけど。
そういう姿を見られたいっていう欲望も人にはあると思うし、それはそれで人生としてアリだとは思う。
自分の人生を演出できるのは自分だけだしね。
それを面白くみせることも才能だとは思うし。
ただ、自分の人生としては薄っぺらい人生は嫌だなあと思う。
そう見られるのも嫌だ。
何かを目指していたり一生懸命であるというふうに常に見られていたいなあ。
それが濃すぎて引かれるくらいだとしても、そういう人の方が魅力的だよね。
自分であっても、他人であっても。

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