2006年7月23日 (日)

第1章 1997年 7.天皇杯(3)

060717_102801_1 1点返した。湧き上がる俺たちミクニサポ。ヨシヤ達を除いてだが。

勝負何処だ。俺はユウタロウとケイタを呼んだ。

「ここから先はサンダーランドで押しまくろう。流れは無視していい。残り30分やれる限りのことをしよう。」

ユウタロウとケイタは頷く。太鼓が力強く入る。

“カモガワー、ラーラーラー、カモガワー、ラーラーラー”懸命に声を出した。

試合はミクニにペースが傾いていた。いや、正確にはマルセーロに傾き始めていた。執拗な潰しに耐えていたマルセーロは次第に相手のチェックの速さに順応し始めていた。ボールを受ける位置も良くなり、前を向けるケースも増え、突破を仕掛けるケースが増えた。そのせいで相手守備陣が受けの姿勢になり始めていた。そして、その瞬間は来た。

85分、アソウが中盤でボールをキープし、ドリブルで掻き回す。マルセーロとセキネも連動して3人でディフェンスをひきつけた。その間に左サイドに流れたカタヤナギがフリースペースに走る。

アソウがアオバにパス。アオバはダイレクトで逆サイドのカタヤナギへロングパス。カタヤナギは左サイドからディフェンスとGKの間のエリアに低いクロスを入れた。これにマルセーロが飛び込んで右足で合わせた。

2-2。ついに同点。呆然とするマリノス選手とサポーター。俺達3人には夢のような展開だ。

「もう勝つしかネエ。」

俺は絶叫していた。壊れた状態になる3人。ヨシヤたちの表情など気にする余裕もない。

060717_115101_0001_1 試合はそのまま後半が終了。延長戦に入ることになった。

「断固勝つ!断固勝つ!」

俺は誰に向かって言うでもなく力説していた。ヨシヤと目が合う。

「もう、勝つしかネエだろ。なあ。」

「....。いや、なんていうか...。どうなっちゃうんだ、この試合。」

「勝つだろ、ウチが。展開からいってコッチだろ。」興奮気味の俺が答える。

「いや、そうだけど...。あ、でも勝つとショックでかいかも...。」独り言のようにヨシヤはブツブツつぶやく。

「そこにいろ。いいもの見せちゃる。」俺はヨシヤをいじめているのが楽しくなってきていた。仕上げはもちろん勝つことだ。 

延長戦が始まった。ミクニの勢いはとまらない。気持ちが受けになっているマリノスに積極的に仕掛けていく。

延長前半5分。左サイドのスペースにアソウのパスが出てカタヤナギが受けて上がっていく。前線のセキネとマルセーロがクロスランニングでポジションを入れ替えスペースを作ろうとする。ペナルティエリア左サイドに走るセキネ、イハラが付いていく。

マルセーロは逆にファーへ走った。オムラがそれに付くために動く。そのわずかな瞬間をついてマルセーロは逆にペナルティエリアのセンター方向に向きを変えた。カタヤナギが低いクロスをマルセーロに向けて放った。オムラも向きを変えてチェックにいく。

060717_135201_1 マルセーロは低いクロスをトラップ、いや右足で軽く蹴り上げ、自分に頭越しに真後ろに低いループを蹴った。そのまま180度反転してボールを追う。オムラは、突然マルセーロの頭越しに出てきたボールが、自分の頭上わずかな上を越えて背後に落ちるのを目で追ったためにバランスを崩した。なんとかこらえボールを追おうとしたときには、横をすり抜けていったマルセーロがボレーシュートを放つ瞬間だった。

ボールはカワグチの手の先を抜けてゴールに突き刺さった。

3-2。決勝ゴール。俺達は勝った。Jチームに勝った。

マルセーロが凄い顔をして俺達の前へ走ってきた。俺とユウタロウ、ケイタは考えるまでもなくグラウンドに飛び降りてマルセーロと抱き合った。他の選手やセキュリティ、関係ない観客まで混じって大混乱になる。しばらくしてセキュリティにはがされるようにして席に戻され混乱は収まったが、俺達は興奮したままだった。ユウタロウは興奮しすぎているのか目が血走っており、普段なら泣くところなのだが「ウオーッ」とわけのわからない声をあげていた。

ふっとまたヨシヤと目が合う。

「いいもん見れたろ。」

「信じられん。俺の中で何かが壊れた。」

「俺は何も壊れてないよ。どうせ、向こうのサポと義理ないんだろ。お前はもうミクニに人間なんだよ。勝ったことよろこべよ。」

「いや、そうなんだが..、なんでわかるんだ、そんなこと。」

「今日向こうの人間と一度も話してないだろ、サクたちも。何があったかは知らないけどさ。」

「まあね。でもチームは別なんでさ。」

手で顔を覆うヨシヤ。サクライたちも言葉が見つからない様子だった。

「いい恩返しになったって思えよ。」

こうして俺達ミクニサッカー部は劇的な勝利で4回戦に進出した。

060717_103701_0003_1 マリノスに勝利したことは地元でも知られることにはなった。さすがに社内での反響は大きく、普段サッカーに興味を示さない人からもいろいろ訊かれたとメグミは言っていた。

地元の反応では、青年会のニシウチさんの意気があがった。試合の翌日店に行くと興奮気味にこう言った。

「やったネエ。これでまた流れがくるよ。このまま優勝してくれないかなあ。」

が、夢みたいな話はいつまでも続くはずもなく、続く4回戦の名古屋グランパスエイト戦ではきっちりと押さえ込まれ、0-2で敗れた。

年末のサッカー部の納会に俺たち3人は特別に招待してもらえた。ヨシヤ達も呼びたかったので、セキネやマルセーロに頼んで彼らも参加させてもらえることになった。

納会は地元のホテルの宴会場で催された。部外者では俺たちの他、青年会のニシウチさんなども参加していた。

ヨシヤはビールをチビチビ飲みながら

「こんな会に参加したの初めてだよ。なんか緊張するな。」

「なんか場違いだな、俺たち」と二人して緊張して開場の隅で縮こまっていた。

その時、司会をしていたメグミが、

「続きまして、今期サッカー部を応援してくださったサポーターの方々にごあいさつをいただきます。クルセイドの菅野様、クルセイド横浜の藤井様、お願いいたします。」

「は...?」と俺。

「今、俺たちのこと呼ばなかった?」とヨシヤ。

「菅野様、藤井様」メグミが再度俺たちを呼ぶ。会場がざわつく。

「しかたない行くぞ。」と俺はヨシヤの手を引っ張って壇上にあがった。

壇上から開場を見下ろすと、選手達や招待客の視線を感じ、緊張が一気に高まった。

「ほ、本日はお招きいただき...」声が少し裏返った。

納会の後、俺はホテルのロビーでソファに腰掛けながら来年のことを思った。来期は新しいチームがJFLに昇格してくる。来期こそは優勝したい。でもその先は...、と答えの出ない自己問答を繰り返していた。

セキネたちと2次会に向かうメグミが俺を手招きしているのが見えた。俺は考えるのをやめて、立ち上がりメグミたちの方へ向かい歩き出した。

来年は日本が初めて出場するワールドカップがやってくる。サッカーに対する世間の目は変わり始めていた。

《第1章終わり》

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第1章 1997年 7.天皇杯(2)

白地に“かませ犬にはならないぞ”と大きく書かれた横断幕を前に俺は皆の方へ向き直り言った。

「どうよ。やっぱ意地みせねえとな。」

反応は様々だった。

「よくわかんないなあ。」とはユウタロウ。プロレスにも詳しくなくピンとこないらしい。

「おっ、いいねえ。」とはサクライ。彼はプロレス好きなのですぐネタ元がわかった。

ヨシヤはじーっと横断幕を見ていたが「ああ、いいんじゃない。」と味気ない感想を言った。

「何だ、その感想は?他に言うことないのか。大体お前今日やる気ないだろ。いいんだぞ、あっち(横浜のサポ席を指して)行って。」と不機嫌な俺が毒づく。

「いや、いいと思うよ。マジで。ていうか俺は早く今日が終わって欲しいよ。」とヨシヤ。

「おお、早く試合がしてえよ。マジで勝っちゃる。横浜なんか目じゃネエよ。」と俺。

ヨシヤは苦笑い。俺はカチンと来て

「お前、どっちかって言ったらミクニが負けたほうがマシと思ってんだろ。見とけよ。今日は幸せな気分にしてやるから。」と言ってやった。

ヨシヤの中途半端な態度は俺をますます本気にさせた。しかし、俺だけ本気になってもしょうがないわけで、結局俺の秘密兵器は期待していた効果をあげてくれなかった。

060717_103701_0001_1 俺は誰かマスコミが取材にくるかなとも淡く期待していたがマスコミどころか、 一般客の関心も引かなかったし、皆もこれ以上この横断幕について最後まで突っ込んでくれなかった。

マリノスの選手がアップに出てくる。すぐ後にミクニの選手達も出てきた。スタメンも発表になる。相手には日本代表の選手が大勢いる。GKカワグチ、DFイハラ、オムラ、MFナカムラ、FWジョウそしてスペイン代表でも活躍したサリナス。すげえメンバーだ。ユウタロウなどは名前がコールされるたびにオーッと声をあげて感心している。そんな場合じゃないのだが。

試合は13時ちょうどにキックオフ。試合開始から個で勝るマリノスが自在に攻めてきた。安易な縦パスは簡単に読まれてカットされ、すぐさまカウンターの脅威に晒されることになった。

7分、ナカムラのスルーパスに反応したジョウがDFラインの裏を取る。クゲが慌てて後ろからチャージ。ペナルティエリアの中だった。

PKをナカムラが落ち着いて決める。0-1。先制された。

15分、サイドの裏を突かれクロスがあがる。そしてサリナスのヘッド。カワシマがパンチングでセーブ。

24分、ゴール正面20mほどでファウルを与える。ナカムラのフリーキック。綺麗な弧を描いたボールはクロスバーに当たって外れた。カワシマは動けず。

060717_103701_0002_1 と、ここまで攻められっぱなしのミクニ。攻撃陣はというと効果的なパスが前線 に通らず、やっとにマルセーロに渡っても、激しいチェックに遭いマルセーロは何度も転倒させられ、またファウルを痛めつけられてもファウルを取ってもらえず、マルセーロはフラストレーションを貯めるばかりとなり、それが強引なプレーを呼び、また倒されるの繰り返しとなっていた。セキネも同様で、前半はいいとこなしの状態だった。

それでも1失点にしのいでいたが、前半終了直前、CKからオムラに決められ2点目を決められてしまった。直後に前半終了。

「思っていた以上にきついな。」俺はヨシヤにぼやいた。

「俺も正直ここまで通用しないとは思わなかったよ。やっぱ違うんだな。」

「マルセーロなんかオムラにつぶされまくってた。イライラして無理に仕掛けるからなおやられてましたね。」とケイタ。

ミクニゴール裏の雰囲気は最悪だった。俺は横断幕を見ながら“やっぱりかませ犬になっちゃうのかな。”と思った。が、すぐに気を取り直すことにした。

「このまま終わらせないように応援しヨ。絶対やれるって。頑張ってコ。」と俺はケイタやユウタロウに向かって話しかける。無言で頷く二人。でも、この言葉は何より俺が俺自身に向かって話しかけている言葉だった。妙な横断幕を作ったせいで負けることへの恐怖心が自分を萎縮させているのに俺は気づいていた。

後半が始まった。俺はしばらくして気づいたがミクニはフォーメーションを変えてきた。

060717_115101_1 トップ下の位置にカタヤナギを左サイドから移してきた。アソウが少し下がり目 の位置に入り、サイドハーフは右のアオバだけになった。トップ下のカタヤナギがドリブルで中央をかき回し始めると試合は、2点リードしているマリノスが慎重に入ったこともあり互角の展開に落ち着いてきた。しかし肝心な敵ゴール前ではマルセーロがオムラの潰しに遭って何もできずにいた。

だが目に見えにくいところで変化が出始めていた。そしてそれがチャンスを呼んだ。

60分、ドリブルで進入してきたカタヤナギからのパスがマルセーロに出る。マルセーロはマーカーのオムラの位置をチラッと見て、ワンタッチでボールの向きを変え抜きにかかる。逆を取られたオムラが思わずファウル。ゴール前でフリーキックを得た。

キッカーはカタヤナギ。蹴られたボールは綺麗な弧を描いてゴール枠内に向かった。カワグチが横っ飛びで弾く。が、ゴール前にこぼれたボールにセキネが詰めた。

1-2。1点差に詰め寄る待望のゴール。反撃が始まった。

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2006年6月24日 (土)

第1章 1997年 7.天皇杯(1)

 水曜の夕方、仕事から帰った俺は家にもどりくつろいでいた。天皇杯のマリノス戦が週末に近づいてきた。でも未だに試合用にネタは思い浮かばないままだ。皆を驚かせたいと欲を欠き、全部自分一人で準備して当日出そうと考えていたのが裏目に出ている。あせりは募るばかりだ。
 なんとなしにヨシヤに電話を掛ける。マリノス戦には横浜組も行くとのことだった。
「今週末どうすんの?いくって訊いたけど。」
「おお、行くよ。行くんだけどさ。」なんだかヨシヤの歯切れが悪い。
「なんだよ。心配ごとでもあんのか?」
「それなんだけど、どっち応援したらいいか、みんなで揉めてるんだよ。」
「揉めるって何だよ。何で揉めるの...。もしかして、お前らマリノスのサポなの。」
無言のヨシヤ。図星らしい。
「なんだよ。それじゃどっちにしろ行くって言うよな。ま、じっくり考えてくれよ。いいよ、向こう行っても。」
と珍しくこっちの立場が上なので、あえて突き放すようなことを言ってみる。
「まいったなあ。どうしよ。」とヨシヤ。真面目に困っている。
試合用のネタを相談しようと思ったが、それどこじゃないようだ。
「ま、俺には関係ないから。じゃ当日逃げないで来いよ。じゃあな。」と電話を切った。

 ヨシヤの悩みはともかく、こっちの悩みも解決を急がなくてはならない。さりとて何かアイディアは無いものかと考えた俺は本屋に何かネタはないか出かけた。
 家の近くのニシウチ書店のウィンドウにはミクニサッカー部のJFLリーグ戦ポスターが貼ってある。マルセーロとセキネのプレー中の写真が使われている。
 企業のサッカー部でありながら、このポスターを街中で結構見かける。理由は街の青年会の人達が中心になって貼っているからだ。青年会は一時ミクニサッカー部をプロ化してJリーグを目指そうという運動をしていた。ミクニが乗り気でなかったことや、地元の熱気が盛り上がらなかったこともあって、運動自体は萎んでしまったが、それでもポスター貼り等の試合告知活動は生き残って続いている。それだけでもありがたい話ではある。
 プロ化してJリーグを目指すことについては、最終戦の後の打ちあげでヨシヤ達に言ったが、Jリーグ以外の道もあるかなと俺は考えている。何も無理してJリーグ行かなくてもというのが本音だ。今の状況を見てもそんなこと考えられないということもある。
 だが、ユウタロウのJリーグへの思いは、あの日以降俺の中でも波紋となっている。もしかして、自分も本当はJリーグへミクニサッカー部をあげたいと思っているのに、ちょっと大人になったせいで、分別の良い大人のふりをして別の道もあるなどと言っているのではないかと。ヨシヤにも訊かれたが俺の本音はどうなのよってとこが、俺自身には分からなかった。
 店に入ると、店主のニシウチさんに挨拶した。彼は青年会の一員だ。
「よう、タクマくん。鹿児島に行くの?」
「ええ、格安のツアー見つけたんで。」
「いいなあ、俺も行きたいよ。」
「青年会の活動はどうなっているんですか?」
「Jリーグの話?今は休止中ってとこかな。でもあきらめてないよ。」ニシウチさんは強気だ。
 俺達が話しているところへ、他のお客が雑誌を差し出した。それはプロレスの週刊誌だった。表紙にはプロレスラーの長州力が載っていた。
 俺はハッとして、その客が買った雑誌を棚から手に取った。しばらく考え込んだ俺は“これだ!”と思いついた。
 その後、俺は10メートルほどの白い布を購入し横断幕の作成に取り掛かった。昼間は作成できないので家の中で、夜、作成するしかない。それでは作成にペンキは使えないので、墨汁を使うことにした。

 土曜日の朝、俺とユウタロウ、ケイタの3人は羽田空港に出発ロビーにいた。そこへヨシヤとサクライ、ムラタ、タケイの4人がやってきた。ヨシヤは平常心のような表情を浮かべているが、心の中が穏やかでないことが俺にはわかった。
「よお、今日はどっちで応援するんだよ。」俺はいきなり核心を突く質問をわざとぶつける。質問するとき、笑いをこらえられず、吹き出しながら訊いた。
「その質問にはノーコメントです。」とヨシヤ。
サクライたちも、この質問は訊かれたくないようだ。
「まあ、どっちでもいいよ。今日俺は秘密のネタを用意してきたから。イヤでも試合盛り上げてあげるから。」と俺。
「何、秘密のネタって?」
「秘密は秘密だって。試合のとき見せてあげるから。」
不安そうな表情をヨシヤはした。

 鹿児島、鴨池競技場。バックスタンドに噴煙をあげる桜島が見える。俺達はアウェー側のゴール裏に陣取った。結局、ヨシヤ達も一緒に付いてきた。向こうに行かないって事は向こうのサポとは今は縁がないのか。よくわからんが。
「それじゃ、秘密ネタの横断幕貼るから。テレビ中継も意識して、バックスタンドのコーナー側に貼ろう。手伝ってくれ。」俺はユウタロウたちにもまだ見せていない特製横断幕をゴール裏エリアのフェンスのバックスタンドに一番近いところに広げた。広げた瞬間、胸がドキドキした。その横断幕には白地に黒い文字でこう大きく書かれていた。
“かませ犬にはならねえぞ”

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2006年5月 2日 (火)

第1章 1997年 6.本音(3)

シーズンは終えた後は天皇杯サッカーがすぐに始まった。1回戦、2回戦は下のリーグのチームが相手とあって順調に勝ち進み、来週、J1の横浜マリノスと対戦することとなった。場所は鹿児島の鴨池陸上競技場だ。

俺は、クルセイド正式発足以来、初のJチームとの公式戦ということもあって、一杯食わせたいと思った。何かネタを特別に用意したい。だが、「じゃ何がいいか?」と考えてもなかなか思いつかなかった。

 

週末、俺は気分転換に新宿まで趣味の輸入CDを買いに出かけた。特に西新宿界隈は輸入ハードロックCDのメッカなのだ。

新宿駅を降りて大久保方面へ向かう途中に、その手のCDを専門に扱う店がいくつもあるエリアに行き着く。俺は以前、CDを買ったことがある店で、お気に入りの70年代に活動していたバンドのCDを物色することにした。

店に入り、ところ狭しと並べられた棚からお目当てのバンドのCDをチェックしていたときだった。誰かが不意に俺の肩を叩いた。振り返ると、そこには人懐こい笑顔をしたマルセーロの顔があった。俺は驚きのあまりのけぞり、目の前にいるラテン系の顔を見直したが、そこに立っていたのはやはりマルセーロだった。心臓が飛び出しそうなほど動揺した。

マルセーロは赤いベレー帽を被り、黒の革ジャンに、薄い迷彩ガラのパンツとブーツを履いていた。とてもサッカー選手とは思えない格好で、顔立ちや髪形もあってパッと見はチェ・ゲバラにソックリだった。

「なんでここにいるの?」俺はドキドキしながら尋ねた。

「買い物。CD買いにキタノ。タクマもなんでいるの?」

「いや..、俺もCD買いにきたんだけど。なんでここ知ってんの?どうやって来たの?」

「ムトウに、この街行けばいろいろあるって聞いた。電車の行き方も教えてくれた。」ムトウとはミクニの選手で、ハードロックの趣味を持っている。俺も趣味が合うので時々その手の会話をしている。

「一人で来たの?よく来れたね。」

「ノリカエ1回だけだったから。」とマルセーロ。確かに安房鴨川から特急に乗れば、東京で乗り換えるだけだ。

俺は、さすが最大のサッカー選手輸出国の人だけあるな。すげえ順応性というか、バイタリティというか、これがあるから世界で成功するのかと思った。日本語も来日当初から驚くほど上達している。

「でもハードロック好きなんて初めて知ったよ。ラテンじゃないんだ。」

「ブラジルにもメタルバンドいるの知ってるでしょ。ボクはラテンよりロックが好き。」とマルセーロ。

「知ってるよ。でもここまで買いに来るのは、かなりマニアなファンだよ。千葉とかでも輸入CDは買えるでしょ。」

「一度行ったけど、欲しいもの無かった。だからここまで来た。」

「で、それは買えたの。」

「ウン、隣の店で買えたよ。コレ。」といってディパックの中からCDを取り出して見せた。それは俺も名前を知らないようなマニアックなバンドのCDだった。

その後、俺はその店で何枚かCDを買い、二人で近くのコーヒーショップで休息をとった。マルセーロとこんなに親しく話す機会は初めてだったので、いろいろ訊いてみることにした。日本人選手はともかくブラジル人選手の日本観などはとても興味があった。

「鴨川どう?」

「大好き。ブラジルより平和だし、街の人もいい人ばかり。ずっといたい。」

「鴨川にいて退屈しない?ここ(新宿)とは全然違うでしょ。」

「(首を横に振り)住むには鴨川みたいな街がいい。ここはウルサイ。」

「ハードロック聴く人がうるさいってのもよくわかんないけど、鴨川そんなに好きなんだ。確かにブラジルと比べると平和かもね。」

「ウン、家族も呼びたい。タクマ、鴨川キライ?」

「いや、生まれた街だし好きだよ。でもサッカー選手だったら、これからいろいろ移籍して、いろんな街に行って、有名になるんでしょ。」

「(首を横に振り)イヤ、ならなくていい。ボクはずっとサッカーはしない。」

「エッ、なんで?」

「父さんの会社ヤルと思う。父さん、ブラジルでミクニの食べ物売ってる。」

「そんなこと初めて知ったよ。そうなんだ?」

俺は最初こそ丁寧に単語を選んで話しかけていたが、マルセーロの流暢な日本語と、話の内容に飲まれて、無意識に日本人同士で話す感覚になっていった。

「父さん、ボクのマネージャーもしてる。前のチームやめるとき、ミクニのシャチョー(社長)にボクを教えた。」

「そうだったんだ、でもマルセーロはどうなの?サッカーで有名になりたくないの?代表とか入りたくないの?」

「ムリムリ。父さん、ブラジルでは少し金持ち。サッカーで有名にならなくてもダイジョブ。」

「へえ、でもちょっとがっかりだな。サッカー上手いのに向上心ナシでやってるなんて。応援してるのに。」

「コウジョウシン?」

「うん、向上心。なんだろ..、上手くなりたい、有名になりたいって気持ちでサッカーやることかな。」ちょっと違うかな、と思った俺はあらためて

「やっぱサッカー好きでしょ。サッカーずっとやりたいでしょ?」と訊いた。

「う~ん。」マルセーロは真剣な顔で考えこみ始めた。

俺は言いすぎたかなと思ったので

「まあ、いいよ。試合でがんばってくれれば、鴨川にずっといてくれればウレシイし。」

と話しを切って、質問を変えた。

「ところでさ、その服どこで買ったの?」

「ああコレ、原宿で買ったんだよ。」とあっさりと驚くべき返事をした。

「原宿...?原宿知ってんの?」唖然とした。

「ウン、たまに行くよ。」とアイスコーヒーを飲みながら、マルセーロは平然と答えた。

俺は、サッカーで日本がブラジルを越える日は永遠にこないと思った。

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2006年4月22日 (土)

第1章 1997年 6.本音(2)

突然大声でJ昇格の夢を語ったユウタロウに皆びっくりした。

ユウタロウは突然立ち上がり喋り続けた。

「俺はいつもミクニでJに行きたいって思いながら太鼓叩いてる。確かに簡単じゃないけど、俺は鴨川って街が好きだし、この街がもっともっと盛り上がったらいいなと思ってる。ヨーロッパとかには鴨川より小さい街あるけど、そういう街でもサッカーで盛り上がってるところがあるし、だから鴨川でだって出来ると思う。ミクニのサッカー観たことない人が街にまだ一杯いるけど、観てもらえればサッカーの楽しさがわかってもらえると思う。鴨川をサッカーの街に出来る思う。」

ユウタロウは一気にまくし立てた。呆然とする俺達。

「まあ、ユウタロウくんもさぁ、座ってさ。」とヨシヤがユウタロウをなだめて座らせた。

「うん、でもJを目標にするのは決して夢で終わる話じゃないよ。だってJFLのすぐ上はJなんだし。もう千葉には2チームあるけど、何チームあったって言い訳だしさ。」

ユウタロウは興奮していたが、促されて座った。目が涙目になっている。ほどなくして嗚咽を漏らして泣き始めた。

「俺はJリーグ行く..。Jリーグ...。」

皆がシーンとするなか、ユウタロウの嗚咽だけが聞こえていた。俺はメグミに目配せし、そしてヨシヤにそっと耳打ちした。メグミがユウタロウの傍へ移動し、なだめようとする。

「とりあえず、ここは閉めよう。ユウタロウ送ってから、俺のウチで続きやろう。」

ヨシヤは頷く。俺はケイタ方を向き

「横浜組、俺の家まで送ってくれる?鍵渡すから。」

「わかりました。」俺はケイタに家の鍵を渡した。

その後、ユウタロウはすぐに眠ってしまったので、メグミと二人でユウタロウを家まで送り、そして自分のマンションへ戻った。

家では既にヨシヤ達が盛り上がっていた。

「何いきなり人のウチで盛り上がってんだよ。あっ、どっから写真出してきたんだよ。」

床にはアルバムが転がっており、俺とメグミの写真が貼ってあるページが広げられていた。

「オマエ、馬鹿正直に彼女との写真アルバムに飾っておくなよ。観てくれって言わんばかりジャン。」とヨシヤ。

「ねえ、これも面白いよ」とムラタが別のアルバムを持って奥の部屋から戻ってきた。

「ユウタロウ、大丈夫だった?」とヨシヤが訊いた。

俺は台所で、帰る途中買ったカットフルーツを皿に盛っていた。

「ああ、たまに飲みすぎて寝ることあるんだよ。大丈夫、アイツは。」

俺はひと呼吸置いてから付け加えた。

「でも、アイツがあんなにJリーグ意識していたなんて初めて知ったよ。あれがアイツの本音なんだな。」

「熱く語ってたな。」

「正直、とまどったよ。あんなに泣くほどJリーグ行きたがってるなんて思わなかったからさ。」

「試合の時も俺達のこと、かなり意識してたしな。」

「随分硬くなってるなと思ったけど、ヨシヤたちがJのサポだって知ってるから負けたくなかったのかもしれないな。」

「でも俺がお前らの立場ならJに行きたいって言うと思うけどな。彼みたいに。そっちの方が普通かなって思うんだけど、オマエの本音はどうなのよ。」

「どうって?J行きたくないかって事?」ビールを一口飲みながら頷くヨシヤ。

俺はしばらく考えてから

「わかんねえ。やっぱりその前にもっと盛り上げたいと思うし。でもこの街でJ行くことの難しさが大人になると冷静に見えてきちゃうから、そのことから目を背けてるのかな。」と自分にいいきかせるように言い

「まあ、俺達に聞かれてもそればっかりは判らないな。」

俺はフルーツを盛った皿をタケイに渡して、また台所へ戻った。

「そういえばさ。」俺は次にスティックをグラスに盛り付けながら、

「オマエ、彼女と何年付き合ってんの。」とクミコの方を軽く指しながらヨシヤに訊いた。

「何年かな?う~ん、かなり前からの知り合いでね。付き合い始めて..、5年かな?」

クミコは、サクライがメグミをからかっている隣で笑っている。

「結構長いな。付き合い始めたきっかけって何?」

「あいつの車借りたんだけど、ぶつけちゃってね。金なくて修理代払えなかったんだけど、その時肩代わりしてくれたんだよね。」

「自分の車なのに?」

「うん。それから付き合い始めたのかな。」苦笑いするヨシヤ。

「で、金は返したのかよ。」

「まだ..。」

「大丈夫なのか?」俺はスティックを盛ったグラスを手に尋ねた。

「返せなかったら結婚する。」

「お、言ったね。いつまでに返さなきゃいけないんだよ。」

「決まってない。」とぼけるヨシヤ。

「なんだそりゃ。」

「それはそうと、オマエとあの子はどうなの」と唐突にメグミのことを訊いてきた。ヨシヤが反撃にでる。

「付き合って2年かな。」

「いや、そうじゃなくて、結婚は?」

「まだそこまで考えてないけど。」俺は戸惑いながら答えた

「考えておいたほうがいいかもよ。」とニヤッと笑いながら返すヨシヤ。

俺は、サクライにからかわれて顔を赤くしながら談笑しているメグミを見て、少しシリアスになった。

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2006年2月20日 (月)

第1章 1997年 6.本音(1)

長いシーズンも今日で終わりだ。世間が日本のワールドカップ初出場に沸いている陰であまり注目を浴びずJFLは97年のシーズンを終えようとしている。だが、俺達は最後まで自分達の戦場で真摯に戦い、1つでもいい成績を求め戦うだけだ。

ここまでの我らがミクニサッカー部の成績は13勝7敗1分で4位。今日勝てば他の試合結果によっては3位で終えることができる可能性が残っている。最終戦は北越FC戦。前回は負けているが、本来ならウチの方が力は上だ。断固として勝つしかない。

そして、この試合はクルセイド連合軍(鴨川と横浜)の初陣となる。俺自身は既にアウェーゲームで彼らと一緒にやっていたが、ユウタロウとケイタは初めてだった。

「少し、太鼓遅くない?」とサクライ。

ユウタロウとサクライは太鼓のリズムを合わせるため開場前の空き時間にリハーサルをしていた。

「そうかな。いつもこの速さなんだけど。」とユウタロウ。

実は太鼓のリズムが違うとは俺から聞かされていたのだが、直接遅いと指摘されてはプライドもあって素直に認められなかった。

「サクちゃん。本家の方が正式なリズムだから、ユウタロウくんに合わせて。」ヨシヤがやんわりとそれでいてきっぱりと指示をした。サクライは”ワカッタ“と軽く手を挙げて答えた。

 

殆どが会ったばかり。お互いに緊張しているのが見えた。特に俺が緊張していて“上手くやれるだろうか”ということが頭から離れず、試合に気持ちを向けられないでいた。

ヨシヤが近寄ってきてささやいた。

「俺たちの方で合わせるからさ。タクマくんは自分のことに集中していいヨ。」

「うん..。わかった。そっちは頼むワ。」俺は言った直後、自分でも驚くくらい素直にヨシヤに答えた。逆に言うと、それだけ俺は頭が回りきらなくて、だれかに任せたくなっていたということだった。

「試合が始まれば自然と合いますよ。さっきのユウタロウの太鼓もいつもより少し遅かったじゃないですか。始まれば細かいこと気にしなくなるから自然と合ってきますよ。」ユニホームシャツを着ようとしていたケイタが横から話しかけてきた。

「そう?遅かった?」と俺。

「少し。」とケイタ。

俺はよく見てるもんだなあと感心した。

これまでもよくあったが、ケイタの冷静な視野に感心させられる。俺は少し落ち着こうと自分に言い聞かせた。何とか試合に気持ちを切り替えられそうだ。

試合はミクニのペースで進む。前回とはモチベーションもコンディションも違うミクニが圧倒的に支配して攻める展開となった。前半5分にセキネのゴールで先制。さらに20分過ぎにMFヤナセのミドルで2-0。35分過ぎにマルセーロも決めて3-0と順調に加点していった。

さて、肝心の合同応援だが、サクライが一歩引いて合わせてくれたおかげで太鼓のテンポは問題なかった。ただユウタロウが少し神経質になっているのに気づいたので、俺はコールをリードしながら体の上下の動きでリズムも指示するように気を使った。幸いにも順調にリードが広がったことでユウタロウも気が楽になったらしく、気になることは前半終盤にはなくなっていった。

前半は3-0で終了。

ハーフタイム。ユウタロウはサクライと自分から太鼓について確認していた。俺はこれで試合に集中できると確信した。ある意味今日の目標は達成したといってよかった。

後半もミクニペース。パスの交換が面白いように通り、チャンスの山ができた。52分再びセキネ。62分、コーナーキックからDFイトウが決めて5-0。71分マルセーロがクロスにヘッドで合わせ6-0。ゴール裏はお祭り騒ぎの様相を呈した。試合はこの後攻め疲れもあって膠着し、結局6-0で終わった。

歓喜に沸く連合軍。俺にとってちょっとだけ残念だったのは、この勝利を自慢する相手サポーターは最終戦にも拘わらず、誰一人来ていないことだった。

試合後、ドリンクを回収しにきたメグミから3位のチームが勝ったという情報を貰った。結果、最終順位は4位で俺達の今シーズンは終わった。セキネがゴールランク3位となった。

試合後、鴨川組(+メグミ)、横浜組(+クミコ)でシーズン終了の打ち上げを行った。試合が大勝に終わったこともあり、にぎやかな打ち上げとなった。

ユウタロウはストレスから解消されたらしく、かなりのハイペースで何杯ものジョッキを空にしてたので、既に顔は真っ赤になっていた。

サクライは飲み会で本領を発揮し、メグミを相手に冗談を連発して笑いを取っていた。

「そういえば、Jリーグ目指してんの?ミクニは。」

サクライが唐突に訊いた。一瞬、鴨川組は固まったが、俺は一口ウーロン茶を飲んでから答えた。

「俺はそんなに意識していない。いつかはJリーグって考えないわけじゃないけど、そうじゃない道もあるかなと思う。今はそれを考える前にやることもあるし。」

ケイタも頷く。

「今はもっと観客が増えてくれたらなと思う。今のスタジアムも悪くないけど観に来て貰うには不便だし、もっと子供に観てもらいたいから移転もありかなと僕は思うんですよ。」

移転なんて言葉が唐突に出て俺は少し驚いた。

「もちろん、鴨川市内ですよ。」

とケイタは付け加える。

 すると、顔を真っ赤にして眠そうにしていたユウタロウが突然大声で言った。

「俺は行きたいよ。Jリーグにあがって鴨川をサッカーで盛り上げたい。地元の誇りを作りたい。」

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2006年1月 7日 (土)

第1章 1997年 5.クルセイド横浜(3)

13時キックオフ。タクマ達がいつも使用しているサンダーランドの曲のリズムが、サクライの叩くリズムから放たれた。

テンポはユウタロウのそれより少し速かったが、逆に原曲はそのリズムに近かったし、ヨシヤ達の感覚ではむしろ普通だった。Jチームの応援経験がある彼らには速いテンポのほうがノリやすかった。

 

この試合のためにヨシヤは、この曲が入っているCDをいろいろなサッカーグッズショップを探し回って入手した。この他にもタクマ達が使っている曲を、記憶を頼りに思い出しサクライ達に教えて準備してきた。

それはホームと同じ応援(応援歌)の中で選手達に戦わせてあげたいという気持ちからだった。違う応援パターンを作ることもできたが、あえてそうしなかった。もちろんタクマ達の代わりになりたいという気持ちもあった。

ただ、ゴール時用にだけは自分達で曲を用意してきた。ヨシヤはこれを歌い勝利する瞬間をイメージした。甘い考えではあったが今日はヤレるという確信を感じていた。がそれは突き崩される。

FWのスタメンはセキネとマルセーロ。スタメンでは初コンビだ。相手は前回対戦時にはホームで0-2と敗れているホイールズ。簡単に勝てる相手ではない。このコンビは一種の賭けのように思われた。

試合開始からホイールズペースで試合は進んだ。そして15分過ぎ、右サイドを突破されファーサイドに上げられたクロスにフリーで合わせられ失点した。0-1。

20分過ぎ、ディフェンスライン裏にパスを通される。危うくGKと1対1になる場面となり、DFのヒラオカが相手FWを後ろから引っ張って倒してしまう。一発レッド。早くも危機的状況に見舞われた。

ヨシヤ達が試合前にした“勝利する”という決意は一瞬曇ったが、ヨシヤはサクライに太鼓を叩きつづけろと指示した。

しかし不運は三度訪れた。30分前、アソウがタックルを受けて悶絶する。その痛がりは尋常ではなく、アソウはそのまま担架で運ばれてしまう。チームは攻守の中心まで失ってしまった。

「骨折かもな。」とヨシヤはつぶやいた。

「ヤバイですね。」とサクライ。さすがに応援は止まった。

ヨシヤはしばらくして気を取り直し、

「まだ試合は終わっていない。続けよう、サクちゃん。」とサクライにリズムを求めた。ここで引き下がったら何のために来たのか判らなくなってしまうとヨシヤ達は応援を再開した。

サクライが再度リズムを刻む。ヨシヤ達に気持ちの余裕や、甘い気持ちはなくなっていたが、このことが逆に気持ちを引き締め、応援はさらにタイトになり始めていた。

チームもこの尋常ではない危機的状況にもかかわらず、まだ攻める気持ちを失っていなかった。逆に中盤の運動量が増え始め、早いチェックから少しづつチャンスを作り始める。

そして前半終了直前、カタヤナギが左サイドを巧みに突破してクロスをあげる。マルセーロがヘッドでゴール前に落とすとセキネがボレーでゴールに叩き込んだ。同点。

 

ヨシヤ達は劇的な展開に興奮して一時我を忘れ歓喜したが、すぐに落ち着いて用意したゴールソングを歌い始めた。それはイタリアのインテルミラノの古いチームソング「FORZA INTER」を模したものだった。ヨシヤ達は待望のゴールを貰い、ゴールソングを歌えた事で気持ちが乗ってきた。

 

後半、ミクニは数的不利を感じさせない積極的な戦い方をする。高い位置で早いチェックを繰り返し、ボールを奪うとカタヤナギに預けてサイドからチャンスメークを徹底した。そして、75分、カタヤナギのパスを中央でマルセーロがワンタッチでDF裏スペースへはたく。そこにセキネが走りこみシュートを放った。 

2-1、逆転。

再び流れるゴールソング。ヨシヤはグッと拳を握った。

しかし、まだ試合は動く。

終了直前、相手のコーナーキックからこぼれ球を押し込まれ同点。2-2。

そして試合はそのまま延長戦に突入した。

ヨシヤ達は“絶対勝つ”という気持ちを持って応援を続けた。そして、延長前半10分、クゲからのロングボールをマルセーロが相手DFと競り合いながらドリブルで持ち込み、最後はGKの正面まで持ち込んでから豪快にVゴールを決めた。

3-2。勝利!

試合終了の挨拶後、ヨシヤ達のゴールソングが響く中、選手達が走って挨拶に来た。マルセーロは曲のテンポに合わせ手を叩き飛び跳ねていた。

ヨシヤは“今日のことは一生忘れないだろうな”と思った。

「来てよかったね。」とクミコが話しかけてきた。ウンウンと子供のように何度もヨシヤは頷いていた。目が少しだけ潤んだ。

「いやあ、凄い試合だったね。退場、ケガ、逆転、終了直前に失点、そしてVゴールと何でもありだったね。」とヨシヤは試合を振り返った。今更ながら言えることだが、試合中にはこんな感じで振り返れる余裕は無かった。が今他人事のように言える程、充足感でヨシヤ達は満たされていた。

「いやぁ、ひさびさにここまで真剣にやったね。」とサクライ。彼は太鼓の叩きすぎで手の皮がマレットとの摩擦でめくれてしまい、絆創膏を貼っている最中だったが表情は明るかった。

「こんな凄い試合なのに、向こうの人達無しで俺達だけで応援して勝っちゃうなんて..。」とムラタがにやけた表情でつぶやく。

「いや、俺達のおこないが良いせいでしょ。これでいい報告ができるってモンさね。」とヨシヤは皮肉っぽく言った。“いや、本当にいい報告ができるぞ。でも100パーセント素直に喜ぶかな”と考えた。初陣にしては贅沢な展開すぎたことも確かだった。

後片付けをした後、ヨシヤ達は選手達のバスへ向かった。

「イエーイ」

マルセーロはと大声を上げながら興奮状態で現れ、ヨシヤ達とハイタッチし、そしてクミコに抱きついた。悲鳴をあげるクミコ。お構いなしでマルセーロはまたヨシヤ達とハイタッチを繰り返した。

「マタシアイキテネー!ヨロシクー!」

と叫びながらハイテンションなマルセーロはバスの中に消えていった。

セキネとヨシヤはその光景を笑いながら見ていた。

「これからも俺達試合に行きますから、タクマ達のためにも頑張ってください。」

「ウン、よろしく。これからも頑張るんでまた来てください。」とセキネは答え、バスに乗り込んだ。選手達が窓から手を振りながらバスは去っていった。

ヨシヤ達の初陣は終わった。

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2005年12月10日 (土)

第1章 1997年 5.クルセイド横浜(2)

 試合当日、ヨシヤは4人の同乗者を乗せワゴン車で岩手県宮古市の運動公園に到着した。そこは宮古湾の最も奥に面した海のすぐそばの場所にあった。

 ヨシヤは駐車場に車を入れた。 “それにしてもJFLの会場って遠いンだなあ。”とヨシヤは実感した。

 ここに来るまでに2度コンビニで道を確認するはめになっていた。Jチームの応援で何度も遠地に行っているヨシヤでさえもここは遠く感じられた。競技場周辺はガランとしていて、Jリーグでは試合当日の競技場周辺にいる開場待ちの人はだれもいなかった。会場スタッフすらも見当たらなかった。

“本当にここでいいのだろうか?”とヨシヤは辺りを見渡した。

「ここで間違いないんじゃないですか。」と車に同乗していた一人の青年が話しかけた。

「オウ、間違いないとは思うンだけど...。とりあえずメイン行ってみようか、サクちゃん。」と話しかけてきたサクライという青年にヨシヤは答えた。

 

 ヨシヤはこの間のフジマ戦の後、一念発起してある行動を起こしていた。彼は自分が普段応援しているJチームのサポ仲間の何人かに電話を入れ、ミクニサッカー部の応援をしないかと持ちかけていたのだった。

 声を掛けたのはJFLにも興味があって、所属するサポーターグループのしがらみのない友人に限った。サポーターグループのしがらみがあると他のチームの応援に刈りだすために、グループのリーダー達にクレームをつけられる可能性が高かった。
 遠地にも行くので時間的にも金銭的にも負担をお願いすることになるので比較的金銭にも余裕がある人かも考慮した。

 この厳しい条件に合致したのは3人だけだったが、幸いにも3人とも快く引き受けてくれた。3人とも以前からヨシヤが一緒に何かやりたいと思っていた友人達だったので、この顔ぶれはヨシヤにとって理想的なメンツだった。こうして、サクライ、ムラタ、タケイ、そしてヨシヤの4人のグループが今日ミクニサッカー部の応援をすることになった。

 

 ヨシヤが連れてきたもう一人は彼女のクミコだった。Jチームの他にJFLのミクニサッカー部の応援まで始めることを聞かされたクミコはヨシヤのサッカー馬鹿ぶりに最初は呆れもしたが、その熱意が尋常でないことを感じ取り黙って好きにやらせることにした。クミコも他の3人とも旧知の仲だった。

 

  ヨシヤ達は競技場のメインスタンド裏の正面入口まで来た。だが誰もいない。メインスタンドへの入口もシャッターが閉じたままだった。ただ対戦カードと試合開始時間を書いたボードは置いてあったのでここで試合することだけは間違いないようだった。

 ヨシヤは「オイオイ、ずいぶんと遠方からの客に冷たいトコだな。」と冗談を言った。

 皆が苦笑いし、ムラタが「向こう行ってみましょう。」と正面入口の先を指さした。そのまま競技場沿いに進むと、マラソンゲートに辿り着いた。そこは競技場の中が覗け、グラウンドでは今日の対戦相手“みちのくホイールズ”の選手達がアップをしていた。

「スイマセーン、入り口どこですかあ?」とヨシヤは大声で問いかけた。

ストレッチをしていた選手の一人が「正面入口ですぅ。でも開場は12時なのでそれまでまってくださあぃ。と大声で答えた。

12時までには1時間以上ある。そのまま競技場を一周したがホイールズサポーターもまだ一人も来ていなかった。

「スイブンのんびりしてるんだなぁ、JFLってとこは。」とタケイが感心したように皮肉を言うと、

「こんなもんじゃないか。日本リーグ時代みただね。」とサクライ。

「荷物持って正面行きましょう。選手達ももうすぐ来ますよ。アイサツしましょうよ。」とタケイがヨシヤに提案した。

 ヨシヤ達は太鼓や、突貫で作成した横断幕を持って正面入口へ戻った。正面入口に着くと、ちょうどミクニサッカー部のバスが到着したところだった。

 ヨシヤ達は急いで横断幕を広げ、バスの乗車口のすぐ前に立って選手がでてくるのを待った。サクライは太鼓を担ぎ、マレットを握って準備する。しばらくして監督のファビーニョが降りてきた。

 サクライが太鼓を叩きはじめ、ヨシヤ達がコールを叫ぶ。

「ミクーニエフシー!(ドンドンドドドン)ミクーニエフシー!(ドンドンドドドン)」

 ファビーニョは少し驚いたような表情をした後、ニッコリ微笑んで競技場に入っていった。

 選手達は驚いたような表情や、恐縮したような表情をしつつ、コールの中を通り過ぎていく。

 最後にセキネがバスから降りてきた。ヨシヤはセキネに話しかける。

「セキネさん、オツカレサマです。俺達、横浜から来たんですけど、今日は菅野くん達が来れないので、俺達が代わりに応援やります。よろしくお願いします。」

 セキネは一瞬戸惑った表情を見せたが、そうですか。そういえばフジマの試合でゴール裏にいましたよね。」とヨシヤを指していった。試合にでていなかったのにセキネはヨシヤを覚えていた。

「ええ、よく知ってますね。あの試合出てなかったですよね。どこで見てたんですか。」

「メインスタンドから見てました。見慣れない人が応援に加わってるなあと思ってたので。」

ヨシヤは何となく嬉しくなった。そして予想していなかったセキネの発言にやる気を奮い立たされるのを感じた。サクライ達も同じことを感じていた。

「今日は俺達頑張るンで、ゴール決めてください。」とヨシヤはお願いし、

「頑張ります。」とだけセキネは答え、ニコッと笑い、荷物を背負って競技場に入っていった。

ふと見るとコーチと一緒に荷物を運ぼうとしているメグミがいた。

「よお、メグミちゃん。タクマに言った通り来たから。」

「あ、こんにちは。ありがとうございます。」とメグミが答えた。

「タクマ、なんか言ってた。」

「ウーン、特に言わなかったけど、なんか今日行かれないの凄い悔しがってた。以前にも行かれなかったことあったのに..。」

“やっぱりな”とヨシヤは思った。「試合終わったら、俺からタクマに連絡するから。」

「そうですか?でも何でこんな遠くまで来る気になったんです?」とメグミは訊いた。

「ウーン、そうだなあ。おんなじ匂いがしたからかな、君のカレシに。」とヨシヤは答えた。

「ハア?」メグミはピンとこない様子だった。

 

12時開場。ゴール裏へ回り横断幕を張っているときクミコがヨシヤに話しかけた。

「なんか嬉しくなっちゃうよね。あんな選手いるんだね」

「俺も初めて。なんかスゲエやる気沸いてきた。来て良かったなあと思う。」

「まだ試合始まってないじゃん。」とクミコは笑う。

「うん、そうなんだけど。あんなこと選手から言われたらやる気沸くじゃん。Jでは無いもん。」とクミコの方に向き直って答えた。

“ゼッテー勝ちたい。”とヨシヤは思った。それはサクライ達もクミコも同じ思いだった。

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2005年11月25日 (金)

第1章 1997年 5.クルセイド横浜(1)

JFLのリーグ戦はナイターのできない競技場でのデーゲームが殆どのため、暑さが過ぎるまでの夏休みのような中断期間が存在する。リーグ戦は9月中旬まで1ヶ月半の休みに入った。我がミクニサッカー部は6勝5敗の7位で折り返した。

我々クルセイドのメンバーも試合の無い期間は仕事に集中しないといけない。なぜならアウェーの試合に行くために仕事で遊休を使ったので、その分を“夏休み”中に元を取らなくてはならない。

といっても俺の場合はまだいいほうだ。ケイタとユウタロウの仕事は土日がメインとも言える。だから実際はホームゲームに来るので精一杯だ。とてもアウェーまでは休みがなかなか取れない。

だから殆どのアウェーの応援は俺一人でやってきた。最初は恥ずかしさもあったが、一度やったらアウェーの一人応援は病みつきになった。一人で勝たせたという快感には堪えられないものがあった。

 

だが一人ではどうしても全部のアウェーは行けない。どうしても仕事や家に都合で行けないケースが出てくる。

そして不幸なことに後半戦最初の試合、アウェーでの“みちのくホイールズ”戦の日に出勤せざるを得なくなった。

 

俺が気にするのは応援なしでの戦績が良くないためだ。サポーター0人試合での過去3年の戦績は7勝16敗。ちなみに応援を始めた3年前はアウェーには全く行かなかった。そのせいかアウェーで負けてばかりいたので2年目からはアウェーにも行くようにした。それからはアウェーの戦績は良くなった(と信じている)。

俺たちが応援に行ったアウェーの戦績は過去2年で8勝5敗だ。

 

が、今回はしかたがない。勝ってくれるのを祈るしかない。俺は暗澹たる気分だったがチームを信じて吉報を待つことにした。

そんな中、試合の3日前に突然ヨシヤから電話があった。

「オマエんとこ、次のみちのく戦何人来るンだよ。」

「いや、誰も行けないよ。」俺はいきなり今一番訊かれたくない質問をされ、テンションが下がってしまった。

「なんだよ、それ。せっかく行くことにしたのに、オマエら誰も来ないの?行くのフツーだろ、フツー。」と電話口でヨシヤが文句を言った。俺は驚いて訊きかえした。

「行くってなんだよ。宮城行くのか?」

「行くよ。人も集めたンだよ。4人で行くことにした。」とあっさり言ってのけるヨシヤ。

「へっ..、4人も。人集めたってどういうことだよ。」

「俺もミクニ応援することにしたから。グループ作って試合に行くことにした。」

俺は何が何だか理解できなかった。

「何で急にグループ作って応援することにしたんだよ。お前応援してるチームあるだろ。」

「まあ、いろいろあってさ。いいじゃん。とにかくオマエら行かないなら俺達が応援やるから。太鼓も幕も用意してあるから。」と既にヨシヤはやる気満々になっていて、なぜミクニを応援することにしたのかの質問には答えなかった。

「いや..、まあ..、ありがたいというか、申し訳ないというか...。」

「まかせとけ。きっちり勝たせちゃるから。また電話するわ。」と電話が切れた。

俺は呆然としていたが、しばらくしてアウェー0人を防げそうだという気持ちより、試合に行けないことがさらに悔しく思えてきた。全く予想外の展開に戸惑いも隠せなかった。

“何なんだ、アイツ。”と俺は思った。

 

ヨシヤは“とうとう始めちゃったな。”と自分に話しかけていた。

 

なぜミクニの応援を始める気になったのか。

 

ヨシヤ自身やらなくてはいけない理由は無かったが、フジマ戦でタクマ達が猛烈な暑さの中、必死に応援をする姿をみたこと。ヨシヤ達に混じって応援したこと。試合後のユウタロウ達の泣く姿を見たことで、“俺も何かをしなくちゃイケナイ”という気になったのだった。

後日、冷静になってみて何もそこまでしなくてもと一度考えもしたが、タクマ達にサポーターたる者の何かを見たような気もしていた。人数が少ないからそう見えたのかなとも思ったが、既に何人かに声を掛け、人も集めていたし、自分のなかで気持ちが突き動かされてしまっていて止めることは考えられなかった。

 

ヨシヤはタクマの気持ちを考えると複雑だろうなと思った。単純に喜んでいるとは思っていないかもな、とも考えていた。自分達が行かない試合に他のヤツが行って応援する。その試合に勝たれたら、そいつの応援のおかげってことにもなるし。

「あのまま、電話切らなかったら、最後は“お願いします”って言ったかな。」と独り言を言った。

しばらくして“いや、言わないだろうな。”との考えに至り、小さな優越感をヨシヤは感じた。

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2005年11月12日 (土)

第1章 1997年 4.決意(2)

「毎年、こんな暑い中でやってんのか?」とヨシヤがクーラーから氷を取り出しほおばりながら俺に訊いた。

「いや、俺も記憶にない。ていうか今思い出せない。」と俺。それは本音だった。今昔のこと思い出せなんていわれても頭が回転しない。早く試合が終われ。勝ち負けはどうでもいいと冗談で考えることすら難しいほどスタジアムを包む俺達に関係ない熱さの中にいた。

「それにしても、もう選手誰も動いてないぞ。試合になってない。」とヨシヤがまた嘆く。

わかってると声には出なかった。俺達は何かに取りつかれているかのように応援を続けていた。俺はユウタロウの頭と自分の頭にペットボトルに入れた水を被せた。

女の子達も顔を真っ赤にしながら声を出し、メガホンを叩いていた。

試合は何事もなく前半が終わった。シュートは記憶にない。ただボールだけが行ったり来たりしているだけだった。選手達もうつむいたままロッカールームに引き上げる。GKのカワシマでさえしかめっ面のまま引き上げていった。

「しかし、想像していた以上にキツイな。」と俺はクーラーから冷えたお茶の入ったペットボトルを受け取り、栓を開きながらヨシヤに話しかけた。ヨシヤは無言で頷く。

「こんな持久戦じゃいつ点が入るのか判らない。延長もあるかもな。」

「カンベンしてほしいな。」とユウタロウ。

「中東でやる予選ってこんな感じですかね。」とケイタが訊く。ワールドカップ予選で日本代表が中東で予選を戦っていた。それをイメージしていたようだ

「いや、こんな湿度はないと思う。」とヨシヤが答える。

俺はそんなやり取りをただ黙って聞いていた。こんな状況でも試合中は一番声を出していなきゃならない立場の俺は、ハーフタイムによくそんな会話ができる余裕があるなと思いながら、連中を眺めていた。

ぞろぞろと選手が出てきた。

「さぁ、行こうか。」と俺は声を掛けた。皆がキツイ目つきに戻る。戦いは最低でもあと45分もあった。

後半に入っても試合は膠着したままだった。だが選手達は俺達以上にキツイはずだったがしたたかでもあったようだ。20分を過ぎたあたりからまた選手達は走り始める。それでもいつもよりも緩慢ではあったが、その姿は俺達に声を出せとムチを打った。

気温は上昇し続けているにも関わらず、次第に双方のエリア間を行き来する人数が増えていく。

“やっぱり、普段から運動しているヤツらは違うな”と俺は思った。俺達は皆限界一杯の中で声を出していたが、何故か休むということができないでいた。ただ何かに引っ張られるような感じで声を出し続けていた。俺は気づかなかったがヨシヤも俺の後ろで必死に声を出していた。

30分過ぎ、チャンスが来た。右サイドのソウバからのアーリクロスがゴール前に上がる。マルセーロと相手GKが競り合い、GKのパンチングでこぼれたボールがMFヨシマキの前にこぼれた。

ヨシマキは疲れていたが目の前に転がってきたボールをシュート。ボールは少しフカシ気味に上ずってクロスバーに当たって跳ね返り、ゴール前にいたマルセーロに当たってこぼれた。マルセーロはハッとして振り返り、こぼれたボールを押し込もうとした。

相手GKも慌ててボールを押さえようとする。

2人が交錯した直後、ボールはゴールネットに突き刺さった。俺達は歓声を上げた。

しかし主審はファールを告げる笛を吹いた。どうやら交錯したときにGKへのファウルをとられたようだった。猛然と抗議するマルセーロにイエローカードが提示される。ハヤシバラとアソウがマルセーロをなんとか抑えたが、俺達はというと疲労に落胆が加わり、ブーイングすらできない状態となっていた。

40分過ぎ、今度は敵のスルーパスがDFラインの裏へ抜けた。フジマの選手とGKカワシマが交錯する。今度は敵のファールとなった。が、カワシマはそのまま動けない。

トレーナーが近づく。しばらくして両手で“バツ”をベンチに向かって示した。どうやら顔を負傷したらしい。

タンカでカワシマが運ばれ、GKには今期初出場のマツハシが入った。

「大丈夫ですかね、マツハシ。初めてでこんな状況で...。」とケイタが訊く。

俺は答えなかったが、確かに嫌な予感がしていた。

こんな状況では試合に入っていくのはいつも以上に大変ではないかと思った。試合に出ている選手は暑さの中でも集中力を高まっているはずだったが、サブの選手、しかもアクシデントで急に入ったGKは待っている間、集中力を高めていられるとは思えなかった。しかも残り5分の場面だ。

悪い予感は的中した。再開して数分後、マツハシはバックパスをキックミスした。ボールは運悪くフジマのFWに渡ってしまう。

クゲが慌ててチェックにいくが、相手はフェイントで冷静にかわし、フリーでシュートを放った。ボールはマツハシの右をすり抜けゴールネットに突き刺さった。

0-1。試合はついに動いた。

歓喜に沸くフジマの選手を数少ないサポーター。俺達はただ呆然とそれを眺めていた。だがすぐにコールを叫ぶ。それはこの試合初めて湧き上がった勝負への執念というより、何かに突き動かされてでた声だった。

“ミクーニエフシー!ミクーニエフシー!”全員が再び声をあげ、太鼓のリズムがまた始まった。

そして試合は終わった。笛が吹かれた瞬間、ユウタロウはその場に倒れてしまった。俺は膝に手を突き俯いた。悔しさというより虚無感しか感じなかった。

選手達が挨拶にくる。マツハシは涙してアソウに支えられながら来た。俺達は手を叩くまでもなく呆然としているしかできなかった。この試合が極めて大事だったわけではない。が、つぎ込んだ気力はそれに匹敵していた。ケイタロウは膝を抱えさっきから泣いている。女の子達も泣いていた。俺は何も考えられなかった。

しばらくして我に返り、ケイタロウの肩を叩き後片付けを俺達は始めた。横断幕を外そうとするとヨシヤが手伝ってくれた。ヨシヤの顔は皆と同じように日焼けしていたが、えらく真剣な目つきになっているのに気づいた。ヨシヤは片付けの最中ずっと無言のままだった。

片付けが終わるとヨシヤはようやく話し始めた。

「残念だったな。」と一言。何かを考えているように見えたので

「どうした。何かあるのか。」と俺は訊いた。

「いや、なんでもない。」とヨシヤは答えた。

そして「また来る。」とだけ言い渡して帰っていった。俺はヨシヤの姿に何かを感じたがそれが何なのかはわからなかった。

ヨシヤは帰りのバスの中でも真剣な顔で考え事をしていた。そして、バッグから手帳を取り出し何事かを調べ始めた。駅に付いてバスを降りると携帯電話を取り出し、誰かに電話を掛けた。会話が20分近く続いた後、ヨシヤはキッとした表情で駅のホームへと向かった。その表情はバスの中での考え込んでいる表情とは違っていた。

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